第三十一夜 ―― 擦られた指輪と、立ち昇る魔神 ――
第三十一夜 ―― 擦られた指輪と、立ち昇る魔神 ――
東方の交易都市の夜は更け、市場の喧騒は遠い地鳴りのように響いている。
ザルカ王は、宿のテラスで冷えた「葡萄のジュース」を口にしながら、自らの掌を見つめた。鬼神編で負った傷跡が、月光に照らされて白く浮き出ている。
「……サフィア。アラディンは地下に閉じ込められたままだったな。剣も持たぬ少年が、岩に閉ざされた闇の中で何を頼りに生き延びるというのだ」
サフィアは、香炉から立ち昇る薄い煙を指でなぞり、幕を上げた。
◆ サフィアの語り 第三十一夜 ――「呪われた洞窟と、煙の巨像」
魔術師によって地下へ突き落とされ、石の扉を閉ざされたアラディン。
そこは、叫んでも誰にも届かず、ただ冷たい宝石の木々が光を放つだけの「美しい墓場」でした。三日三晩、彼は空腹と恐怖に震え、もはやこれまでかと神に祈りを捧げました。
『ああ、神よ。どうか私をお救いください……』
アラディンは祈りの中で、無意識に、魔術師から渡された「古い指輪」を擦ってしまいました。
その瞬間です。
洞窟の空気が凍りつき、指輪から黒い煙が猛烈な勢いで吹き出しました。煙は天井に届くほどの巨大な影となり、爛々と輝く目を持つ、恐ろしげな魔神が姿を現したのです。
『――お呼びでしょうか、我が主。私は指輪の精。あなた様が指輪を擦る限り、私はあなたの奴隷。望みを仰ってください』
アラディンは腰を抜かさんばかりに驚きましたが、死の淵にいた彼は、震える声でこう叫びました。
『私を……私をこの暗闇から、母の待つ家へと連れ戻してくれ!』
言い終わるか終わらないかのうちに、アラディンの視界は白く染まり、次の瞬間、彼は眩しい太陽の下――自分の家の庭に立っていました。
手には、あの魔術師が執着していた「古びたランプ」。
アラディンは、自分を騙した伯父への怒りと、手にした「得体の知れない力」への高揚に震えながら、母親の元へと駆け寄ったのです。
サフィアは語り終え、香炉の煙をそっと吹き消した。
「王様。指輪の精は言いました。『私はあなたの奴隷』だと。ですが、強大すぎる力を持つ奴隷は、時として主人を飲み込む『毒』にもなり得ます。アラディンが手にしたのは、幸運ではなく『契約』という名の重荷かもしれませんわ」
ザルカは、グラスの中の氷を回した。
「……奴隷、か。余が求めてきた『権力』もまた、指輪の精に似ている。望むものを何でも運んでくるが、一歩扱いを間違えれば、余を暗闇に引きずり戻すだろう」
王の言葉には、かつての傲慢さはなく、力を御する者の静かな覚悟が宿っていた。
「サフィア。指輪の精ですらこれほどの力だ。あの魔術師が狙っていた『ランプ』には、一体どれほどの怪物が潜んでいるのだ?」
サフィアは微笑み、空になった王のグラスに、新しく冷たい水を満たした。
「ランプの底には、指輪の精が子供に見えるほどの、真の『王を創り出す力』が眠っております。……母がランプを磨く時、都の景色が一変しますわ」
ザルカは、明日出会うであろう「目に見えない力」との交渉を夢想しながら、穏やかに目を閉じた。




