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16話

 



 重厚な扉を開け放った瞬間、鼻を突く鉄錆の臭いとともに凄惨な光景が目に飛び込んできた。


 そこは、文字通りの血の海だった。


 中央には、ついさっきまで銀治と対峙していたウィリアム男爵が、物言わぬ肉塊となって横たわっている。その傍らには、応戦する間もなかったのだろう、従者らしき二人の男が折り重なるように倒れていた。


 静寂が支配する殺戮の間に、ただ一人、エドガーだけが立っていた。


 一目で高級品とわかる仕立ての良い執事服に、一滴の返り血すら許さぬ超然とした佇まい。長身で細身、俳優のように整ったハンサムな顔立ちには、慈しみすら感じさせる薄笑いが浮かんでいる。


「これはこれは、司祭様。控室でお待ちいただけるようお伝えしていたはずですが……。どうしてここにいらっしゃるのでしょうか?」


 世間話でもするかのような穏やかな、澄んだ声だった。だが、その手元に握られたナイフからは、絶え間なく赤い雫が滴り落ちている。


「騒動の予感がした。だが、少々気付くのが遅すぎたようだな」


 淡々と応じる銀治の声には、怒りも驚きも混じっていない。しかし、その瞳の奥には氷のような冷たい輝きが宿っていた。


「なるほど。やはり、あなたのような御仁は一筋縄ではいきませんか……」


 エドガーは困ったように眉を下げ、優雅な仕草でナイフを振った。


「それにしても弱りました。せっかくの段取りが台無しです」


「段取りだと?」


「……ええ。もはや隠し立てする必要もありません。司祭様、あなたにはここで『ウィリアム男爵殺し』の汚名を背負っていただく予定だったのですよ」


 その完璧な微笑みが、鏡のように冷酷な本性を映し出していた。


「旅の司祭がこの街に現れたと聞いた瞬間、閃いたのですよ。男爵に恨みを抱く不届き者が司祭になりすまし、凶行に及んだ。残された私たちは正義のために警察と協力し、血に飢えた犯人を打ち倒す……。完璧な筋書きのはずでした」


「なるほど……」


 銀治は動じるどころか、挑発するようににやりと笑った。


「ウィリアム男爵の心配が、ものの見事に的中したというわけだ。……これほどの凶行が及ぶなら、彼から刀を取り上げたのは少々失敗だったかもしれんな。まさかこれほど素早く、迷いなく行動を起こすとは思いもしなかった」


「いえ、それは関係ありませんよ」


 エドガーは、死体を背に優雅な笑みを崩さず答えた。


「あの方が大層な魔武器を手に入れたところで、所詮は素人。大木を切り倒す腕力があったとしても、動きがド素人であることに変わりはない。……たとえあの黒い刀を手にしていたとしても、私なら目をつぶってでも殺せます」


「やはり武術を修めていたか」


「幼少の頃から毎日血反吐を吐くくらいにはそうですね……さすがです、よくお気づきで」


 そこにはかなりの自信が感じられた。


「それにしても………思い出すだけで面白い。まともに走ることさえできない肥えた体のくせに、魔武器という『力』を手に入れた途端、それに溺れ、強者のような顔をして、どこにでも持ち歩いていました。自信満々の顔で自らを戦士であるかのように振舞うあの男の滑稽さといったら……」


 エドガーは最初は小さく、そして最後は唾を飛ばしながらの大笑いをした。そこには沈着冷静な執事の姿など微塵も感じられなかった。


「私がこの街に来なければ、あの男はもう少しだけ長生きできたのではないか?」


 銀治が皮肉を込めて問いかけると、エドガーは肯定するようにニヤリと笑った。


「その通りです。本来であれば、あの男には毒物で静かに、そして緩やかに死んでもらうつもりでしたから。しかし、なぜか奴は全く毒に引っかからない。魔武器を手にしたことで、いつ心臓が止まってもおかしくない土気色の顔をしていながら、目だけは異常なほど爛々と輝いていましたからね。これは時間が掛かりそうだと、正直困り果てていたのですよ」


 エドガーは肩をすくめ、自嘲気味に言葉を継いだ。


「そんな折に、都合よくあなた様が現れてくれた。これはもう、天の助け……いえ、この機会を利用するほかないと、そう判断させていただきました」


「天の助け、ね………」


「おっと、司祭様の目の前で使うべき言葉ではありませんでしたね。失礼いたしました………」


 エドガーは深々と頭を下げた。


「……何箇所刺した?」


「…………」


 エドガーは大きく目を見開いて微笑んだ。


「死体を見ればわかる。男爵の刺し傷は一箇所や二箇所ではないな。なぜ、あそこまで執拗に刺す必要があった? とっくに息絶えていたはずだろう」


「……さすがは司祭様。恐れ入りました、一瞬でお気づきになられましたね。普通、死体を目にした人間と言うのは、動揺してそこまで注意深く物事を観察できないものだ」


 エドガーは取り出したハンカチでナイフの血を丁寧に拭い、それをゴミのように捨てた。


「極めて個人的な理由からですよ」


 エドガーの視線が、仰向けに倒れた男爵へと向けられる。その瞳には、今までの優雅さとは正反対の、どろりとした嫌悪が渦巻いていた。彼は死体に向けて、軽蔑を込めて唾を吐き捨てた。


「この男は私を追い出すためだけに、尋常ではない量の仕事を課してきました。……『それくらいの仕事もこなせない役立たずは不要だ。できないなら侯爵の元へ帰れ』とね。侯爵との関係に波風を立てず、私を合法的に排除するつもりだったのでしょう。私はそれを分かっていたからこそ、こなすしかなかった」


 エドガーの声が、次第に熱を帯びていく。


「こなしても、こなしても、次から次へと際限なく押し付けられる業務。ほんの僅かなミスですら、この男は口汚く罵倒してきた。何時間にも及ぶ罵声は私のプライドを切り刻み、大切な時間を奪い去った……。私がこの屋敷に来てから、三時間以上の睡眠を摂れたことなど数えるほどしかありませんでしたよ」


 エドガーは同情を誘うわけでも無く、ただ淡々と話し続けた。


「……実に、快感でした。あのクズ野郎が恐怖に怯える目、痛みに震える顔、手に伝わる生温かい内臓の感触……。夢の中で何度も殺してきましたが、現実は想像を遥かに超えていた。初めて射精した時のように脊髄にまで刺激が来ましたよ、気がつけば何度も、何度も何度も阿呆のように刺し続けていたのです。まさか自分がああなってしまうとは自分でも予想外でした。間違いなく生涯最高の瞬間……あの快楽を超える瞬間は、二度と訪れないかもしれない。そう思うと悲しくすらありますが……」


 エドガーはふっと憑き物が落ちたような顔をすると、再び冷酷なナイフを構えた。


「――という事で司教様。何の恨みもありませんが死んでいただきましょう。ウィリアム男爵を殺害した犯人として」


 エドガーは跳んだ。


 シャンデリアの光りが、一瞬だけその手に持つナイフの刀身を光らせた。






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