第24話~一角兎~
~新宿区・歌舞伎町~
~新宿区役所付近~
金曜日、午前中。
僕達は5人揃って、新宿区役所を訪れていた。
レミの入植で区役所に来た際に、マルチェッロから説明を受けた、僕達の元いた世界――ワールドコード「1E7」・チェルパへの穴についてだ。
僕が前回区役所に行ってから、およそ一週間。その間に三度も、新宿区役所管内で穴が開いたらしい。
「何と言うか、あれだねー。あたし達が気づかない間に、大変なことになってたんだね」
パスティータが両手を後頭部に宛がいながら、ぼんやりと呟いた。
まるで他人事のような、緊張感のない口調だが、実感が伴わない話なことは否定できないところだ。
チェルパへの穴が開きやすくなっている現状だが、目に見えての問題や災害は、今のところ発生していない。
こちらからあちらへ、あちらからこちらへの人間の行き来は、僕達がやってきて以降確認されていなかった。
だが、あくまでも「今のところは」だ。この先どういう状況に発展していくかは、誰にも分からない。
「でもよ、新宿区の中でこれだけ頻繁に穴が空いてるならよ。
俺達があっちに帰る目算も、少しは立てやすくなるんじゃねぇか?マルチェッロのおっさんも協力してくれてるんだろ」
これまた宙に視線を彷徨わせながら、腕組みしつつ口を開くのはアンバスだ。
その言葉に、一瞬視線を落とす僕。だがすぐに、静かに頭を振った。
「確かに、可能性は前より高まっているのは事実だ。だが……
クズマーノさんが言っていた。限られた狭い地域に、短期間に何度も、同じ世界の穴が空くということは、世界の位相が重なりつつあるということだと。
今はまだ小さい穴が空いているだけだが、あんまり開きすぎると最悪、この新宿区とチェルパの一地域が、それぞれの世界から分離して結合してしまう、なんてこともあるらしい。
そうなったら、帰れるとか帰れないとか、そういう話じゃなくなる」
僕の言葉に、アンバスもパスティータも、その後ろで話を聞いていたエティとシフェールも、しん、と押し黙った。
いくら元の世界に、チェルパに帰りたいからといったって、世界が混ざり合ってしまっては意味が無い。全く無い。
それは最早、僕達の住んで暮らしていた世界ではないからだ。
この世界―マルチェッロ達は「アース」と呼んでいた―にもそれなりに愛着が湧いてきたし、僕達の世界が原因で問題を撒き散らしてしまうのは、少し申し訳ない。
帰りたい気持ちと、帰るのが申し訳ない気持ちが、僕の頭の中で交錯する。
「うーん」と唸った僕の目の前を、何か小さな影が横切った。
「はっ!?」
「な!?」
アンバスとシフェールが驚愕の声を上げつつ目を見開いた。
その声に反応した何かが立ち止まり、僕達の方へと向き直る。
パッと見たシルエットはウサギだ。大きさも成猫程度。だがその額には、らせん状に捩子くれた一本の角がしっかりと生えていた。
それに加えて地球のウサギよりも発達した後ろ足。
間違いない。これは地球に生息する生物ではない。僕達の世界に生息する生物だ。
「一角兎!?何故ここに!」
エティが後ずさりながら叫んだ。
一角兎はその発達した後ろ足で力強くジャンプし、その額の角で猛然と相手に襲い掛かる、獰猛な生物だ。
一体一体はそれほど強くなく、冒険者が旅立ち始めた頃合いに宛がわれる依頼で相手取る程度の存在だ。
だがそれはチェルパでの話。ここは地球だ。
街の人々は獰猛な獣の脅威に晒されることなく暮らしているし、服装も防御力を考えたものになっていない。
加えて、新宿のこの人の多さである。そして、懸念事項はもう一つあった。
「何あれ?ウサギ?」
「やだー、角生えてる、かわいいー」
一角兎を取り囲む人々が、口々に声を上げてはスマートフォンを構える。
そう、スマートフォンに搭載したカメラである。
今は日も高いからフラッシュを焚かれる心配はないが、カメラのレンズに反射した光に一角兎が反応しないとも限らない。
囲まれた一角兎は自身を取り囲むあまりの人の多さにパニックになったのだろう、その場でぐるぐる回ってはピスピス鳴いている。
僕は視界に一角兎を捉えたまま、後方に立つエティに鋭い声を飛ばした。
「エティ、すぐにクズマーノさんに電話して!一角兎が区役所通りに出たって!」
「あ、うん……!もっ、もしもし、転移課ですか!?」
すぐさま僕と背中合わせになるようにして、エティがスマートフォンの通話アプリを起動させる。
僕がエティの前に立ちはだかる形になり、目隠しとして機能することも期待したが、一角兎の視点はだいぶ低い。意味はないだろう。
果たしてエティの高い声色に反応したか、一角兎の黒い双眸が僕を捉えた。後ろ足にぐぐっと力が籠もるのが見える。
「(まずいっ!!)」
すっと目を細める僕の前に、パスティータが飛び出してきた。手にはお茶の入ったペットボトルを握っている。
ナイフ代わりに使おうというのだろうが、果たして一角兎の角を防ぐに足りるだろうか。
そして次の瞬間、一角兎の後ろ足が強くアスファルトの地面を蹴った。
その小さな体躯は身長の3倍以上も高く飛び上がり、パスティータの顔に向けて角の先端が光る。
一瞬、世界がスローモーションのように流れて行くのを感じながら、僕は大きく口を開いた。
『ロッキア、礫よ!』
僕の詠唱が市役所通りに響いた次の瞬間、どこからともなく飛来したピンポン玉サイズの石が一角兎のこめかみを撃った。
空中でもんどりうった一角兎の身体が、アスファルトに叩きつけられる。そのままピクピクと痙攣し始めた。
あまりに予想を超えた状況に、観衆も、パスティータも、僕自身も、事態を飲み込めずにぽかんとしていた。
おかしい、この力はこちらに来てから失われたはずだ。この世界には魔力は無いはずではなかったのか。
そんな沈黙が支配し、誰も彼もがその場を動かないでいる区役所通りの状況を、打破したのは区役所の方から聞こえてきた大きな声だった。
「はいはーい、皆さんどいてくださいねー、ごめんなさいねー!通りますよー!!」
大きな声を張り上げながら、人々の胸くらいの高さを飛びながら、群衆を掻き分けるように人混みの中に姿を現したのは、青く小さなドラゴン。転移課課長のマルチェッロだ。
彼の後ろから、小さな金属製の檻を抱えた市役所職員も駆けてくる。
マルチェッロはアスファルトの上に倒れた一角兎の傍に舞い降りると、その首筋にそっと手を当てる。
「傷は負っていますが息はありますね。急いで収容を。
それと……あぁいた、カマンサックさん。皆さんも。この件についてお話を伺いたいので、私に付いてきてくれますか?」
マルチェッロが僕に、まっすぐな視線を向けてくる。
檻の中にテキパキと収容された一角兎は、未だ目を覚まさないままだ。そのこめかみには石が直撃した傷が、はっきりと見て取れる。
間違いなく、僕があれを撃退した手段絡みだろう。
僕はちらりと、皆に目配せをする。エティもシフェールも、パスティータもアンバスも、皆一斉に頷いた。
「分かりました、僕としてもさっきのは気になっているので」
僕が了承の意を示すと、マルチェッロが右手をサッと挙げた。
そのままこちらに背を向けて、区役所の方へと飛んでいく。
「それじゃあ行きましょう、すぐ行きましょう、えぇ」
こうして僕達はまたすぐに、区役所の中へと逆戻りする羽目になったのだった。
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