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毒杯の晩餐と百の献立  作者: 水前寺鯉太郎


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第十夜 ―― 偽りの旗と、熱砂の兵糧(ひょうろう) ――

第十夜 ―― 偽りの旗と、熱砂の兵糧ひょうろう ――


月が、砂漠の関所を冷たく照らしていた。

 東の交易路の心臓部であるこの関所は、正規軍ではなく、黒い外套を纏った「私兵団」に占拠されていた。彼らは関所を塞ぎ、物資を独占することで、周囲の民や本来の守備隊を飢えさせ、支配していたのだ。

 ザルカ王と男装のサフィアは、闇に紛れて関所の兵糧庫へと忍び込んでいた。

「……兵糧庫の中は、干からびた麦と、腐りかけた塩漬け肉だけか」

 ザルカは剣の柄を握りしめ、苦々しく呟いた。

「敵は正規の流通を止め、自分たちだけが美味い隠し食糧を食っている。これでは、飢えた正規兵たちは戦う気力を失う」

「いいえ、王様。飢えているのは、あちら(・・切れ)も同じですわ」

 サフィアは暗闇の中、一握りの「不味そうな麦」を指でもてあそびながら、静かに語り始めた。第十夜の物語を。

◆ サフィアの語り 第十夜 ――「身代わりの少女兵と、黄金の麦」

 むかし、東の果ての国に、病床の父の代わりに男装して戦場へ赴いた、ファランという少女がおりました。

 彼女の部隊は、敵の計略によって不毛の砦に閉じ込められ、完全に補給を断たれました。兵士たちは飢え、互いに肉を奪い合おうとするほど、正気を失いかけていました。

 敵の将軍は砦の前に立ち、美味しそうな肉や酒を並べて、投降を呼びかけました。

『降伏しろ! さすれば、この美味い飯を食わせてやる!』

 少女兵ファランは、震える手で、砦に残された「最後の一掴みの、不味い麦」を握りしめました。

 そして彼女は、兵士たちの前で高らかに笑ったのです。

『旦那がた! 敵は、私たちが飢えていると勘違いしている。ならば、見せつけてやりましょう。私たちの胃袋が、どれほど満たされているかを!』

 彼女は、残されたわずかな麦と、砦の隅に生えていた雑草、そして自分自身の「血」を一滴、鍋に垂らしました。そして、それを大きな釜で煮詰め、信じられないほど「香ばしい匂い」を、砦の外へと漂わせたのです。

 匂いに釣られた敵の将軍は、驚愕しました。

『なぜだ! 包囲されて一ヶ月、なぜあんな美味そうな匂いの飯が炊ける!? まだ、隠し兵糧があるのか!?』

 敵軍は、砦の兵糧が尽きていないと錯覚し、長期戦を恐れて、自ら包囲を解いて撤退していきました。

 少女が作ったのは、ただの「匂い」でした。実体のない、幻の晩餐。

 しかし、彼女は剣を一度も振るうことなく、ただ「美味しい匂い」という知略だけで、数万の敵を打ち破ったのです。

 サフィアは語り終え、懐から取り出した「一掴みの香辛料クミンとシナモン」を、関所の兵糧庫にあった不味い麦の山へと、豪快に振りかけた。

 そして、傍らにあった松明の火を、鉄板の上へと近づける。

「サフィア、何を――」

「匂いを売るのですよ、王様。……敵の私兵団も、この砂漠の熱砂の中で、塩漬けの肉に飽き飽きしている。彼らが本当に求めているのは、異国の、香ばしい『焼き立てのパンの匂い』ですわ」

 サフィアは、関所の調理場にあった錆びた鉄板を使い、スパイスを混ぜた麦を焼き始めた。

 夜の砂漠に、突如として、嗅いだこともないような「異国の甘く香ばしい匂い」が立ち込める。

 匂いは風に乗り、関所を守る私兵たちの鼻腔を直撃した。

「なんだ、この匂いは……!?」

「どこからだ!? 兵糧庫か!?」

 私兵たちが、武器を捨て、吸い寄せられるように兵糧庫へと集まってくる。彼らの統制は、空腹と匂いの誘惑の前に、一瞬で崩壊した。

 そこへ、ザルカ王が闇から躍り出た。

 抜かれた王剣が月光を反射し、飢えと誘惑に理性を失った私兵たちの喉元に、一瞬で突きつけられる。

「動くな。この関所の『正当なる王』の御前である」

 王の圧倒的な威圧感と、背後から漂う美味そうな匂い。私兵たちは、戦う意志を完全にへし折られ、その場に膝をついた。

 血を流すことなく、東の関所は奪還された。

 ザルカは剣を鞘に収め、額の汗を拭う男装のサフィアの元へと歩み寄った。

「……見事だ、砂ネズミ。お前の語るファランのように、お前もまた、匂い一つで戦局をひっくり返したな」

「商人の交渉術ですよ、王様」

 サフィアは、煤で汚れた顔でいたずらっぽく笑った。

「人は、胃袋を掴まれた相手には、絶対に勝てないのですから」

 ザルカは、焼き上がったスパイス麦のパンを一片、口に放り込んだ。

 熱く、香ばしく、そしてほんのりと甘い。

 王は、自分の舌が、確かにその「温かさ」を噛み締めていることに気づき、静かに微笑んだ。

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