第四話 (前編) 悪の魔術師は絶滅危惧種
月が中天にかかった。
夜空には月明り以外にも光があちこち浮遊して、王都の夜は浩々としていた。大聖堂の周囲の街灯以外にも、魔術ランタンが高く掲げられている。
これだけ数があると、めっちゃ綺麗。
読書できそうな明るさだ。書物なら読める。新聞は紙が粗くて印字が読みにくいから無理だな。
おっと、窓の外を眺めているわけにはいかない。
そろそろ動くか。
闇の帳に身を潜めて、抜き足差し足忍び足で出納室に進む。
やばい。
何がやばいって、心臓どきどき感が病みつきになりそうだってことだよ!
ジョブチェンジの予定はないが、魔術怪盗ってアリかな~
でも世界鎮護の魔術師として認められたら、月の蔵書やレポートが閲覧自由だしな~
世界最高の図書館が自由に使えるんだぞ。そっちの方が美味しいよね。
わたしはサフィールさまが控えている出納室に顔を覗かせる。
サフィールさまは簡易の椅子に腰を下ろして書類を読み、もっと若い騎士さんたちが傍に立っていた。
「お忙しいところすみません。今よろしいですか?」
「ミヌレ嬢? 何か問題でも?」
「いえ、わたしはエグマリヌ嬢のことで……」
わたしが言葉を濁らすと、サフィールさまは若い騎士さんたちに目くばせした。退出する騎士さんたち。
「サフィールさま、わたしはエグマリヌ嬢が大好きです。でもこれから友達でもいいんでしょうか?」
「それは当然だ。これからも妹と仲良くしてほしい……ああ、オニクスとの婚約したと伺った。おめでとう、と言うべきか」
複雑な哀色に染まる蒼の瞳。
わたしが先生と敬し、婚約までした相手は、サフィールさまにとっては父親の仇だ。
敵対していたなら剣に生きるものの結果だ。だけどオニクス先生は、味方であるエリオドールさまに殺された。味方からの裏切りだ。許せるものじゃない。
「わたしはあなたの仇の婚約者です」
「貴女がまだ生まれてもいなかった頃の話だ。そう気負うことは無い」
口調は穏やかだった。
「もしかしたらこの先、貴女の存在がマリヌを傷つけるかもしれない。だが兄として妹が忌むものから守ってやれても、妹が愛するものから守ることはできない。愛するものと対峙したとき、それは誰かの手助けでなく己でしか対処できないものだ」
愛するものと対峙する。
わたしの脳裏に過ったのは、オニクス先生だった。
「貴女と話し合うことも、逃げだすことも、それは妹だけのものだ。妹はきみが大好きだからね」
ふと表情を和らげた。
サフィールさまの張り詰めた空気が緩み、口許に微笑みが浮かぶ。
「出来ることなら末永く仲良くしてほしい」
「はい」
わたしは頭を深く下げた。
刹那、黒い影が近づく。
クワルツさんだ。
サフィールさまの経絡を締めて、気絶させた。
不意打ち申し訳ない。
だが、あなたを死なすわけにはいかないんだ。エグマリヌ嬢のために。
「うまくいったな」
クワルツさんは変装していた。髪を真っ黒にして、修道士みたいな恰好をしている。密で硬い毛織りで、これまた硬そうな立ち襟だ。これはたぶん神学校の制服だ。
特筆すべきは、眼鏡をかけてないってこと。
いつもの瓶底眼鏡がないもんだから、目つきが悪いのである!
「あらかじめ気絶させておくと楽だが、観客が減る点が頂けんな」
この劇場型犯罪者め。
「観客が好きなら俳優を目指さなかったんですか?」
「俳優は虚構だが、怪盗は虚構と現実の狭間に生きるもの。そのうつろいやすく永遠なる狭間こそ、吾輩が生きる領域なのだ」
うーん。オンブルさん呼んで通訳してもらいたい。
今日はお仕事で忙しいそうだ。
「ところでクワルツさん。もし偽物がくるのは、今日じゃなかったらどうするんですか?」
一度気絶させられた以上、翌日は警戒が強まるだろう。
今日みたいに簡単にはいかない。
クワルツさんは腕を組んで首を傾げた。
「ふむ。きみに【睡眠】の呪符を作ってもらうとか……」
「【睡眠】の魔術インクって、阿片と青毛の馬の母乳なんですけど」
今は草木萌える春。馬の出産時期が始まったから手に入りやすいとはいえ、そこらに売ってはいない。
「知り合いの農家を巡れば手に入るだろう」
クワルツさんは実家が大果樹園だし、農家のツテはあるみたいだな。
控室を出ると、入口のところに待っていた騎士さんたちも、気絶させられて倒れていた。
手際が良いな。
わたしたちは出納室横から奥へ進み、見張りの兵士を避け、地下への階段を目指す。
アートワークブックに、大聖堂の見取り図は載ってるけど、見張りは載ってない。だけどクワルツさんの霊視で、だいたいの見張りしている騎士の位置は把握できていた。
「クワルツさん、今日は静かですね。堂々と現れて、偽物を糾弾するのかと思いましたよ」
劇場型犯罪者だし、こんなにこそこそしているのは意外だ。
「ええい。吾輩とて月光浴びて名乗りを上げたいのだが、教会関係はどこで顔見知りと鉢合わせるか分からん。だから吾輩、教会系には入ってないのだぞ」
忌々しそうに語る。
神学校育ちは大変だな。
石造りの階段で、急いで地下へと駆け降りた。光の無い階段はどこまでも続き、しだいに狭くなっていく。
階段の終着点、そこには魔術ランタンの常夜燈が、漂白された光を満たしていた。
納骨堂に続く錬鉄の扉が、無残にへしゃげている。
もう賊が侵入している?
「予告状の日を違えるとはけしからんな。吾輩が犯罪倫理を叩き込んでやる」
わたしたちは地下納骨堂に飛び込む。
光魔術のランタンに照らされているのは、壁一面に埋め込まれた頭蓋骨だった。虚ろになった眼窩が、わたしたちを眺めている。これは良い呪符の素材になるんだけど、神学生だったクワルツさんの目の前で採取するのはどうかな? ドン引きかな?
あと採取すると、幽霊とエンカウントしちゃう。
「亡霊が出現しそうだな」
クワルツさんは気配を感じたのだろう。
その声は、普段より張りが無い。
「幽霊が出たら噛み殺せますけど、時間がかかるのが難点ですね」
噛み殺すのマジで手間なんだよ。
ほんとは闇魔術を習得しないと、来れない場所なんだよなあ。地下納骨堂って。
あ、でも一角獣化した状態で幽霊を噛み殺したことないから、暇なときに潜って実験してみたいな。
どこまでもどこまでも続く頭蓋骨の道を、わたしたちは歩いていく。
地獄にまで続いていそうだ。
帰り道の長さに不安になったとき、奥から物音が聞こえた。死者の衣擦れめいている。
わたしたちは物音させないよう進む。
「……ああ、きみまで来るとはな」
闇から響いてきた低くて澄んだ声に、わたしの胸が打ち震えた。
オニクス先生だ。
先生が、わたしのすぐ近くにいる。
暗がりから人影が一歩踏み出ると、その輪郭が魔術ランタンの青白さに照らされた。
「かっこいい……」
仮面はいつもの隻眼だけを覆うタイプじゃなくて、顔すべてを覆っている仮面。ワタリガラスを模した装飾的な黒仮面だった。月長石と日長石、そして多結晶黒ダイヤモンドが象嵌されている。
黒いローブの上からは、籠手を片腕だけ装備している。複雑な板金はムカデを模して、大粒のダイヤモンド入り隕石が埋め込まれていた。肥えた単眼巨大ムカデを飼っているみたいだ。
襟元には蝙蝠翼のジャボットピン。黒翡翠で蝙蝠の翼を模していた。
マントを留めているのは、黒御影のブローチ。
飾り帯から下がるのは、黒蝶貝の帯飾り。
そして携えるのは、蜥蜴が黒瑪瑙を抱卵する杖。
ひょっとしてカラスやムカデに填まってる呪符が、先生が前言ってた国に召し上げられた呪符か!
やばい。
涎が垂れるほどかっこいい……
「完璧な悪の大魔術師じゃないですか! それでわたしと結婚式を挙げてくださいよ!」
やっぱり好きだ!
かっこいいもん!
胸のときめきに嘘はつけない!
「おべっかはやめておけ。二十歳のころの装具だから、若作り過ぎるだろう」
「マジですか、その衣装で闇の教団の副総帥してたんですか、ハマりすぎじゃないですか」
「吾輩の衣装は若くないと無理だが、その装束なら一生大丈夫だろう」
「そうですよ! その死肉を啄むカラスに、毒持つ蟲! 死を連想させる不吉さでもここまで畳み掛けると、死神的な神聖さが漂いますよ! もちろんそれは先生からにじみ出る威厳と、冷笑的な雰囲気と、スタイルの良さがあってこそですが! 死が調和した完璧無比な美しさです!」
「ん? そこにいるのは怪盗か」
やっとクワルツさんだと気づいて、隻眼を向けた。
クワルツさんは今、黒髪に神学生の制服って変装してるから、分からんよな。
「吾輩の名前を騙った理由! 聞かせてもらおうか? 雨水を盗んできたことで、時間外労働させた借りは返したはずだぞ!」
「恨みはないし貸し借りもないが、きみに罪を擦り付けようとしただけだ」
「最低な男だな!」
いまさら気づいたのかよ。
わたしを大山脈の鉱泉地帯に置き去りにした時点で理解しろ!
「納骨堂に保管してある私の呪符が消えたら、すぐに犯人が私だとバレてしまうではないか。きみの名前があれば追跡を誤魔化せる。偽物ひとりやふたりくらい、構わんだろう?」
しれっと嘯く先生。
ああ、そういや隻眼のオニクスって、戦功があるから偽物がよく発生するんだったな。ラピス・ラジュリさんが言ってた。
先生は自分の偽物がどうでもいいのか。
隻眼がわたしに向けられた。
「ところで世界鎮護の魔術師どのは、こんな陰気な場所で逢引きか? まさか私に死んでほしくないと、足元で泣き喚きにでも来たのではあるまいな?」
冷笑を込めて問われる。
うっわ……実際に煽られると、ほんとムカつくなァ。
ひとの殺意ゲージを満タンにするの、お上手ですこと。ははん。
「……死にたいならご自由に」
わたしは噛みつきたい気分を堪えて、言い放った。
「だけどオニクス先生。あなたの末路は、特等席で見物させてもらいますからね。その程度の権利はあるはずです」
「私の死に様を見物したい輩など数えきれん。介錯したい輩もな。特等席は自分で確保したまえ」
「言われなくても! そのつもりですよ!」
わたしの絶叫が、納骨堂で弾けた。闇に吸い込まれずに反響する。
その反響が終わった後、階段側から足音が聞こえてきた。
魔術ランタンの光の下、やってきたのはサフィールさまだった。
ハァ? なんで気絶からもう復活してんの?
蒼い瞳に映るのは、黒い姿。
「蛇蝎!」
魔導銃の銃口が、先生に向けられた。




