第23話~でえと~
~新宿・歌舞伎町~
~居酒屋「陽羽南」~
時は流れ流れて深夜0時。
今日も何か事件が起こるわけでもなく、陽羽南の営業時間が終了した。
閉店まで居座る客もおらず、既に拭き掃除の終わったテーブルをぐるりと見回して、澄乃がパンと手を叩いた。
「さ、今日も無事に営業終わり!閉店作業するよ!」
静かな店内に通りのいい、ハリのある声が響く。皆が一斉に動き出した。
アンバスはストリートに出している看板の片付けと、ビルの壁面に取り付けられた看板の電源オフ。
パスティータは椅子をどけてから、店内の床掃除。
僕とシフェールは厨房の掃除。
そして澄乃は今日の分の会計の計算。
これらの閉店作業も、人や仕事のローテーションこそあるが、だいぶ効率よく出来るようになってきた。
ちなみに澄乃がいない時の会計計算は僕がやることになっている。なんでだろう。いいけど。
今日はお客様が遅くまで残っていることが無かったため、ある程度先に片付けや洗い物を済ませておけた。
それもあって今日の閉店作業はいつも以上にスムーズに終わり、30分程で片付けや清掃が全て終わった。
早く後片付けが終わると、やはり気持ちがいい。皆一緒に、ふぅっと息を吐いて微笑みあった。
「店長、閉店清掃終わりました」
「んー、あ、うん、お疲れー。こっちももうちょっとで終わるから、少し待ってくれる?」
澄乃がノートパソコンのキーボードを叩きながら答える。唸っているところを見ると、難航しているようだ。
普段なら清掃が終わる頃には計算を終えてノートパソコンを閉じているのに……?
画面に顔を近づけながら頭を掻く澄乃の背後から、画面を覗き込んだ僕は「あっ」と声を上げた。
「店長店長、ここ、列が一つずれてます」
「あっ!?ほんとだ、わーしまった……助かったよマウロちゃん、ありがとう」
僕の指摘を受けてようやく間違いに気づいたらしい澄乃が、こちらにパンと手を合わせてくる。
申し訳なさそうな表情と共に手を合わせられた僕は、一瞬浮かぶ戸惑いの表情をぐっと隠して目を細めて「どういたしまして」と言葉を紡いだ。
お礼を言われた時の「微笑んで「どういたしまして」」に、最近ようやくタイムラグが無くなってきたが、こうも全力で感謝されると、ちょっと戸惑う。
日本人は主張しない人種だ、日本語は曖昧な言語だなんだと聞いたことがあるが、なかなかどうして、ハッキリ言う時は言うものだ。
澄乃が純粋に日本人かどうかは、この際置いておくとして。
「ふーっ、OK、実態とのズレはこれでなしと。よかったよかった、これで――」
「あ、あの、店長……」
表計算ソフトのデータを保存し、背もたれに体重を預けて伸びをした澄乃に、シフェールがおずおずと声をかけた。
その様子にパスティータがいつになく、鋭い視線をシフェールに向けた。僕とアンバスは互いにキョトンとして、顔を見合わせている。
一体なんだろう。そんな三人の様子に視線を向けることもなく、いっぱいいっぱいになっているシフェールを澄乃が振り返った。
「ん?なんだい?」
「その、あの……次の土曜日、お休みを……いただきたいんです、けど……」
最後の方は消え入りそうな小声になりながら告げるシフェールに、澄乃も僕達と同様、キョトンとした表情になった。
シフェールはいつでもどこでも真面目で誠実、堅実に仕事に取り組むタイプだ。パーティーを組んでいた時も常にピンと張りつめた空気を纏っていた。
そんな彼女が今日は、自分から休みの要望を出している。
「んー、いいよ。ディトちゃんに土曜日出れないか聞いてみるから。
何?どっか出かけるの?」
「えっと、その……まぁ、そんな感じで、はい……」
仕舞いにはもじもじし始めました。ここまで普段と違う様子を見せられたら、さすがに僕もなにかを察する。
煮え切らない様子のシフェールと、明らかに不審がって首を傾げる澄乃をチラと見て、僕は屈んで傍らに立つパスティータに耳打ちした。
「(なぁパスティータ、シフェールはどうしたんだ?)」
「(あー、あれねー。まぁシフェールにとっては人生初のイベントだもん。そりゃー店長に言い出すには勇気も要るさ)」
……???
パスティータの発言を聞いてもいまいち分からない。シフェールにとって一大事なことは感じ取れたが。
何故かパスティータは悟りきった表情でうんうん頷いている。訳が分からない。
「あの、あれです……俗に言う、『でえと』というやつです……」
耳まで顔を真っ赤にし、顔を伏せ、蚊の鳴くような声で、シフェールはそう口にした。
でえと。
確か男性と女性が逢瀬を楽しむことだったか。
僕が発言を飲み込む間に、澄乃が笑いながらバシンと大きな音を立ててシフェールの尻を叩いた。
「あだっ!?」
「あっはははははは、なーんだーデートかー!いいよーいいよー、一日でも二日でも休んじゃいな!!」
痛みに尻を押さえて涙目になるシフェールに、澄乃は親指をぐっと立てて突き付けてみせた。
無事に休みの許可は取れたとして、でえと。デートか。
つまりシフェールには、デートに行くような気になる異性がいるということなのか。いつの間に。
「やー凄いよねーシフェールってば。
相手の男性、今日お店に来てて、その場で伝言を書いたメモを渡されて、開いたらデートのお誘いで、更にスマホのメッセージで念押し来たんでしょ?
かっこいい人でよかったねー」
「わー!?ちょ、パスティータ、言うな、言うなーっ!?」
驚きの表情を顔いっぱいで表現するアンバスと僕を完全に置いてけぼりにして、パスティータが堂々とぶっちゃけた。
完全に虚を突かれて色々と暴露されたシフェールが、慌ててパスティータの口を塞ぎにかかる。
その内容に僕はさらに目を見開く。来ていたのか、その相手が。今日、この店に。
アンバスが目を閉じ、指をこめかみに当てながら唸る。
「んー、あー待て、今日来ていた客の中でそれっぽいのだと、あれか。20時頃に男二人で来ていた会社員。
あそこのグループの長袖の客が、随分と厨房のシフェールに目を向けてたし、あの時間帯にシフェールがめっちゃテンパってたし、怪しいなとは思ってたんだが」
アンバスの発言に、パスティータの口を物理的に塞いでいたシフェールが弾かれたように振り返った。
視線を受けたアンバスが、こめかみの指をピッと立てて言葉を続ける。
「言っとくけど俺も面識あるぞ、あの男とは。会ったの、先月お前を連れてった、新宿西口のあそこのバーだろ。
俺もあそこで二度ほど顔を合わせてるから、知ってんだぞ」
その言葉にシフェールは、その場に蹲って頭を抱えた。
なんというか、僕だけ置いてけぼりをくらっている感がすごい。
恥ずかしさに死にそうになっているシフェールがどうにもいたたまれなくなり、僕はそっと声をかけた。
「その……頑張って、な?」
「……う゛ん゛」
顔を上げたシフェールの顔は涙でぐしゃぐしゃだった。あーあ。
~3時間ほど前~
~西新宿のとあるバー~
「……で、誘いへの返事は来たのか?」
「はい。無事に了承を貰えました。休暇申請が許可されるかどうか次第ですが」
薄暗いバーカウンターで二人の男性が小声で話し合っていた。
夏本番ということもあり、夜でも蒸し暑い屋外。大半の客が半袖を着用しているが、男性の一人は袖までぴっちりとボタンを留めた長袖のワイシャツを着ている。
それでも汗一つかくことなく、長袖ワイシャツの男性は表情一つ変えずにウイスキーの入ったロックグラスを持ち上げる。
「なんにせよ、安心しました。ご同行いただきありがとうございます、米川さん」
「いいってことよ。お相手の綺麗なおねーちゃんも見れたことだしな。役得役得」
ロックグラスをくっと傾ける長袖の男性に、からりと笑ったもう一人の男性――米川がカクテルの入ったグラスをチンと指で弾いた。
「ま、なんにせよ頑張れよ、御苑。バカが付くほど真面目なお前のことだから、変なことはしないと思ってるけどよ。
真面目も過ぎると女受けが悪いぞ」
米川の真面目な忠告に、長袖の男性――御苑はこれまた表情を変えないままで、視線を手元のロックグラスに落とす。
「……善処します」
ロックグラスの中で、大きめに削られた氷がチリ、と鳴った。
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