表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
531/533

ミニャルディーズは幸せに 6



 カフェの奥には、室内の個室席もあった。

 純白緞子ソファが並び、全員がゆったり座れる。

 天井には古風な天使画。白漆喰の壁には凝った装飾が描かれ、間接照明である【光】の護符は金硝子に封じられている。白漆喰の装飾には、柔らかな黄金の光と陰影が描かれていた。

 室内は優美なんだけど、泣きじゃくる声が絶えない。

「エマちゃん、ぼくだって分かるの? こんなでぶでぶになって、使用人たちからだって歩行式ラードって言われてるし」

「そんなひどいこと言われているの? 可哀想に。あなたは泣き虫ちゃんだから、使用人にも強く言えないでしょう」

「そうなの。言えないの」

 コランドン氏はべそをかいて、エマイユさんはレースのハンカチーフで涙を拭いてあげている。

 やや離れた場所にいるラリマー編集長は、すごい嫌そうな顔でマカロンを頬張っていた。兄が人前で泣きじゃくっていたら、気まずくなるかもしれない。うちのルイ兄さんが泣くのは、葬式くらいだけど。

 ニケル氏はラリマー編集長の隣にいたけど、視線は犬たちと遊ぶプロンちゃんに向けていた。もうこの事態には関係なくなったとばかりに、犬たちとプロンちゃんの愛らしさを堪能している。

「ごめんね、エマちゃん。ぼく、泣き虫で」

「乾いた心でいるよりずっといいわ」

 優しく蕩けるような囁きだ。なんだか聞いているだけで恥ずかしくなるくらい、甘い。

 ラリマー編集長は太眉を顰めて、家紋入りのハンカチーフを出した。

「コラン兄さん、あんまり俯いていると鬱血するよ」

 首の贅肉にハンカチを差し込む。

 太り過ぎると、自分の贅肉からダメージを喰らうんだ。

 すすり泣きが続く空間に、呻きが混じりだした。

「ぅ、うう……」

 気絶したセラだ。寝椅子に横たわっている。眉間に皺を寄せたままだから、悪夢に魘されているみたいだ。

 突然、青磁の瞳が開く。

「母さま! 父さまは死んだって言ってた!」

「ええ。子爵さまにそう言われたもの」

 セラの悲鳴じみた詰問に、エマイユさんはふんわり答える。

「そのわりに生きてたの、すぐ納得したね。知ってたの?」

「知っていたわけじゃないけど、見え透いた嘘だったもの。爵位継承順の高そうな貴族なのに、社交欄に死亡記事が載らないなんてことあるかしら?」

 確かに爵位相続の高い人間が亡くなったら、社交新聞に載る。

 死亡したって騙されたけど、騙されきっていなかった。

「でもコランドンさんはお父様の嘘を信じてしまったのね。可哀想に」

 エマイユさんはコランドン氏の頭を撫でてあげる。

 コランドン氏からまだ涙は流れていたけど、微笑みになっていた。幸せそうに初恋相手を見つめる。

「エマちゃん、結婚しよう!」

「お断りさせて頂くわ」

 華やかな笑顔で、甘い声で、紡がれたのは間違えようもない拒絶。

 コランドン氏は面食らって、浅い水溜まりの魚みたいになっている。あとセラも。

「ど、どうして? 父上も母上も亡くなったよ。もう大丈夫」

「だってあなたって恋人としては可愛いけど、夫して頼りないじゃない。あなたみたいな頼りない殿方と一緒になって、貴族階級で社交するなんて真っ平だわ」

 微笑みながら告げる。

 残酷……いや、わりと事実っぽいし、辛辣なのかな。

「コランドンさんは身分の釣り合うしっかりしたご令嬢を……」

「やだぁああぁあああああっ!」

 豪快に泣き出した。

 涙の閾値が低すぎる。

「エマちゃんだけなのに! だって他の女の子は、爵位と財産目当てで……」

「わたくしもそうよ」

「知ってる!」

 エマイユさんの言葉は早かったし、コランドン氏の返しも早かった。

「そんなの分かってる! エマちゃんだって、ぼくの爵位相続権と実家の財産が好きなんだって。でも他の女の子は、ぼくなんか邪魔だって思ってた。ぼくといっしょにいるのは、血筋とお金を得るための嫌な義務だった。だってぼく、中身もよくないし、見た目もよくないし……」

 斜め後ろのラリマー編集長が、そっと頷いている。

 そこで頷くのは、事実だとしてもちょっと可哀想なんじゃないかな。

「分かってるんだ。ぼくが、ぼくが無能だから、魅力が無いから、寄って来るのは爵位と財産目当てのひとばっかなんだって。兄さんとラリマーはきちんと友人もいて、ぼくは……」

 泣き声が続きかけたけど、コランドン氏が自分で嗚咽を呑み込んだ。

「エマちゃんだけなんだ! エマちゃんだけが、ぼくを爵位と財産のかわいいオマケだって思ってくれていた。そうでしょ!」

 エマイユさんは否定しなかった。

 陶磁器めいた顔立ちに、哀しそうな、嬉しそうな、憐れむような、でも……やっぱりそのどれでもないような不思議な微笑みを浮かべて、コランドン氏を見下ろしていた。

「ぼくはかわいいオマケでいたいよ!」

 泣きじゃくりは続き、嗚咽になり、肥満のせいなのかすぐ息切れした。

 三重顎が紫がかっている。

 窒息したんじゃないか?

 なんともいえない湿度の沈黙で、最初に口を開いたのはエマイユさんだった。

「コランドンさん。あなたと結婚はしたくありませんけど、この子に祖名を名乗らせてあげてもいいかしら?」

 視線がセラへ向けられる。

「父さまは、僕を、庶子として認めてくれる?」 

「当たり前じゃないか! こんな愛らしい娘が、ぼくとエマちゃんに生まれていたなんて。春の花がきみの愛らしさに負けて、盛りを逃してしまいそうだよ」

 可愛らしさを褒めちぎられて、セラはまんざらでもない感じだった。

「セラドンは息子よ」

「そうなの? どっちでも可愛いよ」

 もうセラは完全に上機嫌になっている。

 ぼくとしてはセラが辛くないなら、もうそれでいい。あとは他人の家庭の事情だ。

 ちらっとアルへ視線を送る。

「いいんじゃねーか。コランドンさんは悪い人間じゃなさそうだし」

「そうだね……」

 コランドン氏は父親からの嘘を信じ込んだり、涙もろかったりと、頼りない。

 でも悪い貴族じゃなさそうだった。

 






 


 屋根裏部屋に朝焼けが届けられて、目覚めた。

 日の出が早い。明日からは牧草月だもんな。夏が来る。

 顔を洗って着換えて、朝ごはんを食べ、筆記用具とお弁当を抱えて登校する。

「いってきます」

 天候は心地よく、朝ごはんも美味しかったのに、足取りは重い。

 もちろん肉体はいつだって重いし、湿っぽいし、枷だし、ちょっと煩わしさがある。でも今日は特に重くて狭い。

 正門前でアルと鉢合わせた。

「おっす」

「おはよ」

 短く挨拶を交わして、玄関に向かう。

「今日もセラは学校に来ないかな……?」

 コランドン氏と会ってから、ずっと登校していない。

 家族で今後の話し合いをしているんだろうな。どんな結果になったのかな。

「そりゃ貴族の子だったら、通学校なんて階級違いだ」

「寄宿校に移っちゃうのかな……」

「誘拐の危険があるんだから、それがいちばんだ」

 割り切った口調だ。

 そこまで割り切れない。

 ぼくが卒業するまで、学校にはアルとセラがいると思っていた。残り僅かな時間、大事にしたかった。いきなり転校しちゃうなんて予想外だ。

 両脚をなんとか交互に上げて、とろとろ階段を昇って行く。

「カイ、お前かたつむりになる気かよ」

「ほんとにかたつむりになったら、肉体は捨てるよ」

 投げやりな気分で返して、教室のドアを開ける。

 セラがいた。

 華やかなレースのベストに、初夏を先取りした青のリボン。サテンの縁取りのキュロットに、真っ白いタイツを履いていた。

 貴族の子息みたいな恰好だ。いや、みたいじゃない。

「……セラ」

 ぼくは呆然としちゃったし、アルも似たような反応だ。何も言えないまま立ち尽くしてしまう。

 そんなほくらに、セラは微笑む。

「おはよう。カワイイって聞くからカワイイって答えてよ。このコーディネート、カワイイ?」

「かわいいよ」

「かわいいぞ」

 即答する。

 いつもと同じやり取りだ。何も変わらない。

 レースとか増えたけど、それ以外、セラはセラのままだった。

「僕の可愛さにびっくりした?」

「学校変わると思ってた」

「こんな中途半端な時期に転校しないよ」

「でも誘拐の危険性があるだろ」

「馬車で通うから平気。でも出席を減らして、上流向けの家庭教師をつけようかなって話になってたよ。僕はどっちでもいいんだけどねぇ」

 相変わらず可愛さ以外の追及はしないんだな。

 可愛らしさ至上主義。

「あとね、僕、祖名が増えたんだ」

「それが最優先で大事だろ」

 アルの突っ込みも尤もだった。

「セラドン・グレ=マルブル。僕の祖名」

「良かったな」 

「………」





 先代の子爵の名前は、マルブル。



 マルブル子爵。 

 










 ぼくの両親を馬で撥ねた貴族の名前だった。


 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ