やっちゃった
私たちの前に立ちはだかる、魔女。帽子を被り、煙管を咥え、片目を髪の毛で覆い隠し、出ているもう片方の目は鋭く吊り上がり、私たちを睨みつけている。そんなに眉間にシワを寄せたら、おばあさんみたいだよと言いたくなるけど、言ったら殺されそうな雰囲気なので言わない。
私はシグレを背に庇いつつ、周囲を見渡して逃げ道を探す。氷の柱は、魔法だ。魔法を打ち消せば、氷もすぐに消えるはず。
「先ほどは、不意をつかれたよ。まさか仕掛けておいた魔力が、密かに打ち消されていたとはね。おかげであの場から君たちを逃がしてしまった。でも次はない」
「っ!?」
私の考えを見透かしたみたいに、私の周囲にたくさんの魔力の光が出現した。魔法の前兆を見た私は、慌てて周囲の魔法に自らの魔力を飛ばし、打ち消していく。
「どうした?うち漏らしがあるぞ」
「は……あ、あぁ!?」
気づけば、足元に魔力の光があって、それが魔法を発動させていた。その魔法によって私の足が凍り付き、その場から動けなくなってしまった。オマケに凄く冷たくなって、痛くなってくる。
「お姉さま!」
シグレが私の身体を支え、起こそうとしてくれるけど足が動かないのでどうする事もできない。そのシグレの足にも、氷が出現してその足を捕えようとしているのを見た私は、先にその魔法を打ち消す。
そこで一旦、エリシュさんの怒涛の魔法攻撃が止まった。
「ふぅ……」
「っ……」
足が固まった私の事を、冷たい片目が見つめている。口から煙を吐き、余裕たっぷりのエリシュさんは、この場の支配者だ。彼女から逃げるなんて、絶対に無理。私は先程までの意気込みを全て吹き飛ばし、敗北を悟る。
最早、彼女の不意を突くのは無理だ。本気となった彼女に対し、私のマジックキャンセラーなどという自己流で生み出した技は、通用しない。
「どうした。もう終わりか?なら諦めたまえ。今ならまだ、素直に謝れば赦してやらん事もない」
「……誰が。どうやって逃げようかなって、考えてただけだよ」
私はそう虚勢を張りながら、足に張り付いている氷の魔法を打ち消した。足が自由になったものの、氷に包まれて体温を奪われた分のダメージはある。特に、素肌に直接氷が触れていた個所はヤバイ。凍傷でもしたかな。
「お、お金を盗んだことは、謝ります。私が単独でやった事なので、どうか怒りを向けるなら私だけにしてください」
「先ほども言ったよね。金などどうでもいい。君たちが私を舐めている事は、君たちの行動でよく分かった。だから力を示し、もう二度とバカな気をおこさないようにする。これは、躾だよ」
「……私は、お屋敷に戻ります。何の価値もない私かもしれませんが、私で良ければなんでもします。だから、お姉さまは見逃してください」
「価値がない事はない。君は磨けば美しく輝く、原石だ。君がそう言うなら、私は是非とも君を奴隷として手元に置いておきたいと思う。いつでも、どこでも私の好きな時にいたぶれるよう、常に傍にいるんだ。逃げる事は、絶対に許さない」
「はい。元々は奴隷の身。何をされようが、構いません。貴女の好きなようにしてください。ですから──」
あまりにも簡単に自分の身を差し出すシグレと、シグレを私と同じように扱うと約束した事を破り、奴隷にするというエリシュさん。どちらも私にとって、受け入れがたい。
私が不甲斐ないばかりに、シグレにそんな事を言わせてしまった。私が自分勝手すぎるせいで、幸せになるはずだったシグレの生活を壊してしまった。こうなったらもう、勝つしかない。もうなりふり構うのはなしだ。私も、本気で行く。
「ですからもクソもない!」
私は2人の間に割り入ると、そう叫んで話をやめさせた。
「そっちがその気なら、私も本気で行くからね!」
「ほう。ここまでは、本気ではなかったと。では見せてもらう。君の本気とやらを」
「……後悔しないでよ」
私は息を吸い、肺に空気をためてから息をとめた。そして掌をエリシュさんへと向けて、魔力を集中させる。掌に魔力の光が集まっていくと、静かな風が巻き起こった。不気味な程静かな風と、いやに静まり返る周囲の様子に、エリシュさんの目の色が変わる。
私が放とうとしている魔法を打ち消すためか、エリシュさんの身体から魔力の光が私に向かって伸びて来た。でも、無駄だよ。その程度の魔力で、私の魔法は打ち消されない。
正直言うと、この魔法は絶対に使いたくなかった。下手をしたら、相手が死んでしまう魔法だから。私はこの魔法を初めて使った時、もう二度と使わないと自分に誓った。でも状況が状況だし、相手が相手だ。エリシュさんなら、まさかコレを食らって死んだりなんかはしないだろうという、謎の自信がある。だから使う。
絵本で読んだ敵役が使用する、空想上の魔法──。
「闇へ引き込む悪魔の手」
魔法が発動し、私の掌から黒い手が飛び出した。私の手より遥かに大きな、巨人の手。それがエリシュさんに向かって伸びて行き、エリシュさんを掴み取ろうと大きく開かれる。
そして、飲み込んだ。
まるでそこに物など何もないかのように、エリシュさんを丸ごと飲み込んで拳を作る手。よく見れば、大きく地面まで削ってその爪痕を残している。
恐ろしいのは、音も何もなかったことだ。何の衝撃も、音もなく、その手に触れた物を一瞬で潰してしまった。
「……ヤバイ。ヤバイヤバイヤバイヤバイ!どうしよう、シグレ!私、やっちゃった!」
拳を作る、自分が作り出した魔法を前にして、私はパニックに陥った。殺すつもりはなかったんだよ。エリシュさんなら、簡単にあしらってしまうと思っていたから、使用したんだ。
「やっちゃいましたね!凄いです!コレでお姉さまはどこへでも、好きな所に行けますね!」
やっちゃったというのに、シグレは笑顔で喜んでいる。
私はもう、逃げるとかどうでもよくなった。だって、やっちゃったんだよ。それどころじゃなくて、自首を考えなければいけない事態である。
「──君には本当に、驚かされてばかりだよ」
たった今、死んでしまったはずのエリシュさんの声が聞こえた。どこから聞こえたのかと周囲を見ると、それに応えるかのような形で私が作り出した魔法の手が、いきなり凍って砕け散ってしまった。
手で覆われていた所から煙が流れ出て来たかと思うと、その煙が人の形を作り、やがてエリシュさんとなってそこに現れる。
「い、生きてた……」
「あれくらいでは、死なないね。私を殺したくば、煙を滅する方法を考える事だ」
「良かった……」
私はエリシュさんが生きていた事に安心すると、膝から崩れて地面に座り込んでしまった。
シグレが私の肩に手を乗せ、抱き締めるようにして心配してくれて、ちょっと嬉しい。
「どうした?座っていては、逃げられないよ」
「……はぁ。分かった。もう抵抗はやめるから、赦して」
私は人殺しをしてしまったという自責の念と、からの、実は生きていたエリシュさんを前にして安心して脱力し、戦意を喪失してしまった。
「ふむ。抵抗は諦めて、おとなしく家に帰ると。そういう訳だね?」
「……」
私は静かに頷き、肯定。すると、エリシュさんは意外にもあっさりと私たちを包囲する氷の柱の魔法を解き、隙を見せた。
でも、抵抗をやめると言った私の言葉は、本当だ。もうこれ以上戦う意力は、私にはない。
「……お姉さま。今なら」
シグレがそう助言してくれるけど、その必要はないと首を横に振る。
「振り回して、ごめんね。もういいんだ」
「……お姉さまがそう言うなら、分かりました」
こうして私とシグレは、エリシュさんに降伏し、あの広いお屋敷に帰る事になった。
結局、何がしたかったのか自分でもよく分からない。大人に反発して家を抜け出し、魔法まで使って暴れて、急に戦意を喪失しておとなしくなる。まるで子供だよ。いや、子供なんだけども。
「それは良い心がけだが……家を夜中に抜け出し、しかも金を持ち出したうえ、私の楽しみの邪魔をして、挙句に連れ戻しに来た私に対してあのような強力な魔法を使用した。これだけの事をしておいて、今更タダで済むとは思ってはいないよね?」
エリシュさんはそう言って、私に笑いかけて来る。その笑顔は、笑顔だけど私に恐怖心を抱かせた。




