第十七話(後編) 邪竜、目覚める
あ、気持ちいい。
天然温泉は、すごく気持ちよかった。
お風呂にしては浅いんだけど、なんとなく水の触り心地がいい。温水が流れ込んでいるせいか水質が王都と違う。
「来なさい」
手招きされて近づけば、先生はわたしの首筋やたてがみを撫でる。ついでに蹄のなかの泥や小石を掻きだしてくれた。
優しい。
大好き。
ふへへ。
「なるほど。この状態で人間に戻ってみてくれ」
は?
この状態で?
わたしが面食らっていると、隻眼が眇められた。
「早く」
わたしは前足を傷つけ、人の姿に戻る。
人のかたちに戻った途端、先生に抱き抱えられた。先生のお膝の上に座る。
えっ、なに、この距離。
「どうした? 何か痛いところがあるのか?」
「あの、恥ずかしい……です」
わたしの囁きに、先生は口を歪めた。
「恥ずかしい……? まさか、きみに、羞恥心などというものが存在したのか」
「情緒が正気に戻ったんです!」
「そうか。すまない」
手が離れていっちゃう。
「いえ、あの、触ってくださっても大丈夫です」
気合をふり絞って発言する。
一拍おいた後、先生の手がわたしの膚を撫でていく。膚の下の、魔力経絡を確認するために。
「ずいぶん毛深くなっているな」
「ピエエエエエェ?」
「ライカンスロープの影響か? 体毛が濃くなっているのは。きみは体毛も白っぽいというか銀色っぽいから目立たんな」
「ピギィイイイッ!」
羞恥のあまり出た奇声は、無視された。
ひどい、ひどい、なんたる辱めだ。
「やはり人間の状態でも、経絡が活性化しているな。きみが規格外の戻り方をしたから、どっちも虚の状態だ。つまり人間の姿でも獣の姿でも、魔力消耗しているぞ」
「へぇ~、それってなんかデメリットがあるんですか?」
素朴な疑問だったのに、先生は冷笑した。
「きみの場合、困ることなど無いな。なにせ魔力に限度がない」
バグをチートで治したのはよくなかったかな?
でも喋れなかったり、ガレットやクロワッサンが食べられないのは寂しい。
「他に何かやらかしてないだろうな」
「やらかしてます!」
「否定しろ」
「えーと、【屍人形】の星幽体? そんな感じのものをわたしの魔法空間に捕虜? にしてあります」
先生は仮面をつけていない方の顔面を、手で覆う。
「どうして……どうしてそうなった?」
「ラピス・ラジュリさんって実は【屍人形】だったんですよ! ほら、『引かれ者の小唄亭』で歌ってる美人さんです。わたしを捕まえようとしたから、逆に捕獲しました。プラティーヌ殿下が制作したっぽいですが」
ぴくりと、先生の肩が跳ねた。
「………それは賢者に伝えたか?」
「いえ」
「賢明だ。言わない方がいいだろう」
「賢者連盟って禁呪の監視してるのに、王族だからって媚び諂うんですか?」
「エクラン王国は魔術先進国というだけでなく、領土に図書迷宮を擁している」
図書迷宮。
魔法の扉に閉ざされた迷宮。
そこにはエメラルド牌がある。
天と地にあるすべての法則と、過去と未来に在るすべての技術、それが神聖文字によって刻まれている。
古代文明紀どころか、創世紀より以前からあると伝えられている碑文だ。
「賢者どもはエメラルド牌の研究を重要視しているからな。エクラン王国との友好は優先順位が高い。物証をつかんで、教会あたり巻き込こめばいいが、賢者連盟だけでは有耶無耶にされるかもしれん。下手に報告しないように。いいな」
「ういうい」
なるほど。つまり物証を掴んで、教会を巻き込めばいいわけだな。了解。
「聞くの忘れてましたけど、先生って王党派じゃないですよね」
「なんだ? 独裁政権と愚衆政治、どっちも利点と欠点があるだろう。人間がかかわった時点で、どんなシステムだろうが屑だがな。ひとりの馬鹿に政治を任せるか、多くの馬鹿に政治をやらせるか、どっちがマシか知るか」
鼻で嗤う。
絶対王政にも議会主義にもケンカ売ってるなあ。
「そういう意味で魔術や物理というシステムは、人間の意思が関与しなくて好ましい。宇宙の星層、時間の因果、霊魂の輪廻、祈りやこころが関与しないものは正しく、美しい」
先生は表情を和らげて語った。
珍しいな、くつろいでいる。
「それなのに人間の心に干渉する魔術が専門なんですね」
「……若い頃と考え方が変わることもある」
ぽつりと呟いた。
隻眼は翳され、沈黙が落ちる。
何か考えているんだろうけど、わたしには読み取れない。オニクス先生の眼の色合いは、いつだって深すぎるから。
「【屍人形】の影響はあるか?」
「ありますね! 『オリハルコン賛歌』が解読できました!」
「あれで三年は興味をひけると思ったのだが……」
先生は大袈裟に肩を竦めた。
「仮説をひとつ。色彩象徴言語が読めたということは、【屍人形】に封じられていた星幽体と記憶と五感が、きみの魔法空間に吸収されている。それらは下位の要素だから、時間経過で消えていく」
吸収。
わたしのおなかの中で、ラピス・ラジュリさんが消化吸収されているイメージだ。
「じゃあラピス・ラジュリさん、いなくなるんですか!」
「当然だ。魔力枯渇した【屍人形】だぞ。きみに吸収されて、消滅する。だが影響が一時的なのか、きみが吸収するか、吸収するとして吸収率がどれほどなのか、観察したいものだ」
「ど、どうぞ」
わたしは両腕を広げる。
「今の体調で幽体離脱したら死ぬ」
それもそうか。
先生にミュージックディスクとかライナーノートとか調べてほしかったけど、残念だな。
「【屍人形】ってあんなに人間そっくりなんですか」
「……【憑依】を組み合わせれば、人間と見分けがつかないレベルに到達する。死んだ本人の魂を、死体に乗り移らせればいい。制御が困難になってしまうがな。だが、必要以上に【屍人形】に興味を抱かない方がいい。きみの知的好奇心を摘みたくないが、そこを突き詰めれば私と同じ轍を踏む」
先生の口ぶりは苦々しかった。
たしかに死体と魂をどうこうする術を研究したくなったら、闇の教団でも立ち上げて検体を手に入れるしかないな。
「分かりました。それ以外にも興味あることありますし」
「その方がいいだろう」
先生は手のひらで湯を掬って、黒髪にかける。
頬や喉を濡らして流れる湯。
先生の目が、わたしの視線とかち合う。
「……なんだ? きみもわたしに触れたいのか?」
「ひえっ?」
「好きにしろ」
え、いいの?
ほんとに先生に触れていいの?
「どうした? 図書迷宮の時は触りたがっていたのに、今日は遠慮深いな」
意地悪く嗤う。
ほんと意地悪だ。
引き下がりたくなくて、わたしは先生の膚に触れる。こんなチャンス、二度とないかもしれないし。
最初は太ももの傷口。
わたしがキスしたところは、皮膚が引き攣りながらも塞がっていた。
よかった。
「怪我は塞がっていますね」
「ここの湯は、切り傷と皮膚病に効能があるからな。飲めば口渇病にも効く」
「口渇病?」
「貴族しかかからん病だ。きみは農村の出身だから知らんだろうが、甘いものばかり食べて不規則な生活して運動不足だとなりやすい。ちなみに甘いものとは糖分のことだ」
「砂糖と蜂蜜だけじゃなくて、根菜とか白パンも含むってことですか」
「そうだ」
話しながら、わたしは先生の身体をなぞっていく。
指先から腕、肩、首筋。
痩せているんだけど、しっかりした体つきだ。
手のひらを動かすたびに、どきどきして思考がまとまらない。多幸感で脳みそが蕩けそうだ。
「もう剃り残しないんですね」
「婚約式を挙げる以上、身だしなみに手抜かりは無い」
残念。キスしたかった。
剃り残しがあった顎下に触れ、手を離す。
皮膚に刻まれている【制約】は、ずいぶんと薄まっていた。
「ラー……ぅ゛っ?」
ヴさまのおかげですねって言おうとしたら、口を手で押さえられた。
「偉大な御方の名は、気安く呼ぶものではない。人間の言葉は、魔法に直結しやすいからな。きみほどの魔力の持ち主が我が師の名を叫べば、それはそのまま召喚になる」
先生がため息ふたつと半分を吐いてから、手が口から離れた。
「……きみから目を離すたびに、とんでもないことをする。まさかとうとう我が師を起こすとは」
「じゃあどうしてお名前を教えてくださったんですか?」
「………」
「うっかり口を滑らせたんですか?」
「私の我慢ならんことのひとつは、守秘義務能力を疑われることだ」
でも実際にわたしに教えてんじゃねーか。
触れてほしくなさそうなオーラを垂れ流しまくっていたので、その件に関しては口を噤むことにした。
そういえば最近の地震。オンブルさんと地中に掘り進んでいた時と、空中庭園でディアモンさんと喋った時。どちらもラーヴさまのお名前を口にしてしまった記憶がある。
そもそもラーヴさまを探すために、オンブルさんたちに何度か喋った。
幾度となくわたしに名前を呼ばれたから、ラーヴさまの眠りが浅くなったわけか。
なるほど~
ラーヴさまを起こしたのはわたしだから、震源はつまり、わたし。
世界鎮護の魔術師(候補)が、邪竜を目覚めさせたとは皮肉な話だ。
二度と名前呼ばんとこ。
わたしの肩に、雪の結晶が触れる。
曇天から雪が降り始めた。
きらきらと舞い踊る結晶は、冬の妖精みたい。湯気に触れれば溶かされて、川面に触れれば沈んでいく。先生は川底に寝そべるように脚を投げ出し、石を枕に深く湯につかった。
熱い泉と、冷たい雪。
溶岩が流れる大地と、雪が降る空。
「あの方は人類が好きなんですね」
「我が師ながら理解に苦しむが、あの方は人類が滅亡するまで横たわっているおつもりだ。気まぐれな慈悲だが、代々の鎮護を受け入れて下さっている」
闇魔術は同意があれば、耐性あっても通る。
人類がラーヴさまを眠らせるなんて信じがたかったけど、同意の上で魔術かけていたのか。
「では、眠らせなくてもよいのでは?」
「気まぐれだと言っただろう」
先生は温水を掻きまわし、湯加減を調整する。波紋する小川。
「蟻塚の蟻。我が師にとって人類などその程度なのだ。気まぐれを起こして羽ばたけば、今の人類など塵芥になるぞ。賢者たちはそれを危惧して眠らせようとしているし、私も杞憂とは嗤えん」
嗤いながら語る。
先生の嗤いが、ふっと音もなく途切れた。
「あの方は災厄より存在が大きいのだ……敬すべき御方だが、縋るべき御方ではない」
「……でも【制約】は緩和して頂けました。あの方が、眠るまでは維持できるみたいです」
先生はか細い息を吐いた。
「代償として、私が魔術を使えない」
「ご自分の死を偽装するのに、魔術が必要なんですか?」
「偽装? 私はそんなこと考えていない。どうしてその発想に至った?」
「偽装死中の財産管理させるために、わたしと婚約したのでは?」
先生は一瞬、瞳を丸くした。
あれっ?
わたしの推理まちがってた?
「財産を譲ろうと思ったのは、私を逃がしてくれる前払いの謝礼のつもりだった」
「逃げて……それからどうなさるんですか?」
世界鎮護の魔術師はわたしがいるとしても、大罪人である先生を賢者たちは逃がしはしないだろう。特に恨み骨髄のカマユーが、先生を無罪放免にするわけがない。
「私はただ……己が成すべきことを成すだけだ」
先生が成すべきこと?
疑問を口にする前に、隻眼は閉ざされる。
「……それさえ成してしまえば、あとのことはもう考えなくてもいい」
意図を問おうとした途端、先生は湯から上がった。
「ピぎゃああああ?」
「きみはゆっくりつかっていなさい」
先生は湯から出ていく。
わたしは湯に入ったばかりなのに、もうとっくに火照っていた。




