第7話
巻の一:天地開闢
【第六石板:承前】
※欠損率24%、変わらず。
――そこから、何時間が経過しただろうか。
昼下がりの光はとうに失われ、半地下の研究室は、モニターの青白い光だけが支配する深夜の静寂に沈んでいた。
画面に浮かび上がった釈文の数行を追った瞬間、私の呼吸が完全に止まった。
※急激に文字のサイズが大きくなり、記録者の強い高揚、あるいは畏怖が刻み込まれている。
【原文(古写本)】
――乱れし弟、罰を受け、東の荒野へ追放さる。
然れど、彼、朽ちず。
征戦を重ね、黒竜の如き富を掌握し、東の地に一国を建つ。
その名、日高見。
【現代語訳(前野)】
『――高天の秩序を乱したスサノオは、ある事件の後、はるか東の遠い荒野へと追放となった』
私は弾かれたように席を立った。スタイラスペンをデスクに放り出し、パイプとマッチを掴んで、研究室の重い鉄扉を開ける。
誰もいない深夜の非常階段へと飛び出し、小刻みに震える手で火をつけ、激しく紫煙を吸い込んだ。
冷え切ったコンクリートの壁に背を預けた私の額から、冷たい汗が吹き出す。半地下の研究室から漂う湿った匂いと、安物の煙草の放つ少し酸っぱい匂いが、パニックに陥った脳裏に生々しく混ざり合う。
「東、だと……? 馬鹿な、東なわけがあるか!」
通常の歴史認識、すなわち『古事記』や『日本書紀』の記述であれば、高天原を追放されたスサノオが向かうのは、西の「出雲」のはずだ。そこでクシナダヒメと出会い、ヤマタノオロチを退治する英雄譚へと繋がっていく。
それがなぜ、この四世紀の石板では「東の遠い荒野」へと飛ばされているのだ。空間が、歴史の座標軸が、根底から狂っている。
私はパイプの灰を強く叩き落とし、這うようにして再びデスクのライトの下へ戻った。ルーペを握り直す。
レンズの向こうの古代文字は、冷酷にその方角を示し続けていた。そこには、既存の史書がひた隠しにしてきた、歴史の闇を切り裂くような事実が書き連ねられていた。
『――スサノオは、はるか東の遠い荒野へ追放された。しかし、彼はそこで朽ち果てる男ではなかった。言語を絶する征戦の果てに、スサノオは大地をうねる黒竜の如き莫大な金不換の富(……砂金と鉄資源)を掌握し、それを原動力として東の地に一つの巨大な国家を建国したのだ』
暗闇のなかで、私の顔が引きつる。神話の「ヤマタノオロチ」の正体が、脳内で一瞬にして組み替わっていく。
「斐伊川のオロチではない……! 北上川だ。蛇行を繰り返す日本最大の砂鉄と砂金の母なる大河……。スサノオが北方の河川で調伏し、簒奪した、巨大な『砂金とタタラの利権』そのものが、後世にオロチという怪物として歪められたのだ。八つの頭とは、北上川水系の複数の支流、あるいはそこに巣食う砂金掘りの部族たちの象徴に他ならない」
そして、後世の編纂者は、スサノオが「東日本に最強の鉄と金の帝国を築いた」という大和にとって最悪の事実を隠すため、その平定劇を、すでに大和の支配下に入っていた西の「出雲」の出来事へと丸ごとスライドさせて偽装したのだ。
石板の最下段、激しい欠損を免れた美しい固有の線刻文字が、その国家の名を誇らしく刻んでいた。
『――その国の名は、日高見の国』
「日高見……! 大和に征服される前、北上川流域に実在したという、あの幻の巨大国家か……!」
手元のノートを握る指が、ちぎれんばかりに強張る。
つまり、日本神話最大の英雄スサノオは、大和の味方などではなかった。
大和王権が列島を支配する遥か以前、東日本から大和を震撼させ、滅ぼそうとした、史上最強の「反逆の覇王」だったのだ。




