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氷の死神と紅の火花~宿敵同士の忍びが、地獄の果てで愛を知るまで~  作者: 御子神 花姫


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3話 夜明けの強襲と、双影の共鳴


 雨音に混じって、わずかに「土を踏む音」が聞こえた。

 それは、熟練の忍びだけが聞き分けられる、殺意を孕んだ微かな異音。


 廃寺の奥で目を閉じていた蓮が、音もなく立ち上がった。その瞬間、隣で浅い眠りについていた陽葵の肩を、大きな手が強く押さえつける。


「……っ、何っ?」

「騒ぐな。囲まれた。……数は十、いや、十二か」


 蓮の低い囁きに、陽葵の眠気は一瞬で吹き飛んだ。

 外を見れば、白み始めた空の光を背景に、幾筋もの黒い影が廃寺を完全に取り囲んでいた。先ほどの野良忍びどもとは、放たれる気気の鋭さがまるで違う。


「黒鴉の追跡班ね……。あんたがモタモタしてるから、本隊が追いついちゃったじゃない」

「お前の傷が深かっただけだ。……歩けるか」

「当たり前でしょ。あんたに抱えられて逃げるのは、もう御免だわ」


 陽葵は強気な笑みを浮かべ、まだ熱を持つ二の腕に包帯をきつく巻き直した。

 蓮は無言で『氷雨』の柄に手をかける。

 普段なら、蓮は同胞である黒鴉の隊士を殺すことに躊躇はない。だが、今は陽葵という「標的」を守りながら戦う必要がある。この矛盾した状況が、彼の心に奇妙な高揚感と、それ以上に重い焦燥を抱かせていた。


「来るぞ」


 蓮の合図と同時に、天井が爆ぜた。

 降り注ぐ瓦礫と共に、三人の隠密が刃を突き出して急降下してくる。

 蓮は一歩も動かず、抜き放たれた白刃の一閃で、空中の三人をまとめて一掃した。鮮血が畳を濡らす間もなく、彼は陽葵の手を掴み、崩れゆく堂の外へと躍り出る。


 境内には、仮面をつけた刺客たちが待ち構えていた。

 雨上がりの湿った空気が、張り詰めた殺気でさらに重く感じる。


「九条筆頭。その娘を引き渡せ。さもなくば、貴様も反逆者と見なす」


 刺客の一人が冷たく宣告する。蓮は答えず、ただ陽葵を背後に隠すように一歩前へ出た。


「……命令は『巻物の回収』のはずだ。この女の処遇は私が決める」

「笑わせるな! 貴様、情けでもかけたか? 忍びに心はないのではなかったのか!」


 その言葉が、蓮の胸を鋭く刺した。

 心などない。感情など不要だ。自分にそう言い聞かせて生きてきた。

 それなのに、背後にいるこの女の、荒い呼吸と真っ直ぐな視線が気になって仕方がない。


「陽葵、合図をしたら煙玉を使え」

「えっ、ちょっと、呼び捨て……?」

「黙っていろ。死にたくなければ、私の背中から離れるな」


 蓮が地を蹴った。

 それと同時に、陽葵も迷いを捨てて動く。


 蓮の剣は、冷徹なまでに正確だった。一振りの無駄もなく、敵の喉笛を、心臓を、確実に断ち切っていく。

 一方で陽葵は、蓮が作り出したわずかな隙を突き、縦横無尽にクナイを放つ。

 本来、流派も思想も異なる二人の忍び。だが、不思議なことに、言葉を交わさずともお互いの動きが手に取るようにわかった。


 蓮が三人を引き付ければ、陽葵がその背後をカバーする。

 陽葵が火遁で視界を奪えば、蓮が闇の中から致命の一撃を見舞う。

 まるで長年共に戦ってきた相棒のように、二人の影は朝靄の中で一つに溶け合い、共鳴していた。


「……嘘でしょ。あんたとこんなに息が合うなんて、最悪だわ」

「無駄口を叩く暇があるなら、右を向け」


 蓮が陽葵の腰を引き寄せ、死角から迫る鎖鎌を叩き落とした。

 その拍子に、二人の体が再び密着する。

 雨に濡れた肌の冷たさと、それ以上に熱い、互いの鼓動。

 戦場という極限状態の中で、陽葵は初めて蓮の瞳を「怖い」と思わなかった。そこにあるのは、ただひたすらに自分を守ろうとする、不器用で、ひたむきな力強さだった。


 十数人の刺客を退けた頃、夜が完全に明けた。

 生き残った刺客たちは、蓮の異常な実力に恐れをなし、一時撤退を余儀なくされる。


 静寂が戻った境内で、二人は激しく肩を揺らしながら立ち尽くしていた。

 蓮は刀を鞘に納めたが、その手は微かに震えている。武者震いではない。掟を破り、同胞を手にかけ、標的を守ってしまった。その事実が、彼の「世界の形」を変えてしまったのだ。


「……行け」

 蓮は陽葵に背を向けたまま、低い声で言った。

「今のうちに逃げろ。次に出会った時は、必ず殺す」


 それは、彼に残された最後の「冷酷」という名の防壁だった。

 だが、陽葵は逃げなかった。彼女は蓮の背中に歩み寄り、血に汚れた彼の装束の袖を、そっと掴んだ。


「嘘つき」


 陽葵の声は、朝露のように澄んでいた。

「あんた、本当はもう、私を殺す気なんてないんでしょ」


 蓮は振り返ることができなかった。

 もし今、彼女の瞳を見てしまえば、長年かけて築き上げた「死神」としての自分が見る影もなく崩れ去ってしまうことを、彼は悟っていたからだ。


 朝焼けに染まる廃寺で、二人の影は長く伸び、決して交わることのないはずの境界線を超えて重なり合っていた。

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