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煙の魔女


 いつからそこにいたのだろう。私とシグレを見下ろしているエリシュさんは、どこか不機嫌そうだ。

 いや、不機嫌になるのは無理もない。彼女を出し抜くため、私はお屋敷を抜け出して来たのだから……。


「お姉さま。ここは私が引き受けます。お姉さまはどうぞ、お行きください」

「し、シグレ?私が逃げるのに、協力してくれるの?」

「はい。お別れは嫌ですけど、お姉さまがしたい事には協力したいです。ですが、どうかお元気でいてください。私は、お姉さまのご無事を祈り続けています」


 そう言うと、シグレは私にお金の入った袋を押し付け、強制的に持たせてきた。

 なんて、良い子なんだろう。身勝手な私に怒るどころか、協力しようとしてくれている。

 でも、ちょっと待った。先ほどエリシュさんは、家のお金を持ち出して夜遊びとは感心しないなと、そう言ったよね。つまりコレって、家から持ち出されたお金。さらにつまるところ、シグレがエリシュさんの家から盗んできたお金という事になる。


「──何を言っているんだ。逃がしはしないよ」

「っ!?」


 いつの間にか、エリシュさんが私達のすぐ傍に立っていた。私とシグレは2人で慌ててエリシュさんから少し距離を取り、様子を伺う。

 エリシュさんの周囲には煙がたちこめており、辺りも煙によって浸食され始めている。それがエリシュさんの魔法による影響だという事は、魔力の光ですぐに分かった。それに、初めて出会った時に目の前で繰り広げられた戦いの事もある。あの時は煙を武器にして戦うエリシュさんが印象的だったので、それを思い出して私はすぐさま煙に自分の魔力を送り込み、干渉を試みた。

 私の身体から光状の帯がエリシュさんの魔力の光にくっつき、そして侵食を始める。

 相手の魔法を、自分の魔力で上書きして消し去る、自分で編み出したけど既に存在していた、マジックキャンセラーと呼ばれた技だ。村の人が、そう呼んでいたのを覚えている。


「抵抗はお勧めしない。おとなしく私と一緒に、家に帰るんだ。そしてもう二度と、屋敷を抜け出そうなどと考えない事を約束するんだ」


 エリシュさんが喋っている隙に、私はいくつかの魔法を打ち消す事に成功した。それにエリシュさんは気づいていないようで、反応を示さない。


「帰らない。私はメグ……いや、彼女を探しにいくの。邪魔をしないで」

「無駄だよ。君のような子供が探しに向かった所で、一生かかっても彼女を見つけ出す事はできないだろう。むしろ、近づこうとすればそれは君にとっての死に近づく事になる。悪い事を言わないが、やめておとなしくしているんだ。私の家にいれば、ちゃんと探してあげるからそれまでの辛抱だ」

「今は子供かもしれないけど、その内大人になる。子供の内は無理かもしれなくても、大人になったら見つけられるかもしれない。おとなしくしていれば探してくれると言うのは凄く美味しい話には聞こえるけど、私は出会って一日も立たない人の事を、簡単に信用したりしない。パパとママにも、知らない人を信じてついていったらダメって言われてるしね」

「はぁ……」


 私の屁理屈に、エリシュさんはため息で応えた。ため息と一緒に、煙が出ているのが面白い。

 そもそも私をもっとちゃんと納得させない内に攫った事が、この人の間違いだ。パパとママの知り合いだかなんだか知らないけど、私を信用させたければそれなりの時間と態度が必要になる。

 悪い人ではないとは思うんだけどね。でもやっぱり、ダメ。私は今すぐメグルを探しに行きたい。だから何と言われようとも、おとなしくしているつもりはない。

 エリシュさんの魔術師としての能力を目の当たりにしてしまったので、密かに逃げ出すつもりだったんだけどね……。ちょっとその計画が崩れてしまった。


「なるほど。君は間違いなく、サラとグラディスの子供だ。いや、君がこういう事を企んでいるのは、なんとなくは分かっていたんだけどね。でもコレは、あまりにも似すぎていて頭が痛くなってくる」


 コレは、褒められているのだろうか。よく分からないけど、とりあえずそういう事にしておこう。


「えへへ」

「はぁ……」


 頭に手を乗せて照れると、またため息を吐かれてしまった。


「まぁしかし、今回私は引くつもりはないからいくら駄々をこねても無駄だよ」

「できれば、見逃してほしいんだけどなぁ……」

「無理だ」


 そうだよね。無理だから、追いかけて来たんだ。

 その返答を聞いた私は、たった今シグレから受け取ったお金の入った袋を、エリシュさんに向かって投げ渡した。

 その袋を、エリシュさんは片手でキャッチ。中身を確認する事なく、すぐに自分の懐にしまい込んだ。


「お、お姉さま!?せっかくのお金が……」

「いい、シグレ。私は盗みを働いて手に入れたお金なんて、欲しくない。盗みはしちゃいけない事なんだよ。それで……お金は返したし、できれば見逃してほしいんだけど……」

「無理だよ。コレは元々、私のお金だからその理屈は通らない。そもそも私は金の事なんてどうでもいい。ただ君たちを連れて帰るのが目的であり、コレは関係ない」

「だよね……」

「しかし、いいのかい?金がないままこのまま行けば、何も出来ずに野垂れ死ぬだけだ。その貧相な身体では、身売りで稼ぐのも難しいだろう。いや、一部のマニアックな者には受けがいいだろうけど」

「う、売らないよ!とりあえず、ママの形見の髪飾りを売って、それでなんとかするつもり──……」


 私が自分の作戦を口にした時だった。場の空気が変わり、冷たく凍てつくような空気が流れ始める。それに気づいて、思わず喋るのを中断するくらいの変わりようだ。


「……やはり、君を行かせる訳にはいかないようだ。それにね、私は少し不機嫌なんだよ。ルナとの楽しみを邪魔され、その上君はその髪飾りを売ると言う。実に不愉快だ。……話はここまでにして、帰るよ。抵抗するなら、それなりの覚悟をもってするんだ。もしかしたら……少し痛い目を見る事になるかもしれないからね」


 背筋が凍り付くようなエリシュさんの視線が、私の胸を、意思を貫く。

 怖い。私が男の人に感じる恐怖心と似たような物を、エリシュさんに睨まれて感じる。私の発言の何かが、エリシュさんの神経に触ってしまったようだ。おばさん発言なんて比じゃないくらいに彼女は怒っていて、その本気度が周囲に溢れ出した彼女の魔力からも悟る事ができる。

 怖いよ。でも、ここまで来たらもうやるしかない。


「逃げるよ、シグレ!」


 私はシグレの手を掴み取ると、エリシュさんに背を向けて駆け出した。不意をついた私の行動に、シグレは最初戸惑っていたけどすぐに足を合わせて付いて来てくれる。


「愚かだな。警告はしたからね。少しくらいの怪我は、多めにみてもらうよ」


 エリシュさんが、駆けだした私たちに向かって掌を向けている。何かの魔法を発動させようとしているようだけど、その魔法は発動しない。私が先ほど、密かに打ち消したからだ。


「へへっ」


 魔法が発動しない事に、驚いた表情を浮かべるエリシュさんに向かい、私は最後に笑ってから前を向きなおした。


「お、お姉さま。私もついて行っていいんですか?」


 共に駆けだしたシグレが、走り出してからそう尋ねてきた。


「さすがにあの鬼みたいな表情のエリシュさんの所に、一人残していけないって……。振り回すようで悪いけど、とりあえず一緒に来て……くれる?」

「も、勿論です!私はお姉さまが望むなら、どこへだってお供します!」


 自分勝手な私を責める事もなく、シグレはそう言ってくれた。本当に、可愛くて天使のような子だよ。ここは普通、怒る所だからね。私がシグレの立場だったら、私を殴り飛ばして別々の道に逃げるもん。

 そうして2人で駆け出してから、しばらくの時間が経った。全速力で駆けて、息があがってきた所で私はようやく足を止める。あがった息を整えながらすぐに後ろを見ると、追手の姿はない。どうやらまくことに成功したみたいだ……と思いたい。


「追って、来ませんね。まいたんでしょうか」


 私の息は上がっているけど、シグレの息はあがっていない。冷静に周囲を見渡してそう言って、余裕を見せている。途中からむしろ私の手を引っ張っていたし、この子思ったより体力があるね……。

 シグレも、こんなに簡単にエリシュさんをまけるとは思っていないようで、どこか不安げな様子だ。

 その不安は見事に的中し、周囲に魔力が溢れ出したと思ったその瞬間、私達の行く手に氷の柱が出現し、道を塞がれてしまった。更には来た道も、側道にも同じように氷の柱が出現し、私たちは狭い路地に閉じ込められる形となった。


「寝ぼけた事を言うな。この煙の魔女、エリシュから子供が逃げ切れる訳がないだろう」


 どこからともなく聞こえて来た声。その声の主は周囲を包み込んだ白い煙の中から現れ、私たちの前に再び立ちはだかった。


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