第1話「目覚めたら悪の幹部でした」
目を覚ました瞬間、俺はまず天井を見た。
黒い。
やたら、黒い。
知らない天井、という言葉が脳裏をよぎる。
だが、これはそういうレベルではない。
知らない天井どころか、完全に悪の組織のアジトである。
「……どこだ、ここ」
声に出した瞬間、俺はぎょっとした。
低く、冷たく、やたら響く。
たった一言なのに、聞いた相手の寿命を三年くらい削りそうな声だった。
慌てて身体を起こそうとして、さらに違和感に気づく。
手が、白い。
病的なほど白い指。
節ばった長い手。
爪は黒く染まり、手の甲には複雑な紋様が浮かんでいる。
どう見ても俺の声と手ではない。
では昨日までの俺はどうだったか?と、どうにか記憶を叩き起こす。
黒瀬悠真。
二十九歳。
都内の中堅企業で働く、ごく普通の会社員だった。
昨日はたしか、残業帰りにコンビニで弁当を買った。
家に帰って、シャワーを浴びて、なんとなく昔の魔法少女アニメを見て。
そのまま寝落ちしたはずだ。
うん、そこまでは覚えている。
なのに今、俺は謎の暗黒宮殿みたいな場所で目を覚ましている。
「ヴァルグレイ様」
突然、低い声が響いた。
俺は反射的に肩を跳ねさせたが、どうにか声は出さなかった。
えらいぞ俺。
視線を向けると、玉座の前に何かが跪いていた。
人間ではない。
黒い甲冑に身を包んだ、狼のような頭を持つ怪物。
片膝をついたまま、こちらに深々と頭を垂れている。
こわい。
めちゃくちゃこわい。
「お目覚めをお待ちしておりました。星彩少女どもの反応が、第三市街区に出現しております」
狼頭の怪物が告げた。
『星彩少女』。
その単語を聞いた瞬間、俺の頭の奥で何かがかちりと噛み合った。
その名前、聞き覚えがある。
いや、あるどころじゃない。
昨日見ていたアニメだ。
十年くらい前に放送されて、当時はそこそこ人気が出た魔法少女もの。
正式タイトルは――。
『星彩のステラ・マギア』
光の宝石に選ばれた少女たちが、悪の組織『黒天教団』と戦う変身ヒロインアニメ。
子供向けを謳っているくせに、後半から妙に展開が重くなることで高めの年齢層にも刺さった作品だ。
俺もその一人だった。
そして、『ヴァルグレイ』。
黒天教団の最高幹部。
通称、宵闇の参謀。
星彩少女たちを何度も罠にはめ、窮地に陥れた強敵。
冷酷非道な策略家だ。
俺はゆっくりと、自分の顔に触れた。
指先が、硬いものに当たる。
仮面だ。
右目の周囲を覆う銀の仮面。
そこから伸びる黒い紋様。
間違いない。
俺は今、ヴァルグレイになっている。
魔法少女アニメの敵幹部に。
それも、味方になるタイプの人気悪役ではない。
最終盤まで敵として立ちはだかり、主人公たちを本気で絶望させる、ガチの悪役である。
いやいやいやいや。
無理だろ。
よりによってそこ?
普通、こういうのって主人公サイドに転生するもんじゃないのか?
マスコットキャラに選ばれるとか、せめて無害なモブとかさ。
なんで悪の組織の幹部なんだよ。
初期配置が敵陣ど真ん中すぎるだろ!
「ヴァルグレイ様?」
狼頭の怪物が、不審そうに顔を上げる。
まずい。
俺は内心の悲鳴をどうにか押し殺した。
ここで「すみません、俺ちょっと中身が違うんですけど」と言ったらどうなる?
たぶん死ぬ。
悪の組織だぞ。
気軽に処刑してくるに決まっている。
しかも、原作のラスボスである『黒天王』は、魂に干渉する化け物だったはずだ。
たしか精神操作とか魂の契約とか、そういう嫌な能力を普通に使っていた。
つまり、俺が別人だとバレたら終わり。
ゲームオーバー。
セーブデータなし。
チュートリアルで死亡。
……落ち着け、黒瀬悠真。
今の俺はヴァルグレイ。
冷酷で、尊大で、残忍で、部下から恐れられる男。
俺はゆっくりと背筋を伸ばした。
玉座らしき椅子に腰掛けていることに、今さら気づく。
座り心地は無駄にいい。
さすが悪の組織、やっぱ椅子には金かけてないとな(?)。
俺は顎をわずかに上げ、できる限り低い声を作った。
「……状況を報告せよ」
狼頭の怪物が、はっとしたように頭を下げる。
「はっ。第三市街区にて、星彩少女ルミナ、ブレイズ、セラフィの三名が確認されました。現在、先行部隊が陽動を行っております」
出た。
ルミナ。ブレイズ。セラフィ。
原作のメイン魔法少女たちだ。
あの作品の中では、星彩少女と呼ばれていた。
星宮ひなたこと、星彩少女ルミナ。
正義感の塊みたいな主人公。
紅坂アカリこと、星彩少女ブレイズ。
パワー系火力担当。
白羽ユイこと、星彩少女セラフィ。
癒しの力と防御担当。
俺は彼女たちを知っている。
画面の向こうでその勇姿を見てきた。
傷つき、悩み、なお立ち上がるその姿を。
その彼女たちと、これから戦う?
俺が?
悪の幹部として?
無理無理無理無理。
「本日の魔法少女殲滅作戦につきまして、最終指示をお願いいたします」
狼頭の怪物がそう言って、分厚い黒い書類を差し出した。
表紙には、血のような赤文字でこう書かれている。
『第七次・星彩少女殲滅作戦』
字面が重いよ!
会社の会議資料で言うところの「売上改善計画」とはまるで圧が違う。
俺は書類を受け取った。中身を開く。
読める。
怪人たちの使う文字なのに、なぜか理解できる。
ありがたい……ありがたいが、内容は全然ありがたくない。
市街地に怪人を放ち、混乱に陥れる。
回復役を孤立させ行動不能にし、火力担当を暴走・自爆させる。
最後に、ルミナの心を折り、三人を抹殺する。
普通に最低だった。
これを考えたやつ、人格が終わっている。
……いや、原作のヴァルグレイが考えたんだろうな。
つまり今の俺が考えたことになっている。
身に覚えのない悪行で俺の社会的信用を下げないでほしい。
もう社会ないけど。
「いかがいたしましょう」
部下たちの視線が集まる。
全員が俺の言葉を待っている。
どうする。
作戦を中止するか?
いや、突然そんなことを言えば怪しまれる。
では原作通りに実行するか?
論外だ。
画面の向こうで応援してきた少女たちだ。
俺の指示で傷つけるなんてできるわけがない。
なら、折衷案。
悪役らしく見せつつ、致命的な被害を避ける。
……いや難易度高くない?
新入社員にいきなり「悪の組織の幹部として部下の信頼を保ちながら魔法少女を助けてください」って業務を振るな。
研修期間をくれ。
せめてマニュアルをくれ。
だが、時間はない。
俺は書類を閉じた。
沈黙が落ちる。
部下たちが息を呑む気配がした。
おそらく彼らには、俺が深く思案しているように見えているのだろう。
違う。
必死にそれっぽい台詞を探しているだけだ。
俺はゆっくりと口を開いた。
「予定通りに進めろ」
部下たちが一斉に頭を垂れる。
俺は続けた。
「ただし急くな。真の絶望を与えるためには、僅かな希望を残し、なお届かぬと悟らせるのが肝要だ」
言ってから、自分でも驚いた。
めちゃくちゃ悪役っぽい。
中身としては「殺すな。逃げ道を残せ。ほどほどにやれ」と言っているだけである。
だが、部下たちは違う意味で受け取ったらしい。
「なるほど……」
「さすがヴァルグレイ様」
「一度希望を抱かせてから絶望へ落とすとは……なんと残忍な」
悪の組織の読解力、邪悪な方向に高すぎる。
いや、表向きはそういうことでいいんだけど。
いいんだけど、全員納得するな。
狼頭の怪物が感動したように拳を胸に当てた。
「承知いたしました。星彩少女どもに、真なる恐怖を刻みましょう」
できれば浅めで頼む。
心の擦り傷くらいで帰してやってくれ。
俺は内心でそう願いながら、ゆっくりと立ち上がった。
黒い外套が音もなく揺れる。
足元に影が集まり、まるで俺自身が闇を従えているようだった。
おそらく、今の俺は本当に強い。
だからこそ、怖い。
少し加減を間違えれば、人を傷つける。
星彩少女たちを壊してしまう。
俺は拳を握った。
やるしかない。
バレないように悪役を演じる。
その上で、星彩少女たちを死なせない。
なんだこの無理ゲー。
だが、ここで何もしなければ、原作通りに悲劇が進む。
ちなみに最終話がどうなったかまでは見ていない。
だが、中盤に差し掛かるあたりで既にかなり重い展開だったことは覚えている。
なら、やるしかない。
その時だった。
広間の奥、巨大な黒い扉がひとりでに開いた。
冷たい風が流れ込む。部下たちが一斉に道を開ける。
扉の向こうには、夜の都市が見えた。
高層ビルの明かり。
その上空に浮かぶ黒い裂け目。
俺は外套を翻し、歩き出した。
部下たちが口々に叫ぶ。
「ヴァルグレイ様に闇の栄光を!」
「黒天王の御心のままに!」
「星彩少女に絶望と死を!」
スローガンが物騒すぎる。
俺は立ち止まらず、低く告げた。
「行くぞ」
自分でも驚くほど、冷たい声だった。
悪の幹部ヴァルグレイとしては、完璧だったと思う。
黒い影が足元から広がり、俺の身体を包み込む。
視界が闇に沈む直前、狼頭の部下が恭しく問いかけた。
「ヴァルグレイ様。星彩少女どもに、何と告げましょうか」
俺は少し考えた。
悪役らしい言葉。
星彩少女たちを怖がらせつつ、できれば死なない程度に警戒させる言葉。
口元に、自然と笑みが浮かぶ。
仮面の下で、俺は言った。
「告げる必要はない。どのみち、それを聞く耳すらすぐに喪われるのだからな」
部下たちが震え上がる。
よし。悪役演技は通った。
下手に告知して、いきなり襲い掛かられても困るというのが本音なんだけど。
次の瞬間、俺は闇の中へ消えた。
向かう先は、星彩少女たちが待つ戦場。
俺の、悪の幹部としての初出勤だった。
……気が重いな。
――第2話へ続く
※おことわり
本作品は、設定の整理や本文草稿の作成補助・推敲に生成AI(ChatGPT等)を使用しています。使用用途・範囲の詳細については、作品概要ページをご確認ください。




