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1話

 


 頭上から照りつける太陽が、逃げ場のない広大な綿花畑を焼き付けていた。


 泥にまみれた奴隷たちが、重い溜息とともに手を動かし続けていた。革鞭を振り回しながら歩くのはこの農場を経営する、ドロテアである。


「手を休めるんじゃないよ! こののろま共! お前達が生きていられるのは誰のおかげだと思ってるんだい!」


 甲高い怒声をあげるドロテアの視界の端に、風景から浮き上がった「白」が映り込んだ。


 泥と埃に塗れた農園には、あまりに不釣り合いな色彩。


(何だい、ありゃあ……?)


 警戒を強め、ドロテアが近づいていく。


 それは司祭だった。


 身長は百九十センチを下らないだろう。岩のように盛り上がった筋肉を包むのは、世界最大の宗教団体『プーチャル教』の司祭服。


 眩いばかりの純白の布地には、金糸の刺繍が施され、ただ立っているだけで周囲の空気を平伏させるような風格を放っている。


 平坦な顔立ち、独特のうねりを見せる漆黒の髪。今まで一度も見たことのない顔なのは間違いがない。


 ドロテアは迷った。


 本来なら、自分の農場に勝手に入って来た不法侵入者として怒鳴りつけるところだ。だが相手はこの世界の権力の象徴、プーチャル教の司祭。下手に不興を買えば、農園の経営どころか自分の命すら危うい。


 ドロテアは舌打ちを飲み込み、精一杯の愛想笑いを顔に張り付けた。


「……ちょっと、あんた。こんな泥臭い所で何をしてるんだい? 司祭様ともあろうお方が、道に迷われたのかね」


 さて、この司祭様はどんな反応をするのだろう。


 司祭はゆっくりと振り返った。そこには不法侵入に対する罪の意識など微塵も感じられなかった。


「丁度良いところに来た。女主人よ」


 司祭は農場の中で働く一人の少女を指差した。その先にいるのは、灰色の髪を揺らしながら重い荷を運んでいる少女がいた。


「あそこにいる女奴隷を、私に寄進しなさい」


「な……ッ!?」


 ドロテアの顔が、怒りと困惑で歪に引きつった。手にした鞭を思わず握り締め、地面を激しく叩く。


「ちょっと何言ってんのさ、あんた! 寄進って……ただで寄越せってことだろ!? この奴隷はあたしが高い金払って買ってきた奴隷だよ! いくらプーチャル教の司祭だからって、そんな横暴な話があるもんかい!」


 まくしたてるドロテアの怒声が、湿った空気の中に霧散していく。しかし、司祭は微動だにせず彼女を見下ろしていた。


 沈黙。


 農園を支配するのは、うだるような暑さと、遠くで奴隷が引きずる鎖の音だけだ。ドロテアは次第に居心地が悪くなり、その場に立ち尽くした。


 どうしてこの司祭は黙っているのか。怒りは焦りへと変わっていく。


「……『あんた』と呼ぶのは止めなさい。無礼です」


 ようやく開かれた司祭の唇から漏れたのは、静かなる叱責だった。


「そ、それは……だって、いきなりそんな無茶を言うから、驚いてしまって……仕方ないじゃないか」


「言い訳をやめなさい」


「うをっ!?」


 ドロテアは突き飛ばされたかのような衝撃を味わった。


 司祭が彼女の体にが触れたわけではない。ただ、彼が放つ圧倒的な威圧感が、彼女の三半規管を狂わせたのだ。


 慌てるドロテアを笑うわけでも心配するわけでも無く、司祭はただ威圧的な目を向けていた。


「……申し訳、ありません……」


 気づけばドロテアは、厳格な教師に叱られた子供のように肩をすくめ、深く頭を下げていた。


 一体どうしてい自分が追い詰められているのか。悪いのはいきなり無茶を言い出した、この司祭のはずだ。それなのになぜ………。


 司祭は何も言わない。ただドロテアの言葉を待っている。その沈黙があまりにも辛い。


「っ………」


 彼女はこめかみを指で押さえた。ここ最近、ドロテアを毎日のように悩ませている頭痛がまた始まった。


(なんてこった……。とんでもなく面倒なやつに目を付けられちまったよ……)


 手に持った鞭でこの生意気な男を追い払ってやりたい。だが、目の前の巨躯から発せられる「格」の差が、彼女の生存本能にブレーキをかけていた。


「ということで、宜しいですね?少女を貰っていきます。私の身の回りの世話をさせるのに、丁度良さそうだ」


 司祭は事もなげに言い、リリムの方へ歩き出そうとする。


「さ、さすがにそれは待ってください!」


 ドロテアはとっさに食い下がった。金の問題だけではない。あんなによく働く個体を失うのは痛手すぎる。


「あの娘がいなくなっちゃあ、うちの仕事が回りませんよ!」


 司祭は足を止め、面倒そうに首を傾げた。その拍子に、太陽の光を浴びた天然パーマの黒髪が、不吉なほど艶やかにうねる。


「……名前は?」


「私ですか……?」


「あなた以外に誰がいるのですか」


 ドロテアは叱られたような気がした。


「ドロテア……ドロテアです……」


「話は簡単だ。……ドロテアさん、あなたが働けばよい」


「へっ……!?」


 ドロテアは間の抜けた声を上げた。耳を疑った。今、この司祭は何と言った?


「その手に持った鞭を捨て、農具を持ちなさい。あなたが畑に出れば、人手が減る心配などないはずだ。自ら汗を流す……素晴らしいではないですか」


「いくらなんでも、そりゃあないでしょう! あんまりだ! あたしが奴隷と一緒に泥にまみれるなんて、そんなこと――」


「お前には悪霊が憑いている!」


 それまで凪のように穏やかだった司祭の声が、突如として雷鳴のごとく農園に轟いた。


「何ですか急に!」


「悪霊だ、悪霊が憑いているのだ」


「そんな馬鹿な………」


「見える、私には見えるのだ。あなたによって苦しめられ、絶望のうちに果てた者たちの怨念が! その冷え切った指先が、あなたにへばりついているのだ!」


「ひぃっ……!?」


 ドロテアは顔面を蒼白にし、震える手で自分の頭を抱え込んだ。


「頭が痛むだろう、ドロテアさん。頭を締め付けられるような、耐え難い痛みが事あるごとにあなたを襲っているはずだ」


「ど、どうしてそれを……! 最近、なんだかずっと頭が重くて、ズキズキと……!」


「そうでしょう。しかしそれは、あなた自身が積み上げてきたとがの結果。自業自得なのです」


 司祭の声は冷酷なまでに響き渡る。


「とが?」


「罪、と言い換えてもいい」


「罪だなんて………私には身に覚えなんかありません!」


「あなたが覚えているかどうかは関係がない!罪とは天が決めるものだ!」


「ぐ、ぐぐう………」


 ドロテアはもはや司祭の言葉を疑う余裕などなかった。自分の体調不良という「絶対的な事実」を言い当てられた恐怖が、彼女の理性を完全に焼き切っていたのだ。


「そんな、一体、どうすれば……! 」


「善行を積みなさい! 」


「善行………?」


「そうです、善行です。あなたが救われる道は、ただ一つ……私欲を捨て、施しをすることのみ!犯してきた咎が多ければ多いほど多くの善行が必要です。それをしないというのなら………」


「しないというのなら………?」


「三年以内にお前は死ぬ!!死んだ後は地獄行きだ!それでもいいのか!」


 びしっと指を突きつけられたドロテアは、腰を抜かして泥の中に尻餅をついた。彼女の目には、司祭の背後に眩いばかりの後光が差し、その周囲に群がるカラスたちが地獄の使いに見えていた。


「嫌です!死ぬのも、地獄も嫌です!」


「だったら考えなさい!自分が何をするべきか頭を使って考えるのです!」


「差し上げます!差し上げます……あ、あの娘を、リリムを連れて行ってください! 寄進します、差し上げますから、どうか、どうかお助けを!」


 見苦しく這いつくばるドロテアを冷ややかな目で見下ろしながら、司祭は満足そうな笑みを浮かべた。


 芦屋あしや 銀治ぎんじ


 日本にいた頃の彼は、親戚から引き継いだ宗教団体の教祖だった。引き受けた理由は単純、「夢の実現のため」だ。週に一度、信者の前で適当な御託を並べるだけで、月百万円以上の収入が転がり込む。


 不労所得を得ながら信者からの尊敬を一身に受けていた彼が、演説を終え、エスプレッソを喉に流し込んだ時、頭が「ふわっ」とする感覚がした。


 そして気が付けば、知らない服を着て荒野に立っていた。


 唖然としていると、ひらりひらりと空から長方形の白い紙が降りてきた。そこには子供のような文字で「お前が本物の神ならば、異世界くらい余裕だよな?本物の神より」と書かれていた。


 普通なら己の詐欺行為を恥じ、神罰に怯えるところだろう。しかし、芦屋銀治という男の心臓は、そんな繊細な代物ではなかった。


「嫌がらせか………器の小さい奴だ」


 神を鼻で笑った後で歩き始めた。どこに向かえばいいのかも分からない。しかし彼の中には「何とかなるだろう………」という漠然とした自信があった。


「この子ですよね?さあ、司祭様にご挨拶するんだよ、リリム………」


 彼の前に灰色の髪と赤い目を持つ小柄な少女がやって来た。酷く痩せた体は風が吹いただけで倒れてしまいそうだ。


「私に付いてきなさい。君の魂はダイヤモンドのように輝く」


 銀治の自信に満ちた声に、赤い彩光を持つ少女の目が大きく見開かれた。


 大法螺吹きな彼の快進撃は、まだ始まったばかりだ。





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