9.セルジュ・ミラー
「随分と言うようになったじゃない!ハロルド『さん』!」
「そりゃ、どうも!アンナ『さん』!」
「ふん!」
「ふん!」
お互いの主張を一通り終えたが、結局落とし所は見つからなかった。
バーカウンターの椅子をくるりと回し、お互いにそっぽを向く。
しばらく黙り込んでいると、ふと微かに声が聞こえてきた。
「あ、あの……」
「……?何よ、ハル!まだなんか言いたい事でも?!」
「えっ?僕は何も言ってないよ?」
「今確かに聞こえたわ!もう、いつもそうやってボソボソ喋って……!」
「だから、一言も言ってないって!」
「今のって、もしかしてサイラスの話かい?」
「うわっ!」「わあっ!」
声の主はさっき見た人だった。
話しながら、対面して座る私とハルの間にずいっと割り込んでくる。
「突然割り込んで申し訳ない。その、どうしても気になって……君達はサイラスという男と面識があるのかい?」
おずおずと控えめに尋ねてくるのを見て、また冷静になっていく私の頭。
「えっ、どうして彼の事を……」
「盗み聞きするつもりは無かったんだが、聞こえてきてしまってね……で、なんとなく話の内容に心当たりがあるもんだから……つい、話しかけてしまったよ」
「なるほど……」
納得する私の前に人影がよぎる。
気づいたら、いつの間にきちんと服を整え直したハルが私とその人の前に立っていた。
「初めまして、僕はハロルド・フォーブス。こちらはアンナ・ロングフェローだ」
「私はセルジュ・ミラー。サイラスは昔からの私の知り合いでね。彼の事はよく知ってるんだ。色々と問題のある男だって事も……」
問題のある男。
今日は寒いからと、襟の詰まった服をしっかり着込んでいるはずの私の背中を冷たい風が通り抜けていった。
ハルは真剣な顔でセルジュさんの次の言葉を静かに待っている。
(問題って?嫌な予感……)
「アンナさん、あなたはどこか外の世界から来たんだろう?彼から聞いたよ」
「えっ?」
実は、私は極力異世界から来た事を隠すつもりでいた。
怪しい人だって思われたくなかったというのもあったけど……それ以上に説明が面倒だし、話したところでなかなか理解してもらえない事もあって、避けていたのだ。
その事を話したのは……それこそ両親とハル、そしてサイラスくらい。
セルジュさんいわく、サイラスは色んな人に喋ったみたいで。
異世界から来たという私の話はもう彼の周りに知れ渡っているらしかった。
「彼は『異世界から来た美人』という事で君をとても気に入ってる。自慢の女性だって言って回っているくらいだ」
「ほんと?!嬉しい!」
公表するって事は……やっぱり結婚意識してるのかな?
だとしたら、嬉しいなんてもんじゃない。
(サイラス……!)
「でも……あの、その……」
目を伏せて急に口ごもるセルジュさん。
なにか言いづらい事を言おうとしてるようだ。
「……?セルジュさん?」
「なんと言ったらいいか……その……サイラスはそういった『個性的な女性』が好きでね」
「個性的な女性、ですか?」
「ああ。こう言うのもなんだけど、前に付き合ってたのもちょっと変わった芸術家の人で……なんていうか、彼は『常に刺激を求めている男』なんだ」
「常に刺激を……いい事じゃないですか、向上心があって」
「ああ、ええっと……いや……」
「それに……つまりそれって、私の個性も認めてもらえたって事ですよね?!やったぁ!それなら……尚更嬉しいです!」
「そうだけど、そうじゃなくて……って、ええっ?!君はサイラスと……付き合ってるのかい?!」
(すごい驚きよう……そんなに意外だったかな?)
「ええ。彼から付き合ってほしいって言われて、それで……」
「そ、そうなんだ……」
嬉しさ溢れる私の陽気な声に対して、セルジュさんの声はなぜか深く沈んでいるように聞こえた。
(あれ?随分と暗い顔ね。でも、つらい話なんてしてないし……きっと気のせいよね)
コップの水を飲もうと下を向きながら喋ってたから、多分そのせいだろう。
「セルジュさんに、ハル……二人とも、励ましてくれてありがとう!私、なんか頑張れる気がしてきた!」
「アンナさん……」
セルジュさんはまだ何か浮かない顔をしている。
「ああ、もしかして話に割り込んだ事気にしてらっしゃる?全然気にしないでください!セルジュさんの言葉、本当に助かりましたから!ああやって教えていただけて、本当にありがたいくらいです!」
「ああ、いえ……こちらこそ。私の言葉が役に立ったなら嬉しいよ」
「よし!明日からまた女磨きしなきゃ!サイラスにもっと好きになってもらうんだから!頑張るぞ〜!」
「……」「……」
男二人はなんだか腑に落ちないような顔をしている。
「二人とも、どうしたの?」
「えっ」「いや、なんでも……」
「もしかして、二人で話したいとか?」
「え、えっと……「そ、そう!そうなんだ!」
セルジュさんに言葉を被せるハル。
彼がここまで積極的に喋るなんて珍しい。
よっぽど何か喋りたいのかな。
「そっか。じゃ、私はこの辺で……二人に手伝ってもらっちゃったからお会計は私持ちね!マスター、つけといて!」
突然の人の変わりっぷりに目を丸くする店主を尻目に、私は意気揚々と店を出て行った。
いくらかかったかなんて頭になかった。
気分が良すぎて、もうなんでもよくなっていたから。
誰かに理不尽な難癖つけられても、水溜りを通った馬車に何十回泥をはねられても、前の世界で散々罵声を浴びせてきた上司が現れても、今は許せる気がした。
なんでも寛容に受け入れられる気がしていた。
足取りは軽い。
追い風でも吹いているかのようだった。