第三話 洒落にならないエンカウント
ジャスプ・ソンガンさんが跳ねた。
言葉もなく雄叫びもなく、戦意も殺意もひとつなく、眉間に皺のひとつもなく、足首に飾られた鈴を玲瓏に響かせながら、跳ね、駆ける。鍛えられた肉体ひとつで、クワルツさんへと突っ込んだ。
「囚われぬ黒揚羽とは吾輩のこと!」
クワルツさんは高らかに叫び、皮膚に絡まる糸を弾く。
魔法による魔術消滅だ。
ですよね。わたしが助けなくても逃げられますよね。
解放されたクワルツさんの腕が、ジャスプ・ソンガンさんの蹴りを防いだ。
鈴は噪音を鳴らす。
「我は蟲の裔 四つなれど八なる祖を敬するがゆえに、蛛網を乞う 【蜘蛛】」
澄んだソプラノが呪文を唱えれば、わたしの方へ蜘蛛の糸が襲い掛かってくる。
なんでわたし?
ぴょこぴょんぴょんって避ける。
この一角獣の肉体、俊敏性と動体視力が半端ないな。糸の放出が見えるんだもの。獣化すると物理ステータス爆上がりするわけだ。
「ラピス・ラジュリのおねーさん。あの一角獣、逃げるのに逃げないねえ」
ロックさんは相変わらず暢気だ。
危機感アップさせてやろうか、この野郎。
「ねぐらが近いのかもしれないわ。捕まえましょう、一角獣を飼いたいってお偉方がいるのよ。賞金は9000エキュなのよ」
一角獣のお値段にしてはお安いんじゃないの?
1エキュが労働者一日分の賃金だけど。
「ねえ、一角獣って神さまの使いだよ。やめといた方がいいよ」
「大丈夫、素晴らしい方の元へ連れて行くだけよ」
【蜘蛛】を重ね掛けするラピス・ラジュリさん。
白い蜘蛛の巣が再び森を覆う。雪の白銀とはまた違う白乳色で、銀にボビンレースが重ねられているみたいだ。
わたしの蹄は駆けて、軽やかに避ける。
避けるたびに詠唱が流れ、【蜘蛛】が放れた。
おかしい。
なんで糸が尽きない?
魔力が豊富なひとは、そりゃわたしや先生以外にもいるだろうさ。
ラピス・ラジュリさんはMP高いんだろう。
でも獣属性だ。
【蜘蛛】は体液を、魔力によって蜘蛛の糸に変じる術。
どれだけ魔力があっても、体液が尽きてしまえば【蜘蛛】は打てない。
獣属性って、術者を守らないことで術を発動させるんだ。呪文に術者を守る機能がないんだよ。あのオニクス先生だって両腕を吹っ飛ばしかけたし、わたしは御覧の通り戻れなくなっている。
獣属性は危険なのだ。
これだけ糸を放ったら、ラピス・ラジュリさんは脱水か貧血になっているはず。
なのに顔色ひとつ変えずに、背筋を伸ばしたまま、蜘蛛の糸を放っている。
「………ぐッ!」
呻きは、クワルツさんだ。
クワルツさんの動きが鈍っている。動くたびに糸が絡まってくるんだ。魔力で糸を弾いているけど、動き難いし消耗する。
わたしがラピス・ラジュリさんから呪符を奪ってしまえば、クワルツさんは万全に戦えるはずだ。
糸を避けつつ、わたしはラピス・ラジュリさんに迫る。
あの呪符を角で弾いて、遠くに吹っ飛ばせばいい。呪符と呪文が揃わないと魔術が紡げないのは、魔術師の弱点だ。
わたしは一気に距離を詰めた。
胸元の呪符を狙う。
ラピス・ラジュリさんを傷つけないように浅く、角を繰り出した。
呪符に当たった、けど、弾けない。
細い糸が幾重にも呪符を取り巻いている!
「【蜘蛛】は防御にも使えるのよ」
ラピス・ラジュリさんが半歩だけ下がると、ロックさんがわたしへと踏み込んできた。短剣を繰り出す。
風切り音が耳元まで迫った。
一角獣の肉体は、軽く刃を躱せる。
う、うーん。躱せるけど知り合いを攻撃しなきゃいけないのは、ちょっと面倒だな。傷つけたくない。
知らない賞金稼ぎだったら、血の海に沈めているのに。ぷんぷん。
わたしが後ろに下がって間合いを図ると、ロックさんもラピス・ラジュリさんの方へと下がる。深追いしてこない。
主戦力は魔術師だと弁えて、自分は詠唱中の護衛を徹底する姿勢だ。
メンドクサ。
わたしと冒険してたから、そういうスタンスになったんだけどさ!
それにロックさんの短剣、ダマスカス鋼の業物なんだよね。切れ味が鋭くて、刃毀れしない。一角獣の角や蹄でも武器破壊が出来るか怪しいな。
メンドクサ。
廃墟の盗掘団を蹴散らしたときに入手したアイテムで、わたしが譲るって言ったんだけどさ!
あとけっこう強い護符を装備しているし。
土属性の【硬化】や【耐土】だ。
メンドクサ。
わたしが創った護符なんだけどさ!
ほぼ固定のパーティーメンバーが、装備そのままで敵側に回るとはな!
ハァ~、ちくしょ~、許せねぇ~
でも突貫して怪我させるのは避けたい。
持久戦に持ち込んで、ラピス・ラジュリさんのMP切れ狙った方がいいか?
MP切らしたいのは、わたしだっていうのにさ!
うん、MPが切れる?
名案が浮かんだぞ。MP切れを待つんじゃなくて、MPを切れさせるのだ。
もう一度、ラピス・ラジュリさんへ迫る。前衛のロックさんを掻い潜り、後ろ脚キックを放つ。
山羊の後ろ脚キックは、成人男性の肋骨も折るぞ。
ロックさんは躱した。
躱せるスピードでキックしたからな。
ロックさんは間合いを取るどころか、わたしへと突っ込んできた。短剣を奮いながら、素早く屈む。あの動作はブーツから、投擲ナイフを抜く予備動作だ。
わたしが跳ねる。
それと同時に、二本のナイフが閃いた。
一本は躱して、もう一本は尻尾で叩き落とす。
「マジかよ、避けられた!」
そりゃ知ってますからな! お前の奥の手!
なんだったらその袖口に長針を隠し持ってることも、財布のなかに投擲用に削った硬貨を入れてるのも知ってるぞ。
ロックさんは投擲ナイフを拾う挙措をした。
あれは拾うフリだ。
そのまま地面に手をついて、アクロバティックにわたしとの距離を詰める。
革製のブーツの踵には、鋼色の鋭い煌めき。蹄鉄型の隠しナイフだ。
純粋な速度差では敵わないから、トリッキーな動きを巧みに混ぜて、わたしを翻弄している。
さすが『ナイフ遣いのロック』だ。
ロックさんの蹴りを紙一重で躱す。
躱されたロックさんは蹴りの勢いに乗って、地面のナイフを拾い上る。あまりにも迷いのない動き。拾うフリじゃなくて、蹴りを躱されることさえ想定内だったのか。
ロックさんは大きく腕を振る。
投擲ナイフが、わたしに放たれた。
躱すため大きく跳んだ瞬間、わたしは冷や汗が噴く。
しまった! フェイントだ。投げたフリだけ!
まずい。一角獣は最速でも、空中で方向転換できやしない。ロックさんはこっちの知能レベルを読んで、即座にブラフ織り込んできた。
わたしの後ろ脚が着地した瞬間、足へ飛ぶ投擲ナイフ。
ざしゅっ…
辛うじて避けた。とは言い難い。浅くとはいえ、血が流れるほどには掠っている。
マジ痛ぇ。
痛いけど、痛いってのは、痛いってだけ。肉体の傷ついた箇所を知らせる信号。痛覚があるという自然の現象。臆する理由もなく震える理由も無い。
それにもうラピス・ラジュリさんは眼前にいる。
放たれた【蜘蛛】の糸を躱して、彼女の腕に噛みついた。がぶ。
「きゃあああっ」
叫ばれたけど、そんなに強く噛んでないからな。
がぶ、がふがふがふ。
わたしはキスで魔力を与えることができる。
なら、キスで魔力を奪うことだってできるんじゃないか?
これはキスっていうより、甘噛みだけどね。
ラピス・ラジュリさんって膚、すんごい柔らかいなあ。綺麗な腕に、歯型がついちゃうかも。
ざり………っ
口の中が、泥が入ったみたいな感触にまみれる。
やだ。気持ち悪い。
なんで?
蜂蜜色の腕が、落ちた。
わたしの噛んだところから、水気を無くした砂が崩れるように、腕が落ちて崩れて潰れてしまう。
ラピス・ラジュリさんの悲鳴は枯れ、美貌は罅割れ、青と金の眼球は泥の如く濁る。
待って、待って!
わたしは魔力を吸っただけなんですけど!
間違えて精気を吸っちゃったの?
精気を吸っちゃったとしても、どうしてこんな状態になるの?
混乱している脳みそだけど、背後からの風切り音に身体が反応した。ロックさんの短剣を回避し、離れる。
ロックさんはラピス・ラジュリさんに駆け寄る。
力強い両腕に抱きかかえても、崩壊していくラピス・ラジュリさんの肉体を留めることはできない。
「ねえ、どうしたんだよ。一角獣に噛まれるとこうなるの?」
なわけねーだろ!
亀裂からは、凝固した血も溢れる。
違う。あれは血じゃない。
血にしては黒すぎるし、鉄の匂いもしないし、水銀みたいな光沢がある。
もしかして魔術インクとして利用するマーキュリー水じゃないか。じゃあ、まさか、ラピス・ラジュリさんは………
【屍人形】
獣属性の魔術。
人間の死体に呪文を刻んで、操る魔術だ。
教会の影響力が強い国では、第一級の禁呪とされている。
ひとがひとを創ることは、神への挑戦だからだ。
教会圏でなくとも、死体を操ることへの忌避や、衛生的な問題などもあり、大概の国では禁呪だ。
エクラン王国を含む周辺諸国では、造っているのが発覚した時点で縛り首。資料は焚書されているか禁書になっているかのどちらかだ。
だから実物なんてゲーム中でも会ったことがない。
だけど【屍人形】って、ラピス・ラジュリさんみたいに笑ったり、喋ったり、お酒を飲んだりしないはず。でも魔力を失って崩れるってことは【屍人形】だ。
もし彼女が【屍人形】だったら。
わたしがもう一度、キスをして魔力を与えたら回復するだろうか?
分からんが、やってみる価値はある。
ラピス・ラジュリさんを殺したくない。
彼女へ突進すると、ロックさんの手から長針が放れた。
紙一重で避ける。
鈴の音が、鼓膜に触れた。
背後に感じるジャスプ・ソンガンさんの気配。
まさか長針は囮? ロックさんへわたしの意識を向けさせるための引っ掛けだった?
わたしは斜め前へと跳ぶ。だけど一手遅かった。
ジャスプ・ソンガンさんの蹴撃が、わたしの前足を砕く。皮膚が千切れ、骨が折れ、肉が裂ける感覚に、視界が刹那、白く埋まる。
この激痛はまずい。
一角獣の長所、俊敏が殺された。
これじゃあ動けない。
蜘蛛の糸を掃ったクワルツさんが跳び、ジャスプ・ソンガンさんに体当たりをする。
わたしを小脇に抱えた。
「逃げるぞ」
「駄目です! あのままじゃ彼女が死んでしまう!」
わたしは叫ぶ。
だけど声帯から迸るのは、一角獣の嘶きだけ。
クワルツさんが人間の状態じゃ、わたしの言葉は聞き取れない。
「一旦ここは引くべきだ。図書迷宮には日を置いてからまた行けばいい」
駆けながら、暴れるわたしを説得する。
ラピス・ラジュリさんの姿は遠ざかり、視界は木々に遮られた。
クワルツさんは、彼女のことを知らない。
わたしと親しくしてたなんて、知らないのだ。賞金稼ぎの一行だとしか思えない。
ロックさんたちだって、わたしがミヌレだって分かんない。
言葉が通じない以上、彼らからしてみれば、わたしはラピス・ラジュリさんへトドメを刺しに行ったように見えただけだ。
あのまま粘っても、最悪、彼らまで突き刺すことなる。
クワルツさんは大きくジャンプして、断崖を飛び越える。
着地の振動はほとんどない。クワルツさんの肉食獣めいた筋肉が衝撃を殺したのだろう。その僅かな着地の振動が、わたしの傷に響いた。
脂めいた冷や汗が、皮膚に噴く。
「痛みが酷いなら、魔法空間に降りるといい。仮面の下の素顔にかけて、きみの肉体にこれ以上の傷は許さん」
「ありがとうごさいます……」
伝わらない感謝の言葉を呟き、わたしは目を伏せた。
目を開けば、魔法空間のお布団の上にいた。
ゲーム機と本棚とお布団が敷かれた世界。窓からの日差しが部屋の奥まで届いていて、布団はふんわりと暖かい。慰めになるぬくもりだ。このぬくもりを己が生成しているという事実に、苦みを覚える。
陽だまりなど曇って、豪雨が打ち付ければいい。でもそれも所詮はわたしが創ったものに過ぎない。
「むなしい……」
腕を動かしてみたけど、痛みは感じない。なんとなく腕に違和感がある程度だ。
だけど胸が苦しい。
くさびみたいに感情の塊が打ち込まれている。
これは悲しみ? 罪悪感? 後悔?
分別できない感情が、吐き出せもせず呑み込めもしない塊として痞えている。
ラピス・ラジュリさんはどうなっただろう。
死んでしまったんだろうか?
それとも壊れてしまったんだろうか?
ロックさんはどうしているんだろう?
ラピス・ラジュリさんの歌とリュートの旋律が、鼓膜の底でリフレインする。耳をふさぎたいほど哀しくて、いつまでも聞いていたいほど美しいメロディ。あの弦歌は永遠に失われた。
王都に戻って広場に行っても酒場に入っても、彼女の歌と弦の響きを耳にすることは無いのだ。もう二度と。
やり切れない気持ちが渦巻いて、わたしは呻きを出す。
言葉を持たないのは、すごく無力だ。
交渉も脅迫も哀願も使えない。
戻りたい。
ひとの姿に、戻りたい。
「ここを開けてくれないかしら、ちっちゃなお姫さま」
耳に届いたのは、透明感のあるソプラノ。
硝子窓の向こう側に、ラピス・ラジュリさんがしどけなく座っていた。




