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第十四話 最強装備『オリハルコンのドレス』


 クワルツさん、空中庭園の礼拝堂に置いてけぼりしちゃった。

 ど、どうしよ。


「ミヌレちゃん、ニックは大丈夫よ」

「先生じゃない方を心配してるんです……」

 冷や汗が伝う。

 いつの間にか姿消してたから忘れてたけど、マジでどこにいるんだ。

 あんなに魔術騎士団が徘徊している中、怪盗だってバレたら捕まっちゃうんじゃ……? 

「クワルトスくんの方?」

 さらっと聞かれる。

「へほっ?」

「あの黒い魔狼って、クワルトスくんでしょ」

「え、ええ」

「彼も大丈夫よ。エクラン王国騎士団だって無能じゃないけど、その騎士団に何年も尻尾を掴まれていないのよ」

「やっぱりクワルツさんの衣装って、ディアモンさんの作ですか?」

 図書迷宮まで遠出した時、衣装を仕立てたの「王都の仕立て屋だ」って言ってたもんな。

 あんな風変わりなデザインと、研ぎ澄まされた機能性を持つ衣装、仕立てられるのはディアモンさんくらいでしょ。

「そうよ! セクシーでアバンギャルドで、いかにも反社会的でいいでしょ。あれは並の魔術師じゃ着こなせないわ!」

 並じゃなくても着こなせねぇよ。

 ディアモンさんの大きな声が呼び水になったのか、奥からの扉が開いた。

 エグマリヌ嬢だ。 

「ミヌレ! よかった、無事で……」

 きらきらした氷色の瞳が、わたしを映して、潤む。

 エグマリヌ嬢に抱き着かれる。

「さあ。ふたりともお風呂に入って。バスソルトはね、ハーブフラワーの香りとオレンジピールの香り。どっちにする?」

「オニクス先生は、どっちが好きそうですか?」

 わたしの質問に、大粒の瞳は瞬いて虹に輝き、氷色の瞳は憂色に翳った。

「そうね……オレンジ、かしら? 鴨料理のソースはショコラよりオレンジ派だし、ワインを褒めるときにフルーティーって単語は使うけど、フローラルって表現しないから」 

「ディアモンさん、そんなに先生と一緒に食事するんですか……?」

 わたしの胡乱な眼に対して、ディアモンさんは小首を傾げた。

「二か月一回だけよ。ニックをアトリエに招いてるわけじゃなくて、レストランで食事するの」

「デートじゃねぇか!」

「違うわよ。ただね、アタシだって王都に駐在してるんなら、オペラを見に行きたいのよ。舞台衣装が見たいの。でもアタシの見た目でオペラをおひとりさま鑑賞すると、どうしても声を掛けられるのよ。そこでニックよ。彼がエスコートしていれば、誰もアタシに声をかけないでしょ? エスコートのお礼として高級ディナーをごちそうしてるのよ」

「二人きりで?」

「ええ、まあ」

「やっぱデートじゃねぇか! ちくしょう!」

 地団駄踏んでぷんすかする。

 ふたりきりでドレスアップして、オペラ鑑賞と高級ディナー。

「ちくしょ~、許せねぇ~、私にそんな権利ないのに許せないという感情だけが迫り上がってくる~」

「恋ね。ニックのどこがいいのかしら?」

「声と匂い~」

 わたしの即物的発言に、ディアモンさんは微苦笑した。

 心のままに呻いていると、いつの間にかお風呂の支度が整ったらしい。

 ぐずついているわたしをエグマリヌ嬢が引っ張って、風呂場に連れていく。

 紺色と珊瑚色のタイルの湯殿だ。正午の明るさと、濃密な湯気と、オレンジの香りが溢れる程に満ち満ちていた。

 湯舟は鉛鍍金された銅製で、麻のシーツがたっぷりと引いてある。大きな湯舟だ。わたしは小柄な方だから、ふたり一緒でも窮屈じゃない。お湯が波紋するたびに柑橘の甘酸っぱさがふわふわ満ちた。

「ミヌレ。髪、洗ってあげる」

 遠慮するのも水臭いかなと思って、わたしは素直に頭を差し出した。

 湯舟の中で、エグマリヌ嬢が髪を丁寧に洗ってくれる。

「ボクは友達の婚約式に出席するの、初めてなんだ。従姉のはあるけど」

「貴族の婚約式って豪華そうですね」

「今どきは慎ましやかだよ。従姉はね、うちの城のオランジェリーで婚約式を挙げたんだ。流れとしては司祭さまの前で婚約書を書いて、婚約記念品の交換。そのあと、お茶会して、従姉のハープ演奏会。半日で済ませたよ」

「まずオランジェリーって時点で豪華ですからね」

 婚約式。

 幸せな響き。その単語を口の中で呟けば、砂糖菓子みたいに脆く蕩ける。

 でも婚約が目的じゃない。

 お式が終わったら、オニクス先生は居なくなる。わたしの前からきっと消えてしまう。

 ふわふわ舞うシャボン玉。

 見つめた途端に弾けて消えた。なんて儚い。

「ミヌレ。浮かない顔してる」

「そうでしょうか?」

 わたしは笑みを装ったけど、エグマリヌ嬢は憂いを深める。

「家族を婚約式に呼べないなんて、辛いよね」

「その概念はなかった!」

 そういえばいたな、ミヌレにも、家族が。

 他人事なのは、いまだ家族の顔も思い出せていないからです。

「婚約式って両家の顔合わせがメインだからね!」

「そ、それは庶民も一緒です」

「家族に関しては、年上のあの男が手はずを整える箇所だよ」

「絶対に気を回しませんよ」

 わたしは笑いながら、嘯いた。

 家族へのご挨拶か。婚約したら、寮母さんへ報告しに伺った方がいいのかな。

 革手袋の耳障りな軋みが、鼓膜に蘇る。

 気が向いたら、そのうち行くか。




 柑橘の香りとティーガウンに包み込まれ、わたしたちはアトリエに案内された。 

 ディアモンさんのアトリエ、初めて入る。

 刺繍台にぴんと張られた刺繍しかけの絹。飴色の棚からは多彩な糸が垂れ下がり、この世界にあるすべての色が糸として存在しているみたいだった。

 特に素晴らしいのは、中央に敷かれた絨毯だった。

 その色の豊穣さといったら、棚から垂れる糸たちが、雫になって落ちたみたいだ。世界中の色が溢れている。目を離したら色が変わってしまいそうな、万華鏡めいた輝きだった。

 このアトリエが色彩の神さまのお部屋だって言われたら、わたしは無邪気に肯定しただろう。たとえ神さまを信じなくても、肯定はできる。


「これがミヌレちゃんの婚約式用ドレス。どうかしら?」


 木製のトルソーに着せられていたのは、真珠色のドレスだった。

 リボンもない。

 レースもない。

 フリルもない。

 ボタンもない。

 房飾りもない。

 刺繍もない。

 造花もない。

 流行のドレスに使われる装飾は、一切無かった。

 代わりにドレスを満たしているのは、繊細かつ無数のプリーツだけ。肩から裾まで、途切れずに施されている。プリーツなんて既存の名称で呼ぶにはあまりに繊細かつ絢爛、人の手によるものだと思えない精緻さ。

 アクセントなのか重しなのか、肩と袖には刺繍玉が雫となって下がって揺れている。

 

 ミヌレの最強装備だァアアア!


 これ、ゲーム中にディアモンさんにドレス全種類作ってもらった後、クリア後ダンジョンの『永久回廊』から、オリハルコンシルクを入手して渡さないと完成しないドレスじゃねーか!

 敵(ボス以外)の物理攻撃が全部ミスになって、全属性耐性が付与されるのだ。

 うを、うをぉ、予知で視た時よりずっと可憐だ。


「妖精郷の正装か、神話のお姫さまのドレスですね」

「『夢魔の女王』のための婚約ドレスよ。本縫いはまだなの。試しに袖を通してみて」

 ディアモンさんとエグマリヌ嬢の手で、婚約ドレスを着せてもらう。

「補正下着は無いんですか?」

「ええ。ミヌレちゃんの身体に、補正するところなんてないもの」

 あるだろ。

 口には出さなかったけど、湧いた感情はディアモンさんに読み取られてしまったらしい。微笑みを浮かべられる。

「正確に言うとこのドレスはね、補正してないミヌレちゃんが、いちばん綺麗になれるドレスよ」

 プリーツのドレスを着せられて、整えられる。

「襟ぐりと袖のバランスは良いみたいね。ちょっと歩いてみてくれる?」

 おしとやかに歩いてみれば、トレーンはゆったりと引き、プリーツは幽玄に揺れる。シルクはわたしの動きに従いながら、わたしの挙措を可憐に装ってくれた。

 足を進ませるたび、わたしに心臓は無いのにどきどきする。

 たった一歩、足を踏み出すだけで自分が可愛くなった気分になる。

 すごい。

「足取りに絡まなくて動きやすいのに、優雅ですね。風を纏っているみたい。こんな素敵なドレス。世界の誰ひとり、着たことがないですよ! 最高のドレスです」 

「東方魔術師のツテで、特別なシルクを取り寄せてもらったの。オリハルコンを食べさせた蚕で織ったシルクよ!」

「えっ? 蚕って葉っぱ主食ですよね……どうやって金属を…?」

 エグマリヌ嬢が疑問を発してくれた。

 そうだな。ゲーム中に登場するからそういうもんだと認識してたけど、蚕にどうやって金属を喰わせたんだ?

「0.2%のオリハルコン錬金液を、桑の葉っぱに吹き付けて食べさせるのよ。不燃性と強靭性に富んでいて、防刃効果があるの。東方大陸だと皇族しか纏えないご禁制シルクよ」

「いいんですか? そんな高価で貴重なもの、わたしのドレスにしちゃって」

「月に属する魔術師が、世界鎮護の魔術師以上に敬うものはないわよ」

 さらっと告げられる。 

 そうか。わたし、けっこう偉いのか~

 オリハルコンシルクのドレスを、ひらひら揺らす。

「宝飾はないんですか?」

 エグマリヌ嬢から質問が出た。

 貴族の婚約や結婚の場には、宝石が輝いているのが普通だもんね。

 わたしも本当は身に着けたい。

 先生が作ってくれた装飾品たちを纏いたい。月長石とアクアマリンのペンダント、ゴーシェナイトのスカートグリップ、それからガーターベルト。ぜんぶ学院に没収されたままだ。

 それらを纏えないのは、本当は寂しい。

「付けられないのよ、ごめんなさい。アタシもミヌレちゃんには、真珠とか月長石とか円やかな半貴石が似合うと思うんだけど、護符や呪符の材料を渡すわけにはいかないの」

 護符や呪符だけじゃなくて、その材料さえ警戒対象なのか。

「じゃあオニクス先生の作ってくれたペンダントなんて、絶対ダメですね」

「えっ! あれ、あの男のお手製っ!」

 エグマリヌ嬢の驚きが響く。

「あらあら、意外ね。器用なのは知ってたけど、ニックがアクセサリー作るなんて」

「ハンクラ仲間じゃないのッ?」

 わたしの驚きが響いた。

 だってどういうこと!

 ハンクラサークルだと思って、納得してたのに!

 納得して呑み込んだ話題を、胃の中から引きずり出されてウゲェロオオオって感じだよ!

 身体感覚に語彙がついていかねぇよ!

「ニックと手芸や細工? しないわよ。ニックって技術は卓越しているけど、センスが押しつけがましいじゃない」

「話題しないのに、技術があるってご存じなのは何故だ」

「ミヌレちゃん、圧が強いわね。知ってるのは、ニックの作った義歯を見たことがあるからよ」

「初耳!」

 先生、歯医者の資格あるの?

「護符を義歯化して、体内に埋め込んだ人体実験のレポート。月に所蔵されているから、閲覧申請してみたら? あれなら正気でも読めるわよ」

 はぁん………

 そういう実験の過程で、義歯作りが上達したのか。

 義歯で培った技術で、彫金アクセサリーを……その過程は、オニクス先生らしいっちゃらしいわなあ………

「………じゃあ共通の話題って何ですか?」 

「人権を持ってるゆえの義務と権利ね」

「具体的にお願いします」

「税金と福祉」

「年寄りかよ!」

 確かに魔術師って、課税額が多くなりがちだから話題になりやすいの分かるけど!

「ニックは【睡眠】が攻撃魔術に分類されないように、議会に抗議文書を提出しているんだけど、ここのところは分が悪いとか。最近した話はそんな感じね」

「【睡眠】を攻撃魔術に入れたら、庶民だと手術の負担金が増すのでは……」

 闇属性【睡眠】は、主に手術の麻酔として利用されている。

 そこに課税されたら、医療費が爆上がりするぞ。

「そうね。国王陛下も結婚式を挙げるし、そのあとのことでも物入りなんでしょうよ。どこかからお金を持ってこなきゃねぇ」

 そういえばそうだったな。

 国王陛下のご成婚パレードがある。庶民は結婚式を見学できないけど、その代わりに大規模なパレードが眺められるんだよ。

 攻略キャラと一緒にパレード見学すると、恋愛値が爆上がりするんだよねえ。

 そうか、結婚式やパレードの資金調達で増税できるところ探してるのか。

 華やかなイベントを見たいけど、【睡眠】に課税すんのは医療福祉的にヤバいだろ。

 そもそも国王の結婚なんて、何年も前から決まっていたのに、いまさら増税ってなんだよ。予算を組んどけ、議会。

「ミヌレちゃん。王族の結婚より、明日の婚約よ。これで本縫いしても問題ないわね」

「お願いします」

 こんなに綺麗なドレスを纏って、わたしは先生と婚約するのだ。

 仮初でも嬉しい。

「髪型はどうする? 特別な結い上げは無理だけど、普通の夜会程度の髪型なら作れるわよ」

「ミヌレにはリボンのティアラ結いが似合うと思う。どうかな?」

「どんな髪型ですか?」

「貴族の女の子がよく誕生会にしてる髪型ね。あれなら結えるし、清楚で豪華よね。リボン持ってくるわ」

 ディアモンさんの収蔵してるリボンの数ときたら、なまじのリボン屋さんより多いくらいだった。

 わたしはソファに座って、エグマリヌ嬢にリボンをとっかえひっかえ当てられている。

 薔薇色に金の光沢が混ざっているリボンは、暁の一筋をそのままかたちにしたみたい。他にも深い海底の蒼さを模した綸子。光の差し込み加減で紫や緑に変貌する繻子。東方刺繍は立体的で、ダイヤデムみたいに輝いている。

「このレースもいいよね」

 エクラン王国の各地方特色豊かなレースたち。職人が編み上げた芸術の粋だ。わたしのため息でさえ傷つきそうな繊細なレースばかりで、ひとつひとつが小箱に入れられている。

 どれもこれも綺麗だけど、プラティーヌ殿下を連想しちゃってなんか駄目。

「こっちの箱は何かな?」

 レースたちを押しのけて、別の箱を開ける。

 白木綿モスリンに白糸で刺繍を施してあるリボンたちだ。

 精緻さもびっくりするけど、漂白が完璧だった。

 漂白って作業、エクラン王国じゃめっちゃ金がかかるんだ。この国は鉱石や宝石がたくさん掘れる代わりに、水の質が硬すぎるの。お洗濯や漂白に向かない水質。

 だから純白だって言える木綿が欲しかったら、外国から買わないといけない。完璧に漂白された白木綿モスリンって、絹と同じくらいかそれ以上に高価なの。

 シルクに、レースに、白モスリン。

 このなかからたったひとつを選ぶなんて、一晩かかっても困難だ。

「困ったね。ミヌレは可愛いから、なんでも似合うね」

 エグマリヌ嬢はまったく困ってない口調で、えくぼを作っている。

 小箱のひとつをまた開く。

 漆黒のリボンが入っていた。

 ああ、これはオニクス先生の眼差しの色だ。

 夜の闇、畏怖と慈悲。

「それもオリハルコンシルクのリボンよ。ニックの衣装作ったときの残り、そっちに紛れてたのね」

 先生の花婿衣装の残り。

「わたし、これがいいです! 先生とお揃いにします!」

 途端にエグマリヌ嬢がめっちゃ翳った。

「ミヌレ、こんなに愛らしいのに……あんなのと婚約するのか…」

 苦渋が漏れる。

 漏れた感情は僅かばかりだけど、耳にしただけでぞっとする苦さだった。エグマリヌ嬢は絶望味のチューインガムでも噛んでるのかな。 

 早くそのチューインガムが吐きだせるといいね。

 わたしは完全に他人事みたいに考えて、手元のリボンに視線を落とす。



 オリハルコンドレスは、わたしの最強装備。

 そう、『婚約』のドレスが、最強…つまり最終の装備。

 次の装備は、無い。


 わたしは深く考えることをやめ、宵闇色のリボンを愛撫した。

 たとえ刹那の茶番であろうと、今はこの美しさと幸せを噛み締めよう。


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― 新着の感想 ―
[一言] 話が明るい方向を向いてきたと思ったら、最後の一文で真っ暗な谷底を見せられる、この絶妙な薄暗さと飴鞭具合が最高です。 様々な妨害が入っても主人公がブレずにいるのは読んでいてとても楽しいです!最…
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