第十八話(前編) 時間障壁
温泉で身体の芯まであったまったから、一角獣になって湯から上がる。火照った身体を、新雪の上でローリング。
ふひゃひゃひゃひゃ、これめっちゃ気持ちいい。真夏にフラッペ食ってるのとおんなじ気持ち良さ。
「………ん?」
うめきみたいな声が聞こえてきた。岩室の方からだ。
もしかして先生の容態、急変した?
いきなり温泉に入ったから?
わたしは雪を駆け、急ぐ。
「ミヌレくんだな?」
クワルツ・ド・ロッシュさんがいた。
何故か先生を押し倒している。
なんで押し倒してるんだよ、わたしだってまだ先生を押し倒してねぇのに。
わたしは彼らの横を素通りして岩室に入り、人間に戻って婚約ドレスに袖を通す。それからもう一度、ふたりのところに戻った。
「状況説明お願いします」
わたしは真顔で問うた。
「空中庭園でな、この教師が「温泉行きたい」って独り言繰り返しているから、逃亡先は山脈のここらあたりだろうと追いかけてきたのだ」
「先生を押し倒している理由です」
「吾輩が顔を出した途端、ミヌレくんを頼むとか言って立ち去ろうとしていたから、何も言わず置き去りにする気だなって察して足止めしている」
「私はやるべきことがある!」
先生の裂帛に、クワルツさんが腕組みしたまま肩を竦めた。
「ミヌレくんを置き去りにしていい理由は無いとは思わんか?」
「等しく巻き添えにしていい理由は無い」
「ならばこそ、それを決めるのはミヌレくんだけではないか」
クワルツさんの問いかけに対して、先生は長ったらしい舌打ちをした。
「そもそも吾輩に容易く押さえつけられるようでは、成すべきことを果たせんだろう」
その意見に対して一理あったのか、先生は黙った。
オニクス先生に近づくと、わたしの影が落ちる。鉱石色のきらきらとした輪郭の影。
「先生が何を成したいかなんて、わたしに言いたくなかったら言わなくていいです。わたしを置き去りにしたいなら、すればいい。でも万全を期してほしいんです」
先生が思うままに生きてくれるなら、復讐でも贖罪でも怠惰でもなんでもいい。
自由な人生、それだけが望みだ。
「………分かった」
「じゃあごはんの支度しますから、先生は休んでいてくださいね。鹿肉の串焼きでいいですか?」
「構わん」
そのぶっきらぼうさは、不貞腐れている幼児みたいだった。
火。
河は文明の母であり、炎は文明の父である。おっ、この発言は偉人っぽいな。わたしが今、思いついた言葉だけど。
そんなわけで文明の源を生む、火打石という利器がある。
火を熾せるのだ。
焚火を熾すなら、岩室から三メートルくらい離れて、乾いている場所がいい。
枯れ枝に風が通るように組み、火打石で樹皮に火花を放つ。小さな火種は樹皮を燃やし、枯れ枝へと移っていく。冒険中の野営経験が役に立つ。
火の熾き具合を横目で見ながら、角で鹿を解体していく。うさぎは何度もさばいたけど、鹿は初めて。これもロックさんが捌いてやってるの横で見てたから、筋肉の付き具合や内臓の位置はなんとなく分かる。
「せっかくの新鮮な脳みそなのに、澄ましバターが無いとは物足りんな」
とか言いつつ、鹿の脳みそをつまみ食いするクワルツさん。
冒険者のロックさんほどじゃないけど、クワルツさんも鹿の解体が上手だ。
「クワルツさん。狩猟経験も豊富なんですね」
「害獣を仕留めるのは、日課だったからな。子供の頃は祖父が石弓で仕留めたものだが、最近は来なくなったから久しぶりだな」
「鹿が減少してるんですか……?」
「吾輩が狼になって見回ると、近づかなくなる」
「ライカンスロープ術、めっちゃ有効活用してますね」
王都の人口が増えた影響とか環境原因じゃなくて、ライカンスロープ術が原因なのか。
ちなみに先生は火の近くで腰を下ろして、杖を作るために枝を黒曜石で削っていた。削りカスは焚きつけにするため、樹皮の器に集めている。
「あれほど動けるのに、杖がいるのか?」
「体重をかけると関節に痺れが走る。体重移動の補助のためだ」
淡々と答えながら、杖を削り続けていた。
わたしは雪を台にして針葉樹を敷き、肉を乗せていく。
白と緑と赤で華やか!
黒曜石の包丁で、鹿肉を食べやすい切って、筋膜だの脂だの取っていく。
死に立てってまだ生きてるから、肉の弾力がすごいな。手ごたえがある。
がんばって細かく削いでいく。
「塩があるといいですね」
「吾輩は楓蜜が欲しいな。楓蜜漬けの鹿ステーキ。オンブルの手料理のうちで最高にうまいもののひとつだ」
へー、楓蜜漬けのステーキか。
わたし、ハムとか鶏レバーのキャラメリゼって好きなんだよ。赤砂糖たっぷり使ったやつ。
シロップ漬けのステーキも美味しそう。
「は? 鹿のステーキだったら、フランボワーズと赤ワインのソースだろう」
先生が異論を発した。
どうしてそういうケンカ腰に喋るのかな~
狩猟と解体に参加してないやつに、肉の分配と使用方法についての発言権はないはずである。田舎ルール的に。
「楓蜜に漬け込んでおけば、臭みが強い肉でもクセがなくなる」
「シロップ漬けは繊細な味が飛ぶ」
「仲良いですね」
言葉を発するや否や、隻眼が睨んできた。
「断固として訂正させてもらうが、仲良くなった覚えはないぞ」
「でも大地に触れたことのない雨水は、クワルツさんが用立てたんでしょう」
【飛翔】の呪符に必須の魔術インクは、大地にいちども触れたことのない雨。
水の加護が欠けている空中庭園で、あれを用意するのは大変だったはずだ。
「うむ。ミヌレくんと空中庭園で離れた後、吾輩はこの男がどういう扱いを受けるか案じて、こっそり残った」
「ありがとうごさいます」
深々と頭を下げる。
積極的に残ってくれたのか。置き去りにした罪悪感が和らいだ。
「この教師には、一発で吾輩だとバレたがな」
「空中庭園に野生の狼など徘徊していないからな。呪符の素材集めを依頼した」
「吾輩のせいで時間外労働させられた嫌味をぐちぐち聞かされるより、星智観測所に忍び込んだ方が楽だからな」
「私がレポート採点と学会準備で、どれだけ睡眠を削っていたと思っている」
「組織の苦労に疎くてすまんな」
飄々としているが、これは、たぶん、嘘だ。嘘というより虚勢か。クワルツさんは大農園の跡取りで一人息子だから、それなりに苦労があるだろう。それをおくびにも出さないだけで。
削ぎ切りの肉を、軽く炙って食べる。
美味いけど、もうちょっと成熟させた方が味わいに落ち着きがあるよな。
「ワインが欲しいものだな」
「ほう。ワインはどこの産地を好んでいる?」
身を乗り出して問うクワルツさん。
「好みか。プレニット農園のワインだな。小規模ワイナリーかつ王室御用達だからなかなか出回らんが、苦労しても手に入れる価値はある」
「ほう」
身を乗り出すクワルツさん。
実家のワインを賞賛されて、心なしが頬が赤らんでいた。色素が薄い膚だから分かりやすい。
「特に88年物はコレクションしている」
「88年? 不出来の年だぞ!」
クワルツさんは反射的に声を荒げていた。
「若造には分からんかもしれんが、88年の出来は最高だ」
いやいや、その目の前の若造が、プレニット農園の跡取り息子ですから。
さすがに怪盗の正体を勝手に暴露できず、わたしは黙って鹿肉にかぶりついた。うめぇ。
「88年物は美味い。酸味も少なく、舌をざらつかせるタンニンもない。コンポートめいた風合いがある」
「コンポートみたいな甘さが残って劣悪だ。酸味が少な過ぎてバランスに欠け、タンニンも少ないから長期保存に向かん」
「単に好みの問題なんですね」
「ミヌレくん。コンポートじみたワインは、少なくともこの国の好みの主流ではない」
「好みの主流など知るか。怪盗、きみは世間の意見をありがたがる俗物か。自分が美味いと思ったものを飲めばいい」
いやいや、だってこのひとは跡取り息子だから、流行りを狙うのは当然ですよ。
小作人とか使用人とか抱えているんですから、売れ筋は押さえてないと。
「たしかにこの教師の言う通りだ。他人の好みを貶すのは、無粋の極み。すまなかった」
水晶色の頭が深々と下がる。
クワルツさんの謝罪に対して、先生は勝ち誇った顔になった。勝ったのか?
自分の美味い物を呑めばいいってのは、確かにわたしも納得するけどさ。
塊肉も焼けてきた。
切ってみれば湯気立つガーネット色。牛とも豚とも違う鹿独特の肉色である。しかもこの澄んだ色合いは、完全に火の通った生だ。最高の状態になっている。
塩こしょう欲しいなあと思いつつ、もっしゃもっしゃ食べる。
「ところでこんな活火山地帯に何を求めてきたのだ?」
クワルツさんが鹿を咀嚼しながら、疑問を吐く。
「昔、私はここでしばらく暮らしていたことがある。地の利があるからな。賢者たちを撒くには最適だ」
「お師匠さまに会いにきたのではないのですか?」
わたしの言葉に、先生は渋い顔になった。
「この世に並ぶことなき尊き御方を目覚めさせるのは、私の本意ではない」
「あのラーヴとかいう魔法使いか?」
クワルツさんが疑問を発して一拍、軽い地震が来た。
「我が師の名前を容易く呼ぶな! 特にこの地で呼ぶと、地震が起きるだろう」
「どういう存在なのだ」
問いに対して、先生は口を噤む。
【制約】の影響があるのか、ぺらぺらと喋れないんだろう。
「この大陸になってる古代竜が、オニクス先生のお師匠さまなんですよ」
わたしは邪竜呼ばわりされているラーヴさまのことや、世界鎮護の魔術師の役目など、ざくっと説明する。
「……『ステラ伝』か」
クワルツさんから神妙な呟きが漏れた。
「聞いたことないお話ですね。なんですか?」
設定資料集にも載ってないお話だ。
聞きたくて身を乗り出してしまう。
「五百年前、神の啓示を受けた修道女ステラのお話だ。楽しいはなしではないぞ」
前置きはため息じみていた。
「修道女ステラは大地震が起きると啓示を受け、村人たちを避難をさせたが、一年たっても何も起きない。二年たってもまだ起きない。三年経った、四年経っても地震も増水も起きない。五年も放置された畑や水路は無残なものになった。六年目にとうとう修道女は火あぶりにされたが、翌年に地盤沈下して村人はみんな死んだ」
「なんだ、その救いのない話」
なにひとつ救いがない。
修道女も、村人も、不幸だ。むしろ啓示さえ降りなければ、死ぬ寸前まで幸せだったのでは?
「この手の話は聖書によくあるのだ。神の啓示は数年で実るものではないという教訓だ」
「魔法予知による過去事例4582だ」
先生が呟く。
講義しているような口ぶりだった。
「よくある予知の事例を、神の啓示などと粉飾するな。だから教会はいまだ無知蒙昧が犇めいているのだ」
「人はみな等しく罪深く、無知蒙昧だ。隣人が無知で罪深くば、己もまた無知で罪深い」
クワルツさんは静かに語る。
「怪盗ではなく司祭だったか?」
「吾輩が神学校を卒業したのは去年だ。物言いが宗教じみても仕方あるまい」
は?
その発言にわたしがびっくりする。
「神学校? クワルツさんって神学生だったんですか?」
彼は闇耐性がずば抜けて高いから、設定資料集の記載がめっちゃ少ないんだよな。
家族構成とか、実家が果樹園とか、好物がワインとエスカルゴとチーズってのは載ってる。でもそういえば学歴は無かった。
「吾輩は怪盗、神に祈りはせん。だが国内で醸造学の講義が取れるのが、労働派修道院付属高等神学校しかなかったからな」
そりゃワイナリー継ぐんなら、醸造学を学んだ方がいいだろうな。
薬草酒が修道院の専売特許だった時代が長かったし、お酒造りを体系的に学ぶなら修道院がトップクラスだ。
「エノログも欲しかったから」
「エノログってなんですか?」
「ワイン醸造資格だ」
即時に答えてくれたのは、オニクス先生だった。
「王国が認めている資格ではなくて、修道院が認定するものだ。だから西大陸でほぼ通用する。きみはエノログ持ちなのか……」
先生が感心しているみたいだった。
「あと二年の実習を終えたら取得できる」
実家で二年働いたら、その資格が取得できるんか。
「怪盗のワインか。興味はあるな」
もう飲んでますよ、先生お気に入りのプレニット農園産ワインです。
クワルツさんは何を言っていいか迷ったのか視線を彷徨わせ、それからはにかむように笑った。
「そのうち届ける。吾輩が造ったワインをな」




