1 メイドが見つけた行き倒れ…… 改稿
ノックの音と同時に部屋へ入ってきた執事の表情を見て、ジョルジュは眉を寄せた。
明らかに、いつもと様子が違う。
ここは首都から遠く離れた、田舎同然の土地だ。
静かな場所ではあるが、平和で安全というわけではない。
「何かあったのか」
「実は、森の入口で行き倒れを見つけまして」
「行き倒れ?」
ジョルジュは驚いた、珍しいと思ったのかもしれない。
「メイドが街へ出た帰りに、偶然見つけたそうです」
「まさか、死んでいるのではないだろうな」
執事は首を横に振った。
「女性のようです。ただ、随分と汚れた格好で……」
執事の言葉が途切れる。
「盗賊に襲われたか、どこかから逃げてきたのかもしれません」
ジョルジュは黙った。
もしかしたら、国境を越えてきた可能性もある。
奴隷として売られる途中で逃げ出したのかもしれない。
「今、どこにいる?」
「客室に」
ジョルジュは椅子から立ち上がった。
「案内しろ」
ベッドに寝かされていたのは、女性だった。
髪は長い。
だが、着ている服を見て、ジョルジュはわずかに眉を寄せた。
農民か、平民か。
泥で汚れてはいるものの、衣服そのものは粗末には見えない。むしろ、この辺境ではあまり見かけない仕立てだった。
「目が覚めたら、風呂と食事を。それから――」
「旦那様」
部屋を出た時、メイドがジョルジュを見た、表情が硬い。
「この人が倒れていた近くに……」
メイドはジョルジュを見た、その顔色に何かあったのかとジョルジュは思った。
「獣が……ブラックウルフ、成獣だと思います、かなり大きかったんです。それも二匹」
「……ブラックウルフだと?」
ジョルジュの声が低くなる。
隣に立っていた執事も、明らかに顔色を変えた。
「二匹も、ですか? しかも成獣……間違いないのですか?」
メイドは頷いた。ブラックウルフの成獣。
一匹でも、この辺りでは恐れられている獣だ。
二匹同時に現れることなど、滅多にない。
「女の近くにいたのか? ブラックウルフが?」
メイドは頷いた、青ざめた顔で唇も震えている。
ジョルジュはベッドの上の女を見る。
泥に汚れ、目を閉じたまま、身動き一つしない。
「……襲われていないのか? 噛まれたりは?」
「傷は見当たりません。出血もしていませんし」
執事も女を見つめた。
「……妙ですね」
ジョルジュは答えなかった。
獣が近くにいたのに無傷だった。普通なら、あり得ない。しかも、成獣が二匹。
「誰にも話すな、この事は」
ジョルジュは静かに言った。
「この女が何者なのか分かるまではな」
メイドと執事は深く頷いた。
旦那様は変わっている。
いや、育ちの違いなのだとマーサは思った。
行き倒れの、素性も分からない人間を助けるなど、裕福な貴族ならまずしないだろう。
だが、自分の主人であるジョルジュは違う。
エイダー地方、この領地は広くない。
先代、そのまた先代の頃から、決して裕福とは言えなかった。
ジョルジュ自身も、貧しさや苦労を知っている。
だから、困っている人間を見捨てることができないのだ。
「あの女性が、悪い人ではありませんように」
マーサは心の中で祈らずにはいられなかった。
ジョルジュは独り身だ。
もし彼女がそれを知れば、領主の妻の座を狙って近づいてくる可能性もある。
以前にも、そういう女がいた。
領主とはいえ、贅沢な暮らしをしているわけではない。
この館にあるものだって、決して華美ではない。
だから、その女も長くは続かなかった。
見た目のいい女だったため、料理人や庭師は浮ついていたが、執事のヴァルジャンだけは最初から警戒していた。
そして、何日かすると女は姿を消した。
あのときのことを、マーサは思い出した。
今回も、同じことにならなければいいのだが。
「マーサ」
部屋を出ると、執事のヴァルジャンが声をかけてきた。
「彼女の様子は?」
「はい。お風呂に入ってもらいました。着替えが済んだら、食事を運ぶつもりです」
「そこまで世話をする必要はありませんよ」
ヴァルジャンの顔は険しい。
「ですが、旦那様の命令ですから」
「分かっています」
短く答えたあと、ヴァルジャンは女性のいる部屋を見た。
「……あの女性ですが。あなたは、どう思います?」
マーサは少し黙ったあと、バルジャンを見た。
「育ちのいい方だと思いました」
その言葉にヴァルジャンの眉が動く。
「実は……私がメイドだと知って、驚いていました」
バルジャンは怪訝そうに聞き返した。
マーサは首を傾げる。
「家政婦さんですか、と聞かれました」
メイドを、そんなふうに呼ぶ人間は珍しい。
貴族や裕福な商人なら、そんな言い方はしない。
「それに、私が何かするたびに『ありがとう』と声をかけてくださるんです」
マーサは少し笑った。
「頭を下げてくるんです。それに綺麗な人です」
「綺麗、ですか」
ヴァルジャンが聞き返す。
「ええ。黒い髪で、肌も白くて、普通の方ではない気がします」
マーサは、表情を曇らせた。
「もしかすると、どこかの貴族の方かもしれません。誘拐されて、奴隷として売られる途中で逃げてきた可能性もありますよね」
「……可能性はあります」
「だったら、家族が捜しているかもしれません」
「そうですね」
ヴァルジャンは考え込んだ。
「一度、ギルドに確認してみてもいいでしょう」
マーサの表情が少し明るくなった。
だが、バルジャンは続けた。
「女性を捜している者が、必ずしも善人とは限りません」
マーサは無言になった。
「誘拐されたのなら、彼女を連れ戻そうとする者が現れるでしょう。ですが、それが家族なのか、誘拐した者なのか……今の私たちには判断できません」
「……そうですね」
「まず、旦那様に話してみましょう。マーサ、あなたも来てください。私だけでなく、あなたの話も必要です。私は人を疑うことが苦手ですから」
「旦那様、今、よろしいでしょうか」
執事のヴァルジャンが、マーサを伴って部屋へ入ってきた。
二人そろって来るとは珍しい。
ジョルジュは書類から顔を上げた。
「何かあったのか?」
ヴァルジャンが切り出した。
「あの女性について、ギルドに問い合わせをしてみようと思います」
ジョルジュは眉を寄せた。
女性は単なる行き倒れではない可能性がある。
上質な服、丁寧な話し方、土地の者とは思えない容姿。
「誘拐された可能性もある、ということか」
「はい。可能性の一つですが」
ヴァルジャンは慎重に答えた。
「もし本当にどこかの貴族や裕福な家の者なら、家族が捜しているかもしれません」
ジョルジュは腕を組んだ。
「ギルドに問い合わせるにしても……少し時間がかかるな」
この辺境から、ギルドのある街までは距離がある。
馬を飛ばしても、往復にはそれなりの時間が必要だ。
「私が行きます」
バルジャンが言った。
「お前が?」
ジョルジュは意外そうに顔を上げた。
「身元不明、本当に誰かに追われているのであれば、ギルドで余計な騒ぎを起こす可能性もあります」
「なるほど」
「それと、旦那様には一度、本人に会っていただきたい」
「私が?」
「誘拐されたのであれば、詳しいことを話したがらないかもしれません。ですが、本人から話を聞かなければ分からないこともあります」
ジョルジュはしばらく黙った。
確かに、その通りだった。
助けを求めている人間を疑うのは気が進まない。
だが、領主である以上、感情だけで判断するわけにもいかない。
「……分かった」
ジョルジュは立ち上がった。
「お前はギルドへ行ってくれ。何か分かったら知らせてくれればいい」
そう言って、ジョルジュは小さく息を吐いた。




