第四話 この手のひらに異郷の歌を
わたしは鍵を開けて、窓を開いた。
青と金の双眸、蜂蜜めいた膚、異郷の美貌、夜ごとに酔客で艶磨きされた柳腰。そして歌うために存在するような、一点の曇りもないソプラノ。
そこにいたのは、間違いなく歌姫ラピス・ラジュリさんだった。
「ラピス・ラジュリさんっ? どうして」
「化けて出たの」
いたずらっぽく笑って、窓から小部屋へ入ってくる。
幽霊なの? だったら世界でいちばん色っぽい幽霊だ。
そっか。ラピス・ラジュリさんって魔術師なんだから、幽体離脱して他者の精神に干渉できるのか。
「ごめんなさい、噛んじゃって。でも無事だったんですね」
よかった。
ほっとした途端、青と金の瞳が翳る。
「いいえ、あそこまで崩壊すると、もう修復できないのよ」
修復できない?
じゃあ、本当にもうラピス・ラジュリさんは、この世に存在しないんだ。
一瞬の安堵のせいで、苦く苦しい楔が、心をもっと深く穿ってくる。顔を上げていられないほど苦しい。
「でもあたくしが壊れてしまったことは、気にしないで頂戴」
「気にします!」
「いいのよ。だって、これで我が主の命令が全うできるもの」
ラピス・ラジュリさんは微笑む。
刹那、白濁の糸がわたしの空間に張り巡らされた。部屋が一気に真っ白になり、わたしの四肢を束縛する。
「ふへっ……な、なんで?」
「ここに入らせてくれてありがとう。あたくしでは開けられなかった」
語る唇は、婀娜に歪む。
わたしに攻撃してきたのに、色っぽいって思ってしまう。
「あたくしは最初からあなたを捕まえたかったの。けして尽きない魔力を宿しているあなたを。怪盗も捕まえられたら捕まえたかったけどね」
どうして?
命令? 我が主?
そうか、ラピス・ラジュリさんが【屍人形】なら、創造者がいる。主は魔術師だ。
それも相当なレベルの。
しかもわたしにこだわってるってことは……
「七賢者の誰か?」
真っ先に脳裏に浮かぶのは、賢者カマユー。
だけどカマユーは星智魔術が専門だったはずだから、【屍人形】を手掛けている可能性は低い。ラピス・ラジュリさんは別の賢者が創ったものかもしれない。
違う。賢者じゃない。
賢者は世俗に影響を齎すための手段として、魔術騎士団を地上に擁している。
わたしを捕まえたいなら、魔術騎士団を使えばいい。
冒険者のロックさんに道案内させているのは不自然だ。よしんば道案内を必要としても、エクラン王国で活動する以上はエクラン王国騎士団に先導を要請するのが筋だろう。図書迷宮に王国騎士団は軍行してたし。
なら、誰だ?
わたしを確保することが目的で、【屍人形】を動かせる高位の魔術師?
「プラティーヌ殿下……?」
当てずっぽうだ。
王族が【屍人形】を創るなんて、教会の教義に真っ向からケンカ売る行為だけど……うん、あの殿下だったらやりかねない。能力と資金と時間、不可欠なみっつが完璧に揃っている。
「どうかしらね」
ラピス・ラジュリさんの唇には、曖昧さと妖艶さが蕩けている。誘うような去るような、媚びるような見下すような、すべてを翻弄する笑み。
答えるつもりはないみたいだ。
糸の締め付けが酷くなる。
物理ステータス最低値のわたしがもがいたって、糸はびくともしない。
いや、まて、さっきラピス・ラジュリさんは呪文を唱えなかった。
呪文と呪符は、魔法を魔術にするための補助に過ぎない。
この空間は、魔法の理そのもの。
なら、わたしだって。
わたしが練る魔力に、ラピス・ラジュリさんは嫣然と微笑んだ。
「一角獣になって、次はあたくしを刺し殺すの?」
いいや。
次は殺さない。
【水】よ。
わたしの意思に従って、周囲に水が結露し、飽和する。
部屋のすべてを水没させるほどの水。
わたしは【水上歩行】を纏っているから水は届かない。水没するのはラピス・ラジュリさんだけだ。
水底でラピス・ラジュリさんは微笑んでいる。
もともと【屍人形】だから窒息しないのか、ここが魔法空間だから効かないのか、どっちでもいい。
わたしの目的は窒息させることじゃない。
「【氷壁】!」
周囲の水が凍りつき、壁となった。
これはエグマリヌ嬢が使った魔術。
魔法空間なら、呪符がなくても発動できる。
使ったことない魔術でも、構成を見たことがあれば再現なんて簡単だ。
水はすべて凍てつき、壁となり、蜘蛛の糸を切り刻んでいく。
そしてラピス・ラジュリさんをも、氷の壁に閉じ込めた。十重二十重の氷壁だ。まるで濁りながらも透ける水晶。封印されたお姫さまみたいに綺麗だ。
内側から亀裂が入る。
彼女が出ようとしているんだろう。
「ありがとうございます、敵として名乗りを上げてくれて」
わたしは苦しかった。
優しい歌姫を殺してしまったことが苦しかった。
でも敵なら平気。
わたしは戦う。立ちはだかる相手には、立ち向かう。
呵責もない。
容赦もない。
後悔もない。
わたしは氷壁を作り続ける。わたしの魔力に限りはない、永遠に作り続けることだって可能だ。水を結び、凍らせ、壁として、彼女を封じ続ける。
亀裂で氷壁は内側から真っ白になる。
まるで蜘蛛の糸そのものが、凍っているみたいだった。
もしわたしが砕氷を念じれば、ラピス・ラジュリさんごと割れて、砕けて、散っていくだろう。
だがそれは望まない。
「ごめんなさい。寒そうですけど、このままにしておきますね」
――――敵と相対したら、
脳裏に響く、オニクス先生の言葉。
――殺すことが最適なら殺せ――
――捕まえることが最適なら捕縛しろ――
――逃がすことが最適なら逃走を促せ――
彼女という敵へ望むのは、情報。
捕虜にして、情報を吐かせよう。
この魔法空間で、他人の精神を封じたら悪影響があるかもしれない。それでもわたしは捕縛という選択をして、全うする。
「わたしは戦場を知らない子供です。捕虜の処遇は、先生にお伺いを立てましょう」
でもこの氷、圧迫感がある。
場所塞ぎっていうより、精神的に圧迫感があるんだよ。
氷漬けにした張本人が言うのもなんだけどさ、なんか、お布団のある自室に置いとけるものじゃないよね。氷の中で眠る美女って。
………マップ切り替えしたら、どうにかなるのでは?
わたしは小部屋から出て、階段を下りて、もう一度部屋に入る。
これでダメだったら、氷漬けの美女と強制同居だな。強制してんのわたしだけど。
小部屋を開ける。
「ポスターァアア!」
なんか知らんがマップ切り替えで、ラピス・ラジュリさんがポスターになってんだけど。店頭購入特典ポスターみたいな等身大ポスターだよ!
マジかぁ~
やっぱマップ切り替えは基本だよね~
そうだ。ラピス・ラジュリさんがわたしの魔法空間に侵入したなら、書籍が形成されているはずだ。
オニクス先生の小説、クワルツさんの写真集。ラピス・ラジュリさんも何かあるはず。
どういう形態にしたって、情報が手に入る。
創造主が誰が確定するじゃないか。創ったのは、たぶんあのクソ王族……いや、プラティーヌ殿下だと思うけどね。
あれ? ない?
わたしの小部屋には、新しい本はないな。同人誌の棚までチェックしたけど、影も形もない。
もしかして【屍人形】だから読み取り不可能だったとか?
そういえば先生のもクワルツさんのも、一階に置いてあったよね。
階段を下りてリビングに向かう。
一階にはキッチンとリビング。
キッチンのテーブルに、見慣れぬ紙袋を発見したぞ! やったね!
……って、妙に薄いな。
絵本……?
紙袋から出す。
ミュージックディスクだった。
「うん! 歌姫としては正しい! めっちゃ正しい!」
歌姫として完璧なる正解で、わたしはぐぅの音も出ませんよ!
ミュージックディスクの写真は、砂漠を背景にラピス・ラジュリさんがリュートを抱いている姿。かっこいいな、これ。
あっ、中にライナーノート入っている。瑠璃色に金の箔押しだ。
……どこの国の言語だ、これ。
瑠璃色の紙に印字されている文字は、見たこともないかたちだった。音楽の記号に似てる。
先生は読めるかな~?
読めても読めなくても、解読可能な人間を知っていそうだし、そのうち先生に尋ねればいっか。解読しても単なる歌詞でしたってオチになりそうだけど。
怪我が治るまで、ミュージックディスクを聞くとしよう。
よく考えてみれば新しいサントラが手に入ったじゃん。やったね。
わたしはゲーム機にミュージックディスクを入れた。
さっそく音楽を聴いたり、ムービーギャラリーを鑑賞したり、怠惰を極める。
怠惰じゃなくてリアルのわたしは大怪我してんだから、入院タイムなんだけどさ。
そろそろ現実の怪我は回復しただろうか。
治ってなくても状況は知りたい。
まだ痛いかもしれないけど、魔力で痛覚遮断すればいい。ジャスプ・ソンガンさんの蹴りのときは、めっちゃ動揺していたせいでうまく遮断できなかったけど、今なら制御できる。
意識を浮上させ、覚醒する。
身体に、痛みは無い。
手だ。
五本の指がある。花びら色の爪がついた白い手のひら。
握って、開いて、ひらひらさせて、ひっくり返して、わたしの思い通り動く手。
わたしの手。
怪我した前足が、手に戻っている!
にんげんの手!
起き上がろうとしたもう片方の腕は、まだ一角獣の前足だった。
右は一角獣の蹄、左は人間の手。
ふへっ?
わたしは戻った手のひらで顔を擦り、肩を撫で、腹を触る。
全身は一角獣のまま。なのに肩から下、折れた箇所だけが、人間の腕に戻っている。
……えっ、なにこれ?
さらにバグってんじゃねぇか!




