序章
新作!万歳!
駅にあるファミレスの窓際で傾きつつある春の日差しを浴びながら、2人の少女がマルゲリータピザをシェアしていた。
昼過ぎの店内は落ち着いている。平日の中途半端な時間ならこんな感じなのだろう。
「もうすぐ学校始まるね」
「学校かぁ。てか、よくそんな黒くて苦い液体を美味しそうに飲めるね……」
「だって美味しんだもん」
二本松璃羅はそう言って、ブラックのアイスコーヒーを一口。
飲んでもいないコーヒーの味を想像して顔を顰めた結真は、口直しとばかりにピザにかぶりついた。
「何がいいんだか……」
「こら、チーズたれてる。もう気をつけなよ」と言って、テーブルに落ちたチーズをせっせと拭き取る璃羅。
食べかけのピザを乱暴に口の中に放り込み、また食べかすが落ちると注意される。
解せぬと唸って、結真は唇を尖らせる。
「もっと優しくして!」
「はいはい」とため息をついた璃羅は、結真のミルクティーのような色合いの髪を力を入れずに撫でた。
「結真は絶対、妹キャラだよね。すぐに甘えたがるし。ポロポロ食べかすはこぼすし」
「はぁ?私だってお姉さんだし!」
「どの辺が?」
うーん、と腕組みをして考える結真。
「……わかった!胸とか!璃羅より大きいし、スタイルもいいし!ウエストは……さすがに陸上部の璃羅には負けるか」
不意に頭を撫でる手が止まる。
「結真さぁ、もしかして喧嘩売ってる?」
口の端をひくつかせ、握り込んだ拳にも力が入る璃羅。
「あぁ……違うの。ただ事実を述べただけで、他意はな────」
「────ゆーまぁ?」
「えっと、ほら璃羅はさ、すごい引き締まってるじゃん。腹筋とかも綺麗に割れてるし。健康的でいいと思うな。そういえば、また焼けた?
「うっ……焼けてることを気にしてるのに。仕方ないじゃん、陸上部で四六時中、外を走ってるんだから!」
「どうせ、結真と違って肌が荒れてますよ」と、唇をぎゅっと結んで結真の服の裾を握りしめる。
「ごめん。健康的でいいと思うよ?」
「そう言うアンタは、いいよね。色白でさ。そうだ、真夏の炎天下に一緒にランニングしよっか?」
スキンケアに気を使っている結真からしたら、紫外線をものともしない璃羅の肌のはりと、瑞々しさの方がよっぽど羨ましいのだが。
「いいよ、一緒に走っても。でも炎天下はやめよ。熱中症とか怖いし」
「結真……」と、璃羅は目を丸くした。
「親友のお願いを断ったりしないよ」
そう微笑んで、璃羅の肩を叩く結真。
「あのさ、化粧とかスキンケアとか今度教えてくれない?そういうの全然詳しくなくてさ。もう高校生になるんだし、そういうことも知っておきたいんだよね……」
「じゃあ今度の休み、デートね」
デートという言葉に何を想像したのか、璃羅はもじもじと恥ずかしそうに頷く。
そんな璃羅の姿を見て、しっかりエスコートしないとならなくなった。
今度の休みの楽しみだな、と結真はストローを咥えた。
◇◇◇
卒業して高校に上がるまでの余白は、思ってたより短い。
春休みが終わればいよいよ高校生活が始まる。
「そんなに春休みが終わるのがいやなわけ?」
「えー、だってさー」
璃羅は親友たちと一緒に学校に通うことの方を心待ちにしている。むしろすぐにでも学校が始まってほしいくらいだ。だから結真が新学期を嫌がるのが少し寂しい。
「学校に行きたくないとか?」
「ちがうよー」
「それなら何が不満なわけ?」
「うーん、ちょっとセンチメンタルになっているというか、ノスタルジックな気分なだけ」
「あぁ、過去の栄光が懐かしいみたいな?」
「過去の栄光じゃねぇし。ずっと輝いてますぅー」
「まぁ、結真だからね」
「そんなこと言って、結真のことだからどうせ楽しくやるんだよ」
「当然!そこは心配してない。きっと楽しくやれるよ」
「はいはい。知ってた」
「璃羅だって別に心配なんてしてないでしょ?」
「そりゃあね。ほとんどみんな中等部から一緒なわけだし」
「それなんだよねぇ。高校生になるっていうより進級するって感じなんだよね。私が望んでたのはもっと劇的な変化なわけで……」
力なくテーブルに突っ伏して呟いた。
気持ちは分かるが、高校生活に期待しすぎなのではと思わなくもない。
ふたりが通う静麗学園中学高等学校は、勉学だけでなくスポーツに芸術と幅広く力を入れている中高一貫の進学校だ。
ほとんどの生徒は中等部の内部進学───つまり受験がない。
高校から入ってくる外部生もいるにはいるが、人の入れ替わりも少なく、変化は乏しく映るだろう。
進学というより進級という表現の方がしっくりくる。
「新しい刺激ほしくならないの?」
「うーん。私は……結真と兎萌がいればいい……」
璃羅は頬を赤らめ、隣の空席に視線を逸らした。
決して結真の顔を見ようとしない。
ときめきで高鳴る鼓動をどうにか制御しようと結真は胸をおさえる。
そうしないと、そのままではキュン死してしまいそうだった。
この可愛い生き物は、いつだって心を温かくしてくれる。
「璃羅ちゃん、天使」
「もう、はずいって!やめてよ」
璃羅は更に顔を赤くして、照れ隠しにマルゲリータピザを頬張った。
そのあと無理やり話題を変えて、結真は黙らせた。
「そういえば、結真ってこの春から一人暮らしなんでしょ?大丈夫?」
「うーん。親戚が管理してるマンションだからね。階は違うけど叔母さんたちもいるし」
心配ないと軽く笑っていた。
「一人暮らしって大変じゃない?ご飯とかちゃんと食べてる?」
「大丈夫、食べてるよ。それにひとりは気楽なもんよ」
「そうなの。今度、遊びに行ってもいい?」
「全然、いいよー」
「じゃあ兎萌も誘って遊びにいく」
「今日もうさぎちゃん、来れたらよかったのにね」と結真は少し残念そうにグラスの水滴で濡れたテーブルをナプキンで拭った。
「実家のケーキ屋さんの手伝いって言ってたからね」
「私も引越しとかで、なんだかんだ忙しかったしなぁ。璃羅は春休み、何してたの?」
「高校の陸上の練習に参加させてもらったり、家族で遊びに行ったりとか。結真は?」
「まぁ、うん。普通に遊んだりもしたけど」
『遊び』という言葉に反応した璃羅の顔が急に険しくなる。
「結真さぁ、ちゃんと家帰ってる?」
「えー?別にいつも通りだよ」
そう言って、肩を竦める結真。
そんな彼女を璃羅は複雑そうな表情で見つめていた。
「夜に出歩いたりしてない?」
夜遊びを繰り返す結真を思うと、心が軋む。
できることなら鎖で繋いで、危険から遠ざけてしまいたいとさえ思う。
「まぁ……たまに」
「ふーん……」
璃羅は、まったく納得できないという顔で、結真のメロンソーダをひったくり啜っていた。
「あっ、関節キス」
「おだまり!」
「あっ、はい……」
こうなると結真は従うしかない。
「それって、その……どこかの誰かとそういう関係に……ってことでしょ」
その指摘に、どう答えたもんかと結真は一瞬言葉につまった。
結真のメロンソーダが砂時計の砂のようにどんどんなくなっていく。
こちらの気も知らず、遊び歩くのをやめない結真。
気に入らないと、激しくストローを噛む璃羅。
「あぁ、私のメロンソーダが……」
「で?」
「……たまにだから。……最近は落ち着いてきたっていうか。璃羅や兎萌といるほうが楽しいし?今みたいな、璃羅との時間が一番だから」
(浮気がバレたときって、こんな感じなん?こないだの人も、私との最中に彼女さんから電話来て焦ってなぁ)
「誰と何をしようと結真の自由なのは、わかってる……でも結真にもし、何かあったら私……とにかく心配なの!ねぇ聞いてる!?」
結真がくだらないことを考えていると、璃羅は真剣な顔をして、テーブルを叩いた。
「はい、すみません。聞いてます……」
親友を悲しませるようなことはしたくないが、結真にも事情がある。
胸に染み入る親友の言葉。同時に胸の奥に存在する空虚は満たすには至らない。
結真はしばし考えてから、わかったと返事をした。
「約束だからね!」
高いところで結ばれた璃羅のポニーテールが勢いよく跳ねる。
グラスに残るメロンソーダを一口。
シュワシュワとハジける刺激的な炭酸の味。
一気に広がる甘酸っぱさ。
前の味を推し流してやってくる清涼感。
これから始まる高校生も、きっとこんな感じになるだろう。
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