紅音編エピローグ
畑に挟まれた道を、日傘をさしてランドセルを背負った子どもが走っていた。
日傘の中で、子どもは笑顔だった。
田畑に囲まれた大きな平屋に駆け寄り、勢いよく玄関を開ける。
「ただいま!」
電気に照らされた畳の上に、赤ん坊が寝ていた。
「ただいま、ユキ」
すぐそばにランドセルを投げ捨て、赤ん坊の頬に指を伸ばす。
「サクラ、手は洗ったの?」
「あ、ママ!」
母親が出てきて、子どもは慌てて手を洗いにいった。その隙に母親が赤ん坊を抱き上げる。
「ママ、ママ、あのね!」
「なぁに?」
「今日、算数のテストで100点とったの!」
「おめでとう。頑張ったのね」
「うん!……あ……」
「どうしたの?」
「ママ、あの飴ちょうだい!」
「はいはい」
戸棚から白い紙に包まれた小さなものを取り出して、子どもに手渡す。
その紙を開くと、赤黒い色の飴玉のような丸いものが入っていた。
子どもはそれを口に放り込む。
「ん〜!おいしい〜!」
娘の満面の笑みに、母親も穏やかに笑っていた。
「ママ、この飴、どこに売ってあるの?」
「……どうしてそんなことを聞くの?」
「あのね、こんなに美味しいの、友達に教えてあげたいの。でも、これをあげるのはダメなんだよね?」
「誰にもあげちゃダメ。秘密よ」
「うん。わかってるよ。でもこれ、学校の近くの駄菓子屋さんには売ってないの。ママはいつもどこで買ってるの?」
「……パパに買ってきてもらってるの」
母親はその話題から逃れるように視線をそらし、おもむろにテレビをつける。
ちょうどニュースがあっていた。
『今日、鈴村遼太郎さんが老衰のためなくなりました』
「……ぇ……」
アナウンサーが読み上げた言葉に、母親は思わず反応した。
『鈴村さんは吸血鬼症候群研究の第一人者で、闘病する子どもたちのために保護施設と学園を建てるなど、大きな功績を残しました』
「ママ?」
娘が母親の異変に気づいてきょとんと首を傾げる。
「ママ、この人だぁれ?」
テレビの画面に映し出された白髪の老人を指す。
「……ママのお父さんよ」
「じゃあ、サクラのおじいちゃん?」
「そうね」
「ふぅん……」
会ったこともない人を祖父と言われても、実感はわかないだろう。
その時、玄関が開く音がした。
「ただいま」
「あ、パパ!」
娘がすぐに駆け出す。
「おかえりなさい」
「あぁ」
娘にじゃれつかれている夫に顔を向け、じっとその顔を見る。
「どうした?」
「……理事長が死んだわ」
「……そうか」
静かな空気が間を流れる。
「……落ち着いたら、墓参りにでも行くか」
「大丈夫なの?」
「落ち着いた頃なら大丈夫だろ。会社の人に場所を聞いておく」
「ありがとう。バレないでよ」
「当たり前だ。昔世話になった人とでも言っておけばいいだろ」
そう言いながら、夫は戸棚から飴玉を取り出し、口に含む。
「もうなくなりそうだな」
「明日作っておくわ」
「そうか」
「パパ、遊ぼう!」
娘に乱入されて、夫婦の会話はもうなかった。




