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第十五話(前編) 破門司祭が不受理の鐘を鳴らすなら




 ディアモンさんの針が止まっていた。

 無言で視線を動かす。その先にあるのは、置時計だ。透明な水晶を文字盤にしているから飾り気がないのに豪奢で、長針と短針にはダイヤモンドが輝いている。  

「昼食の時間、とっくに過ぎてるわね。ほんとは家政婦を雇えればいいんだけど、ここは非公式の賢者連盟支部なの。使用人を置いておけないのよね」

 喋りながら、針を片付けていく。

「伯爵令嬢に頼み事するのは気が引けるけど、近くのお惣菜屋さんで食事をテイクアウトしてきてくれないかしら。徒歩で五分くらいね。孔雀の紋がトレードマークよ」

「お任せください。ディアモンさんはドレスに集中を」

 エグマリヌ嬢は、貴婦人の頼みを受けた宮廷小姓のように一礼した。

 世界鎮護の魔術師(予定)のわたしを、見張りなしで出歩かせるわけにもいかんだろうな、賢者連盟に属するディアモンさん的には。でも空腹で過ごすわけにもいかない。

 ディアモンさんはシルバーフィグリーのカード入れから、薄いカードを出した。貴族や財閥など、いわゆる上流階級の方が使うカードだ。どこかの家を訪問した時に、会いたい相手が不在だったらこの訪問カードを残していく。

 銅板画の訪問カードには、ディアモンさんの名前と縁飾りが綴られていた。裏側にメモを書きつけ、エグマリヌ嬢に渡す。

「ツケで買えるわ。お惣菜は何でもいいわ。アナタの好きなものでも、シェフの本日のお勧めでも」

「ミヌレは食べたいものあるかい?」

「わたしは何でも好きですよ。ああ、でも『小鳥の墓』があればそれが食べたいですね」

 訪問カードを持って、エグマリヌ嬢は出かける。

 インクを使った後、ディアモンさんは飾り棚へ向かった。いろんな香水瓶が並べられて、香水用のコルク抜きが置かれている。

 香水瓶をひとつ、手に取る。花形の空洞を持つ香水瓶だ。葉っぱのかたちの栓を抜けば、麝香を基調にした古典的な香りが立ち上る。濃厚なんだけど、ミントが入っていて爽やかさがある。

 ディアモンさんは香水をほんの僅かだけ指につけて、ハンカチで拭う。

 エクラン王国って昔は水源が少なくて、水の護符が一般化するまでは水が貴重だったの。だから昔の上流階級のひとは、ささいな汚れは香水で拭いていたの。

 香水より真水が高かった時代なんて想像つかない。でも香水で汚れを拭う古めかしい風習は、浪漫が漂ってきて好き。

 ディアモンさんってドレスは斬新なんだけど、所作と香水は古風なところがあるよね。

「ミヌレちゃん、『オリハルコン賛歌』の抄録だけどね」

「大事に読ませて頂きます」 

「もう踏んでるわ」

 ディアモンさんの笑い声に、わたしは足元を見る。

 わたしの足の下にあるのは、極彩色の絨毯だけだった。

「この絨毯が『オリハルコン賛歌』?」

「ええ、色彩象徴語で綴られた魔術書よ。砂漠の言語のひとつね。これを現代魔術の理論とジズマン語に直したのが、『時空間魔術の位相入門』なのよね」

「ディアモンさんは読めるんですか? この絨毯を」

「大まかならね。師匠に弟子入りして十二年かしら。やっとまともに解読できるようになってきたのよ」

 オニクス先生はそんな高次元な言語を、わたしに読めっていうのか。

 だけど、先生が勧める以上は、わたしに読める可能性があるんだろう。

「色彩象徴語を解説した『砂漠魔術図案』があるから、持ってくるわね。待ってて」

 ディアモンさんが席を立つ。

 独りだけ残された部屋。色彩の洪水の中、わたしは絨毯に膝をつく。

 

 ≪……懐かしい≫  


 ソプラノが鼓膜に響く。

 この美しい声は、ラピス・ラジュリさんの声だ。

 魔法空間に捕らえている【屍人形】の意識が、わたしの意識まで昇ってきた?


 一瞬、ぞっとしたけど、鼓膜に届くソプラノに敵意はない。

 まるで異国の唄を口ずさんでるみたい。


 ≪千年前、砂漠の帝国が亡び、生き残った民は流浪していった………これはあたくしの故郷の風景……≫

 

 刹那、わたしの網膜に、砂漠の光景が広がった。

 赤き砂漠にキャラバンが往き、黒い木陰が折り重なる下にはバザール。ジャスミンの花が散る路傍に、シタールを抱く老人。途切れなく駱駝たちが行き交う。こぶのついた背に積まれているのは、ナツメヤシやピスタチオ、タマリンド。

 ああ、色のひとつひとつの意味が分かる。

 明るい赤は砂漠の色、オリハルコンが入り交ざった大地の色。赤に黒が隣り合えばそれは影を示す。影とは癒し。影とは憩い。底抜けに明るい青は空、底の無いほど深い青は海。点在する黒ずんだ赤は、干したナツメヤシの色。砂漠の民たちがもっとも愛した果実の色! 生命の糧の色!

 色に込められた想いが、彩に纏わる歴史が、わたしの網膜に飛び込んでくる。


 この無限に存在する色のひとつひとつに、意味がある。

 色が隣り合うたびに意味が膨らみ、あるいは打ち消されていく。

 ひとつひとつの色を視るんじゃない。

 これは一枚の絵として俯瞰するんだ。

 でないといつまでも意味が膨らんだり弾けたりするだけで、呪文の末尾は結ばれない。


「永劫の流転を押し戻す海嘯、死はひとつの波、豊穣のナツメヤシ、香木の灰、死者の没薬 砂に死ぬ太陽は、海から生まれる月の伴侶」


 わたしの口から呪文が紡がれる。


「生命は螺旋 不死鳥の翼の影に触れよ、死を凌駕するために 【断末消滅】」



 わたしが今、紡いだ言葉は時魔術【断末消滅】の護符を作るための呪文だった。即死キャンセルっていう高レベルの護符だ。 

 もしかして『オリハルコン賛歌』って、時魔術が載ってる砂漠遺跡の古文書の原文か。

 ふーん。じゃあ遠路はるばる遺跡まで足を運ばなくても、時魔術が習得できるな。やったね。

 わたしが絨毯を見下ろしていると、扉が軋む音が響く。

 入口でディアモンさんが突っ立っていた。

「ディアモンさん。これ、抄録ですよね。全文は何処で読めるんですか?」

 全文があったら、【断末消滅】だけじゃなくて【時間遡行】も作れるようになるな。

「………読めたの?」

「読めました」

 わたしの返事に、ディアモンさんは呆然としていた。

 どした?

 焦点が宇宙の彼方にいってるぞ。

「……まさか…そんな………師匠でも解読に四十年かかったのよ……」

 わたしがすごいんじゃなくて、ラピス・ラジュリさんのおかげである。

 彼女は色彩象徴言語を知っていたんだ。その知識が知識としてじゃなくて、実感としてわたしに流れ込んできた。だから読めたんだ。 

 わたしの魔法空間にいるラピス・ラジュリさんのこと、説明しなきゃな。あ、でもそれってプラティーヌ殿下のことまで説明するハメになるかもしれない。

 ディアモンさんは王党派な気がする。

 だって食事の時間に家政婦を雇えないことを嘆くのは、自分で料理しないからだ。行きつけのお惣菜屋さんがあるところからして、労働階級の生活様式っぽくはないぞ。

 それからオペラ観劇という趣味。香水で汚れを拭く所作。訪問カードを常備している点。なにより時間を確認するときに、部屋の中に時計があって当然という動作。労働者階級だと個人宅に時計はないもの。王都の庶民は、窓の外に身を乗り出して教会の大時計で時間を確認するからさ。

 上流階級の習慣が、自然に馴染んでいる。

 たぶん育ちが貴族寄りだろう。

 エグマリヌ嬢やサフィールさまは、騎士が野営するときの嗜みとして料理するけどさ。これは家庭料理とはまた別だ。

「ディアモンさんは王党派ですか?」

 突拍子もない質問に、ディアモンさんの呆然とした瞳に光が戻った。

「え? 当たり前じゃない。アタシはテロリストじゃないもの」

 ふへ~、そうか~、王党派以外はテロリストかぁ~

 じゃあラピス・ラジュリさんの件は、説明するのスキップな~

 ちくしょ~、なんで頼れそうなクワルツさんとディアモンさんが、ガチの王党派なんだよ。あのクソ殿下のこと、相談できね~

 エグマリヌ嬢には逃がしてくれた恩義があるから、これ以上は迷惑かけたくねぇし。


「わたし賢いので読めました!」


 真顔で適当なことをほざく。

「そ、そう。【精査】か【探知】みたいな魔法でも使ったのかしら? ニックが勧めるはずだわ」

 うん。だいたいそんな感じなので、納得してください。

 玄関から物音が聞こえてきた。

「エグマリヌ嬢が戻ってきたんでしょうかね」

「あ、そうね。テーブルセッティングしなくちゃね」

「わたしがやります!」

 あまり得意じゃないけど、エグマリヌ嬢とディアモンさんを働かせて、わたしだけ遊んでるのも気詰まりだもの。

「ありがとう。臙脂色のカップボードに、藍絵白地の食器があるわ。あれは連盟の備品なの。自由に使って」

 わたしはキッチンで、テーブルを整える。

 学院でやっているテーブルマナーの見様見真似だけど、こんなもんかな~

「ミヌレ、ディアモンさん。司祭さまがいらっしゃいましたよ」


 司祭さま!

 教会から破門されて、魔術師やってるというウワサの元司祭さま。

 どんな方だろう。


 エグマリヌ嬢と一緒に登場したのは、四十がらみの司祭さまだった。

 司祭さまという形容以外、なにも思いつかないくらい顔立ちも雰囲気も司祭そのもの。

 しいて言うなら貧乏管区の司祭って雰囲気だ。温厚そうというか、気が弱そうというか、腰が低そうというか。教会の修繕や孤児院の金策に、ずっと奔走しているタイプ。

 破門って単語は似合わない。

 テュルクワーズ猊下は青とも緑ともつかない曖昧な色合いの瞳を、わたしとエグマリヌ嬢の間でうろうろさせている。

「えーと、すみません。あっ、ああ、さきに自己紹介しなくちゃ。はじめまして。賢者連盟のテュルクワーズと申します。あの、『夢魔の女王』ミヌレ・ソル=モンドさまは、どちらのお嬢さんでしょうか?」

 夢魔の女王って立派な二つ名をつけられると挙手しづらいです。

 返事をしないわけにはいかないので、そっと手を挙げた。


「婚約不受理されました」


「は?」

 不受理だと?

 これだけ盛り上がっておいて、不受理とはどういう了見だ。



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