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氷の死神と紅の火花~宿敵同士の忍びが、地獄の果てで愛を知るまで~  作者: 御子神 花姫


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12話:不帰の森と、偽らざる涙


 不知火の里を焼き尽くした炎が、遠く夜空を赤く染めている。

 逃げ延びた先にあるのは、古くから「一度入れば二度と戻れぬ」と恐れられてきた禁足地、不帰ふかずの森。鬱蒼と茂る樹々は天を覆い、昼なお暗いその森の中では、方位磁石さえも狂い、精霊や亡霊たちが迷い人を深奥へと引きずり込むと言い伝えられていた。


 蓮は、陽葵の肩に腕を回し、引きずるようにして足を前に出していた。

 全身を走る痛みは、もはや鋭い刺激ではなく、泥のような重苦しい拍動となって彼を蝕んでいる。一歩踏み出すごとに、傷口からこぼれ落ちる鮮血が落ち葉を濡らす。


「……蓮、休もう。お願い、もうこれ以上は……」


 陽葵の声はかすれていた。禁忌の術『紅蓮』を使った反動は、彼女の小さな体から気力を根こそぎ奪い取っていた。視界は定まらず、体温は異常なほど高い。それでも彼女は、倒れそうになる蓮を必死に支えようとしていた。


「……止まれば、……二度と動けなくなる。……あと、少しだ……」


 蓮の言葉は、自分自身に言い聞かせているようだった。

 森の奥には、望月衆が代々守り続けてきたという「真の巻物」が隠された石舞台がある。そこにあるのは幕府を倒す力ではない。忍びの血脈を、その業から解放するための「対価」が記されていると、長老・琥珀は死の間際に蓮へ伝えていた。


 森は二人を拒むように、奇妙な幻覚を見せ始める。

 蓮の視界に、これまで自分が斬ってきた者たちの亡霊が浮かび上がる。かつての同胞、罪なき標的、そして血を流したまま動かなくなった無数の影。


(……貴様の居場所は、ここだ)

(死神に、光の当たる場所など似合わない)


 冷たい声が脳内に響く。蓮は奥歯を噛み締め、その幻影を振り払うように一歩、また一歩と進む。だが、限界は唐突に訪れた。

 木の根に足を取られ、蓮の巨体が崩れ落ちる。


「蓮――っ!!」


 陽葵が咄嗟に体を滑り込ませ、自分の体で彼の衝撃を和らげた。二人は腐葉土の上に倒れ込み、激しい呼吸だけが森の静寂に響く。

 蓮は仰向けになり、樹々の隙間から見える、ひどく遠い月を見上げた。

 指一本動かす力も残っていない。視界の端が、じわじわと闇に侵食されていく。


「……陽葵。……行け。……お前だけでも……」


「……馬鹿なこと、言わないで。……あんたがいない世界で、私が一人で生きて、何の意味があるのよ」


 陽葵は震える手で、蓮の頬に触れた。泥と血に汚れた蓮の顔。いつも冷徹で、鉄のように揺るがなかったその顔が、今は迷子の子どものように頼りなく見える。


「……私のせいよ。……私が、あんたをこんなところまで連れてきちゃった。……ごめんね、蓮。……死なせないって言ったのに、……私、弱くて……」


 陽葵の瞳から、大粒の涙が溢れ出した。その涙が、蓮の頬を伝い、彼の傷ついた肌を濡らす。

 その温かさに、蓮の心臓が激しく脈打った。


(ああ、私は……)


 蓮の中で、何かが決壊した。

 強くなければならなかった。感情を持ってはならなかった。誰にも弱さを見せず、ただ「死神」として完成されていなければ、この過酷な忍びの世界では生き残れなかった。

 けれど、今、目の前で自分のために泣いているこの女は、そんな鎧をすべて無意味だと笑い飛ばしてくれた。


 蓮の瞳から、熱いものが溢れ出した。

 生まれて初めての、涙。

 それは血よりも赤く、鉄よりも重い、彼が二十数年の人生で一度も流すことを許されなかった、一人の「人間」としての証明だった。


「……陽葵……」


 蓮の声が、嗚咽となって漏れる。彼は陽葵を抱き寄せ、その細い肩に顔を埋めて、子どものように泣いた。

 失ってきた仲間への悔恨、殺めてきた者たちへの罪悪感、そして、今隣にいるこの女を失うことへの、耐えがたいほどの恐怖。

 すべての感情が、涙と共に溢れ出し、森の闇を浄化していく。


「……死にたくない、……陽葵。……お前と、……お前と一緒に、……生きたい……!」


 初めて口にした、本音。

 陽葵は、蓮の頭を強く、強く抱きしめた。


「……うん、……生きよう。……地獄なんて行かせない。……私たちが、新しい世界を作るのよ」


 二人の涙が混ざり合い、森の精霊たちが呼応するように淡い光を放ち始めた。

 その光に導かれるように、二人の目の前に、苔むした巨大な石舞台が姿を現した。


 石舞台の中央には、一巻の白銀の巻物が安置されている。

 これが「真の巻物」。

 蓮は陽葵に支えられながら立ち上がり、その巻物へと手を伸ばした。


 巻物を開くと、そこには驚くべき言葉が記されていた。

 それは武力でも、家系図でもない。

 『忍びの業を断つには、二人の魂を一つに繋ぎ、互いの命を共有する契約を結ぶべし』。

 それは、一人では耐えきれない過酷な運命を、二人で半分ずつ背負うための「共生」の呪いであり、祝福だった。


「……蓮。……これって……」


「……ああ。……二人で一つの命になる、ということだ。……お前が傷つけば、私も傷つく。お前が死ねば、私も死ぬ。……それでもいいか」


 陽葵は、蓮の瞳を真っ直ぐに見つめ、幸せそうに微笑んだ。


「……望むところよ。……ずっと、そうなりたいって思ってた」


 二人は巻物を握りしめ、同時にその言葉を唱えた。

 銀色の光が森全体を包み込み、二人の胸元に、対となる紅い「対の印」が浮かび上がった。

 蓮の傷が、陽葵の温もりによって癒やされていく。陽葵の疲労が、蓮の強靭な意志によって肩代わりされていく。


 幕府の追跡は、まだ止まないだろう。影森もまた、執念深く二人を追い続けてくるに違いない。

 だが、今の二人には、もう恐れるものは何もなかった。


 不帰の森を抜ける風が、二人の門出を祝うように優しく吹き抜ける。

 涙を拭った蓮の瞳には、かつての冷たい光ではなく、未来を見据える力強い輝きが宿っていた。


「……行くぞ、陽葵。……私たちの、本当の人生へ」


「……ええ! ……まずは、とびきり美味しいお団子を探しに行こうね、蓮!」


 二人の忍びは、朝焼けが差し込み始めた森を、しっかりと手を繋いだまま、迷いのない足取りで歩き出した。



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