遥か彼方
ぼくは時任彼方。
二十歳の浪人生。ちなみに二浪中だ。
親からは、大学に行くなら国立、そうでなければ就職しろと言われている。我が家に私立大学に通わせる余裕はないらしい。
おまけに、三浪は認めないそうだ。
次に落ちたら、働くしかない。
別に勉強が好きなわけじゃない。
でも、働きたいわけでもない。
親は、ぼくの将来が心配だとかいつも言っているけれど、そもそも、ぼくがこんな状況に陥っているのは、親の稼ぎが少ないせいじゃないか。
親ガチャ失敗。
まったく、世の中は不公平だ。
とはいえ、じゃあ自分がどうなりたいのかと聞かれても、将来やりたいことも、欲しいものも特にない。
唯一、ぼくが自慢できるのはSNSのアカウントくらいだ。
時間を注ぎ込んだだけあって、フォロワーはそれなりにいる。
けれど、最近は投稿するネタも尽きてきた。
予備校と家を往復するだけの生活では、そうそう面白いことも起きない。
となれば、次はバズりそうな動画でも作って投稿するしかない。
鋭意制作中。
今のぼくの楽しみなんて、それくらいだ。
同級生たちは、今頃キャンパスライフを楽しんでいるのだろう。SNSには、彼女と旅行に行った写真を上げているやつもいた。
それに比べて、こっちは毎日、同じ場所を行き来しているだけだ。
出会いなんてあるはずもない。
突然、ヒロインが押しかけてきたりしないだろうか。
ピンポーン。
インターホンが鳴った。
両親は仕事に出ていて、家にはぼくしかいない。
「はいはい」
玄関の扉を開けて、固まった。
とんでもない美少女が立っていた。
腰まで届く、艶やかな黒髪。
白いシャツの胸元には黒いリボン。落ち着いた色のスカートも、その下にのぞいている上品なストラップシューズも、いかにも育ちのよいお嬢様といった感じだ。
こんな古びたアパートの玄関先には、あまりにも似つかわしくない存在だった。
その少女がぼくを見上げ、なぜか愛おしそうに目を細めた。
「こんにちは、カナタさん。ハルカと申します。今日は、大切なお願いがあってこちらに伺いましたわ」
どうして、ぼくの名前を知っているんだ?
彼女は誰だろう。
こんな美少女なら、一度でも会っていれば忘れるはずがない。
けれど、まったく見覚えがなかった。
「は、はい。何でしょう?」
戸惑いながら答えると、彼女は少し背筋を正して、胸元で手を重ねた。
「これからSNSに、不謹慎な動画を投稿しようとなさっていませんか?」
「えっ?」
思わず後ろを振り返る。
ぼくの部屋のタブレットの画面には、まさに今、作っている途中のAI動画が表示されている。
しかし玄関から見えるはずはない。
「もしそうでしたら、おやめくださいね」
あの動画のことは誰にも話していないのに、彼女はなぜ知っているのだろう。
「……投稿したら、どうなるの?」
「そうですわね……」
ぼくが尋ねると、ハルカは少し考えるそぶりを見せた。
「暗殺されたのち、果てしなく苦しむ地獄に堕ちる――そうお伝えするよう、頼まれていますわ」
涼しい顔で、とんでもないことを言う。
「いや、動画を上げただけで?」
「ええ。軽い気持ちだったそうですわ」
「誰がそんなことを……」
「一週間後のあなたです」
聞き間違いかと思った。
けれど、彼女はぼくをまっすぐに見つめている。
「ご本人から、どうしても伝えてほしいと頼まれたのですわ」
ぼくは、返す言葉を探した。
一週間後のぼくからの伝言?
そんなこと、あるはずがない。
けれど、彼女にはふざける様子もなく、ぼくの顔を、どこか懐かしむように見つめている。
「……ぼくたち、どこかで会ったことある?」
「はい。三年前に。ですが、今のカナタさんにとっては、初めましてですわ」
……ますます分からない。
分からないのに、扉を閉めようとは思わなかった。
「カナタさんが変なことをなさらないように、これからは私が、ちゃんと見ていなければいけませんわね」
「えっ?」
「これも、みんなの幸せのためですわ。もちろん、私の幸せのためでもあります」
まるで押しかけ女房みたいだ。
それでも、彼女があまりに嬉しそうに言うので、嫌だとは言えなかった。
「……とりあえず、動画は投稿しないよ」
彼女は目を閉じ、ほっと息をついた。
胸元で重ねていた手が、ゆっくりとほどける。
「ありがとうございます」
たった一本の動画をやめるだけだ。そんなふうにお礼を言われるほどのことではない。
改めて思えば、確かにあの内容は不謹慎だった。
「それから……もう一つお願いしてもよろしいですか?」
続いて彼女はためらいがちに尋ねてきた。
「今度は何? 他にも、ぼくが暗殺されるようなことがあるの?」
「いいえ」
彼女は少しだけ視線を逸らした。
「カナタさんの卵料理を、食べさせていただけませんか?」
◇ ◇ ◇
「現実のカナタさんに、確かにお伝えしましたわ。動画は投稿しないと、約束してくださいました」
ぼくがレヴェリアに来てから三年ほど経ったある日、ハルカはそう告げた。
届いた。
一週間前のぼくに。
答えは単純だった。
ぼく自身がそこまで戻るには、レヴェリアで二百年を生きなければならない。
けれど、レヴェリアで出会ったハルカは、現実ではぼくより三年ほど前の時間を生きている。
彼女にとって、ぼくが動画を投稿する日は、まだこれから訪れる未来だった。
そのことに気付いたぼくは、その日が来たら、動画を投稿する前のぼくに会いに行ってほしいとハルカに頼んでおいた。
「……ありがとう」
これで、ぼくの街は焼かれずに済むかもしれない。
母さんも、父さんも、生きているかもしれない。
次に現実へ戻ったら、二人と話そう。
今のぼくには、話したいことがたくさんある。
今回のレヴェリアでは、ハルカに降りかかるはずだった災いを、全て取り除いた。
レオンを退け、ミコの預言を聞き、マドカの企みを阻止し、マリスの襲撃も防いだ。
そしてぼくは、もう一度ハルカと結ばれた。
やがて子供たちにも恵まれた。
もちろん、この子たちは、ぼくにとってかけがえのない存在だ。
けれど、この子たちはトワではない。
――それは、トワじゃないんだよ。
あのときの言葉は、本当だった。
どれだけやり直しても、新しく生まれてくる命は、同じじゃない。
目の前にいるハルカも、トワを知らない。
二人でトワの誕生を喜んだことも、トワがいつも親指をしゃぶっていたことも、覚えているのはぼくだけだ。
それでも、トワは確かにいた。
忘れないよ、トワ。
ぼくはずっと、君のパパだから。
「カナタさん?」
ハルカの声に顔を上げた。
「子供たちが待っていますわ」
差し出された手を取る。
動画の投稿を止められたのなら、次に現実へ戻ったとき、ぼくの人生はあの日の先へ進むのかもしれない。
そうなれば、ぼくがレヴェリアに来ることも、もうなくなるだろう。
だから、ここでの一生を最後まで生きよう。
ここでしか会えない子供たちと生きる。
ハルカと生きる。
「パパ!」
ぼくを呼ぶ子供たちに、笑顔で手を振った。
数えきれないほど死んだ。
何度もやり直した。
それでも、繰り返しの遥か彼方で、ぼくは失いたくないものを見つけた。
もう、やり直すために生きるんじゃない。
今はただ、この一生を全力で生きる。
本作の最終話となります。ここまで読んでくださってありがとうございます。
現実と別世界が入り混じった、これまでとは少し違った物語に挑戦してみました。
カナタとハルカの物語、いかがでしたでしょうか?
途中展開に困ったところもありましたが、最後まで書き上げられたのは応援してくださった皆様のおかげです。
さて……次はもう少し弾けた感じのお話を書きたいと思っています。
引き続き、読んでもらえたら嬉しいです。




