生える
「……ズク!! ミズク!!」
何かに吹き飛ばされ、木に全身をぶつけた。肺の中の空気がすべて押し出され、全身を走る激痛に身を縮める。お父さんの声が辛うじて耳に入ってきた。
「ミズク!! 起き上がれるか? さあ立って! 逃げるんだ! ここは母さんと抑える。だから逃げろ!」
頭を打ったのか、視界がぼんやりとして、直前の記憶が思い出せない。
(確か……旅から帰ってきて……それで……。うぅ……頭が痛い……)
お父さんの死角から、先端の尖った木の根がお父さんを突き刺そうと伸びていた。
「お父さんっ! 後ろ!」
咄嗟に地面に手を置いて魔力を流す。お父さんと根の間に茨の壁を地面から生やすと、木の根がそこへ激突し、その衝撃が腕まで響いた。
お父さんは冷や汗を掻きながら、こちらに向き直った。
「今から私と母さんがこの森を鎮める。いいか、これからお前がこの森を治めるんだ。分かったな。大丈夫だ。この森からお前を見るからな。さあ、行け!」
お父さんが何を言っているのか、眩暈のする頭では理解出来ない。それでも、お父さんの真剣な眼差しに頷くしかなかった。
立ち上がり、ひたすら逃げた。何から逃げているのかも分からない。森には赤い霧が濃く立ち込めている。霧を吸う度に肺が痛い。酷い臭いに吐き気がする。
それでも走って逃げた。
*
赤い霧の中を、どれだけ走ったか分からない。もう一日は経っただろうか。森はいまだ赤い霧に覆われ、朝なのか夜なのかさえ判然としない。それでも、私たちを襲っていた植物たちは鎮まり、今は不気味なくらい静まり返っている。
「どこ……ここ……」
生命の森は、私にとって庭も同然だ。目を閉じても歩けるくらい知っているはずなのに、今は赤い霧のせいで道も方角も何一つ分からない。
それからしばらく歩き続け、体中の痛みに耐えかねて大きな木に背を預け、その場にへたり込んだ。靴はいつの間にか両方とも脱げていて、足は血だらけになっていた。
呼吸が落ち着くと、辺りを見回す。先ほどまで濃かった赤い霧も、少し薄くなっている。それでも、不快な臭いがどこからともなく漂ってくる。
(お父さんたちは無事かな……。ううん、霧が薄くなってる。きっとうまくやってくれてるんだ。きっと大丈夫……)
そう自分に言い聞かせながら、木に身体を預ける。
ぽた……。
水滴がフードに落ちてくる。
ぽた……ぽた……。
(雨……?)
フードに落ちた液体を拭い、確認する。
「……ひっ!?」
手の平が、生暖かい赤に染まっていた。
上を見上げる。
その大樹には、葉が一枚もついていなかった。
代わりに、人が刺さっていた。
一人だけじゃない。何人いるのかも分からない。
「なん……で……みんな……」
クロさん……スパロおばさん……ダク君……。
一族の皆だった。
突如、悲鳴が聞こえた。
男の人の悲鳴。
長く続くその声に、嫌な想像が止まらない。
「お父さん……? やだ……お父さん! お父さん!」
声が枯れるまで、何度もお父さんを呼ぶ。
悲鳴は数十秒にわたって響き、途端に消えた。
なぜそれをお父さんの声だと思ったのか、自分でも分からない。止めるって言ってたはずだ。そんなはずない。それでも、本能だけが父の悲鳴だと告げていた。
頭がおかしくなりそうだった。
何が起きているのか分からない。
胃の中の物が逆流して、口から溢れた。
なんで。
なんで。
なんでなんでなんで……。
「お願いします……何でもするから……だからもう、やめて……許して……助けて……」
その場で蹲り、心から祈った。
死にたくない。
怖い。
助けて。
何でもするから……。
*
そこは森の中心だった。
皆が言っていた。
ここには大昔に眠った神様がいる。だから何かあったら、ここで祈るんだ、と。
*
突然、森を風が駆け抜けた。
木々が一斉にざわめく。遠くから、近くから、頭上から。無数の葉擦れの音が折り重なり、森全体がひとつの巨大な生き物になったようだった。
そして、そのすべてが私を見ていた。
どこからか細い根が、ざわざわと地面を這いながら集まってくる。一本、二本ではない。無数の根が互いに絡まり、乗り越え、隙間を埋めるように蠢きながら、私の周囲を取り囲んでいった。
「……え……や、やだっ……!?」
根が私に触れた瞬間、何かが流れ込んできた。
「あ゛……だれ……? やめで……なに、ごれ……」
苦しみ。痛み。憎しみ……?
怖い。怖い怖い怖い!!
今にも割れそうな頭を抱える。身体を動かそうとしても、指一本まともに動かせない。
脳内に、真っ黒な何かが入り込んでくる。
それは誰かの叫びか、慟哭か。
数え切れないほどの意識が、根を伝って私の中へ押し寄せてくる。
気づけば根は皮膚の中へ潜り込み、肉と混ざり始めていた。
身体がゆっくりと地中へ引きずり込まれていく。
自分と何かの境界が、少しずつ分からなくなっていく。
考えることすら、できなくなる。
そして、真っ暗になって……。
*
混濁していた意識が、少しずつ澄んでいく。
最初に気付いたのは、光だった。
暖かく、心地良い。身体がどこにあるのかも分からないのに、それだけははっきりと感じられた。
やがて、冷たい雫が触れる。
雨だろうか。染み込んでくる水が、乾いた何かを潤していく。少しずつ、自分の輪郭が広がっていく。
風が吹く。
身体の一部が千切れ、削られ、どこかへ運ばれていく。
それなのに、不思議と失った気がしない。散っていったものまで巡り巡って、また自分へと還ってくるような気がした。
光。
雨。
風。
そんなものを何度も、何度も繰り返し感じているうちに、ようやく自分が何になったのか理解した。
そうか。
私、森と一緒になったんだ。
*
私、ミズク・オウル・フォレストロアは、生命の森で暮らすフォレストロア一族に生まれた。
生命の森はとても大きな森だ。西と北を高い山脈に囲まれていて、中心から森の外まで歩けば何日ほど掛かる。
私達フォレストロア一族は、大昔からそこで暮らしながら森を守ってきた。外から見つからないよう森には結界が張られていて、森の実りを貰い、魔物を狩り、増え過ぎた木を伐りながら生活している。私も魔法が使えるようになってから一緒に畑を収穫したり、狩りに出たりもしたな。
部落からだいたい一日歩くと森の中心に着く。そこには、とても大きくて古い大樹があり、そこには昔から神様が眠っていると言われていた。
普段は村で神様に祈り、祭りの日には一族の皆で大樹の周りに集まった。小さかった私はよく分からないまま、大人達の真似をして手を合わせていたっけ。
物心付いた頃、お父さんとお母さんと三人で森を出て旅を始めた。最初は村の偉い人から『村の外へ出てはいけない』と止められていたけれど、お父さんは『部族の繁栄の為だ』と言って、私達を連れて村を出た。
旅の目的は、私に世界中の植物を「食べさせる」ことだ。
どうやら私には、『食べた植物のことを調べて、生み出せる能力』が備わっているらしい。
一歳の時、食べた花を周囲に咲かせて遊んでいたのが最初らしい。それからは森にある植物を色々食べさせられたっけ。村の中で、私みたいな力を持った人は誰もいなかったね。
旅を始めてからは、珍しい植物、果物、キノコから苔まで、片っ端から食べた。
とても暑くて何日も歩いた砂漠。
寒くて何度も落ちかけた雪山。
ひたすらてじめじめして、危ない虫が出る森の中。
海も超えて、色々な所を巡ったな。
運が良かったのは、毒が効かないこと。それと、どんな植物でも噛み切れる歯が備わっていたことだね。
お父さんとお母さんも沢山褒めてくれるし、家族との旅はとても楽しかった。
危ないことも沢山あった。
とても大きな狼と戦った。あのお肉、美味しかったな……。
悪い人達とも沢山出会った。食料分けてくれてありがとう。
世界樹を食べに行った時は、エルフとかいう人達に追い掛け回されたっけ。
お父さんとお母さん、強かったな。
格好良かったな……。
※
何度目か分からない思い出に浸りながら、私は森と繋がった意識と魔法を使って、地下空間で研究を続けていた。
あれから、どれくらいの時間が経ったのかは、もう分からない。
枯れない花を生やして季節を数え始めてからでも、百回以上は雨期が巡っている。
今では、自分というものをしっかり認識できるようにもなった。
私は地面の中に埋まっていて、どうやら森を鎮めるための何かになったみたいだ。肉体は眠ったままで、動かすことすらできない。
みんなが言っていた神様って、こういうことだったのかな。
森の木々や草花、そこに生きるすべての生命と、私の身体は繋がっているらしい。彼らが得た魔力や生命力によって、私は生かされている。
そんな彼らとも、長い時間を共にするうちに会話すらできるようになった。
赤い霧に覆われたあの日のことも、時間を掛けて一本一本聞いていった。
彼ら曰く、あの赤い霧が何だったのかは分からないらしい。
ただ、あの霧のせいで、何もかもが許せなくなってしまったのだとか。
(一体どういうことなの……。結局、よく分からない……)
森と繋がった私は、意識だけなら森の中を自由に動けるようになった。感覚としては、精霊とかに近いのかな。
脱出計画を思いついてからは、木々や草花も協力してくれている。
私達一族から受けた恩を忘れ、その手で絶やしてしまったことへの罪滅ぼしなのかもしれない。
しかし、私の頭上にある葉のない大樹だけは、何も答えてくれなかった。
今では森の魔力を総動員して、森の中心、その地下にある巨大な蕾で実験を続けている。
*
脱出計画を始めてから、三百回ほど雨期が巡った頃。
雨期を数えるために咲かせた枯れない花で、地下空間はいつの間にか花畑になっていた。
その中央では、大きな蕾が淡い光を放ちながら、ゆっくりと明滅している。
いつものように意識だけで森の中を漂っていると、外縁にいる木々の悲鳴が聞こえた。
意識を向けると、たくさんの人が木を伐っていた。
追い出そうか。
どうしようか。
そんなことを考えているうちに、四、五回雨期が巡った。
その間に土台が出来た。
石が積まれた。
そうして気が付けば、森に面した場所に巨大な建物が出来上がっていた。
しばらくすると、森へ入ってくる人も増えた。
あの大きな建物から人が出てきては、森にいる魔物達を狩っていく。
最初はとても静かで、どこか薄暗い雰囲気だった建物も、次第に笑い声や楽しそうな空気に包まれるようになった。
その声を聞いていると、私まで心が躍った。
ここから出たら、あそこに行こう。
人が沢山いる、あそこへ。
*
それから、二百回ほど雨期が巡った頃。
(やっと……! やっと完成した!!)
地下空間は、壁も天井も花で覆われ、中央の蕾を包み込むように咲き乱れている。
蕾は黄金色に輝き、とくん、とくん、と脈動するたびに光を強めていた。
長い間閉じたままだった蕾が、ゆっくりと開き始める。
花弁の隙間から金色の樹液が溢れ出し、やがて大きな花が完全に開いた。
その中心には、一人の少女が膝を抱えるように丸まっていた。
長い黒髪。小さくて薄い体。
手足も、顔立ちも、私の特徴も、すべて森へ帰ってきた頃の私を元に形作られている。
私の脱出計画。
それは、私の中にある植物を組み合わせ、人の形をした新しい生命を作り出すことだった。
植物でありながら、人でもある存在。そして、その子に私の役目を肩代わりしてもらう。
何度も試行錯誤を重ねた末に完成した、私の最高傑作だ。
森も、きっと認めてくれるだろう。
そう思った直後、森の根が植物人間の体へ伸び始めた。
一本、また一本。
細い根がその体に絡み付き、皮膚の内側へ溶け込むように接続されていく。
それと同時に、私に繋がっていた根が一本ずつ離れていくのが分かった。
森中へ広がっていた感覚が、少しずつ消えていく。
遠くの木々。
草花。
土の中を這う根。
今まで当たり前のように感じていたものが、一つ、また一つと私から切り離されていく。
怖い。
ほんの少しだけ、そう思った。
それでも、自分だけのものへ戻っていく身体には、それ以上に抑え切れないほどの高揚を覚えた。
(指が動く! 私の体! 私が私になる!)
指先を曲げる。
腕を動かす。
何百年ぶりかも分からない、自分自身の身体だった。
そんなことに感動していると、急に息苦しさを感じた。
あ。
ま、まずい。
体を起こそうとする。
動かない。
腕も、足も、土に押さえつけられてびくともしない。
そりゃそうだ。
全身、土の中だ!!
まずいまずいまずいまずい!!
いつ以来かも分からないほど久し振りに、力一杯魔法を発動させる。




