第五十三夜 ―― 二十七年の航跡と、語り継がれる名前 ――
第五十三夜 ―― 二十七年の航跡と、語り継がれる名前 ――
都の夜明け。一番星が消え、東の空が白金色に輝き始めた。
ザルカ王は、サフィアの隣に座り、自らの分厚い掌を見つめた。
「……サフィア。二十七年。一人の男が若さをすべて海に捧げ、死と再生を繰り返してきた。……彼は最後に、何を掴んだのだ。宝石か、名誉か、それともただの『老い』か」
サフィアは、旅の汚れを拭うように王の手に触れ、最後の語りを始めた。
◆ サフィアの語り 第五十三夜 ――「不信の町からの脱出と、安息の都」
翼を持つ男を大蛇から救ったスィルハールでしたが、彼の心は決まっていました。
妻がそっと耳打ちしたのです。『……旦那様。この町の男たちは悪魔の兄弟。ここは神を信じぬ、不信の町です。一刻も早く、あなたの懐かしい都へ帰りましょう』
スィルハールは、亡き老人が遺してくれた莫大な財産をすべて金銀に変え、妻と共に大きな船を仕立てました。
海を越え、島を巡り、かつて難破した場所や、鯨の背中があった海域を通り過ぎ……。ついに、あの教王スウードが統治する、平和と知恵の都へと辿り着いたのです。
都の人々は、二十七年ぶりに戻った「伝説の商人」を熱狂的に迎えました。
スィルハールは、七つの航海で得た富のすべてを、ただ自分のために使うことはしませんでした。彼は壮大な屋敷を建て、そこを「旅する者」や「貧しき者」の安息所とし、毎夜、彼らに豪華な食事と、そして自らの「物語」を振る舞ったのです。
『……私は、海に生かされ、海に教えられた。富は波のように寄せては返すが、魂に刻まれた知恵だけは、誰にも奪うことはできぬ』
彼は教王からも最高の栄誉を授かり、その後は一度も海へ出ることなく、愛する妻と共に、静かで豊かな晩年を過ごしました。
これが、船乗りスィルハール――後に「船乗りシンドバッド」の名で知られることになる男の、すべての物語にございます。
サフィアは語り終え、深々と頭を下げた。
「王様。スィルハールが最後に手にしたのは、都へ戻り、自分の物語を『誰かのために語る』という平穏でした。……冒険の価値は、それを持ち帰り、今の自分をどう変えるかにあるのですわ」
ザルカは立ち上がり、朝日が差し込む地平線を見つめた。
「……二十七年の旅、か。サフィア。余もこの五十三夜の物語を通じ、自らの中にある『暗黒の海』を渡ってきた気がする。……スィルハールのように、余もこの『痛み』と『知恵』を、民への慈悲として分け与える王になろう」
王の肩の傷は、もう完治していました。
かつての冷酷な暴君の面影はなく、そこには、数多の夜を越えて「人の心」を取り戻した、真の統治者が立っていました。
「さて、サフィア。スィルハールの冒険は終わった。……だが、余とそなたの旅は、まだ続くのだろう?」
サフィアは立ち上がり、王の隣に並んだ。
黄金の陽光が、新しく生まれ変わった王の都を、眩いばかりに照らし出した。




