不憫な女
女は天涯孤独である。
女は小さな町に生まれた。勇者だか賢者だかが生まれた場所であり魔物が寄り付かない場所だったために塀は低く掘りさえなかった。裕福ではないが貧乏ではない中流家庭に生まれた。
父との思い出はほとんどなかった。記憶の定かでない幼少期の頃、彼女の父は黄昏時に母の泣き顔を背負い街から旅立った。母のお腹は大きくなっていた。
それからしばらくして彼女の父は一本の万年筆になって帰って来た。
彼女の母は男の子を産んだ。
しばらくして弟は死んでしまった。いつのまにか小さな町は戦場になってしまった。この地ではだれがいつ死んでもおかしくなかった。後から知ったというか考えれば分かることがあるが、この町は人の多さのわりに人が襲いやすい構造だったようである。国が戦争を起こすなら落としやすく、ある種聖地とも言えるこの地を攻めないはずがなかった。しかし、彼女の母は疎開をするはずがなかった。彼女の母の中ではまだ父も弟も生きていた。彼女は何も言わず、ただ母と共に町に残ることにした。
神経衰弱の母を背負い森に入り、食べるものを探しにだけ街に降りてくる。身を潜め、戦争の終わるのを待った。意外にはやく戦争は終わった。一年経たずに都市は全て陥落した。
父の死を知らされて以来、母の目には何かが見えているようである。弟が死んで以来、母の口からは鼻歌しか聞こえない。戦争が終わって以来、母と私はかろうじて燃えていなかった誰かの家の一室に住むようになった。灰色の町ではどれが誰の家なのか自分の家がどこにあるのか誰にもわからなかった。
ある日、母は朝起きるといなくなっていた。形跡がなかった。何か安心している自分が怖かった。
彼女はこうして10才の誕生日に一人になった。
彼女は生きるためにまず戸籍を売ることにした。戦後の混乱の中、売れないものなどこの世になかった。灰やすす以外何もかもが足りなかった。
名を捨て新たにマリー・ルと名乗った。
「私は戸籍を売って得たお金で食糧を買おうとしました。戸籍を売って儲けた泡銭は文字通り泡のように弾けて消えたのだと思います。気がついたときにはもうすでに手の中にはありませんでした。少し残った金をかき集め、燃えて黒い骸骨のようになった魔導具屋の前の露天商で芋を買いました。種イモを作り、残りを八つに分けて寝ることにしました。朝起きて乞食をしに街に向かうとポスターがあって、それを読んでここに来ました。」
女は罠でも構わないというつもりでやって来た。EZEAという名前の宿屋がそのポスターに載っけられていたために町の人々に尋ねると昨日、EKEAからEZEAに名前を変えた宿屋の話を聞いた。戦後間も無く、誰も利用しないはずの宿屋の名前にこだわるなど妙である。
男はマリーの話をどうでも良さそうに聞いていた。ポスターの件に差し掛かったあたりから吸い始めたタバコはすでに半分以上が灰になって肺に入っていった。
男はヘラヘラしながらマリーに言う。「不幸自慢はいいから、なかなか泣かないことは理解したから、数学の知識はどこまで持ってたの?」
数学なぞは都市のおぼっちゃまが教養のためにやるか自分を預言者などという春が来れば、戦争があればどこからともなく現れる人間が適当なことを言うために使う学問である。数学は魔法の発展に必要不可欠らしく数学者という仕事が確かに都市にあるらしいがほとんどは家督を継がなくていい貴族の二人目の息子なんかが就く高貴な仕事だ。自分にできるのは12歳まで通うことができる一般学校で習った四則演算程度であった。その学校さえ戦争によって9歳の年から行けていない。
マリーの言う「四則演算。」という返答に男は目の色を変えた。彼女をすぐに男が自動車と呼ぶ都市部で流行っているらしい乗り物に乗せて走り出した。
遠くに男と二人で連れて行かれることも、灯りの消えた街角で速い車に乗っけられても怖くなかった。死ぬよりも母が見つかるよりもずっといいと心のどこかで思ってしまった。
半日掛けて朝方に着くと男は明日の予定を話し始めた。「試験を受けてもらいたいんだよ。この場所にいたいなら、いたくなくても今後の糧が欲しいなら受けるべきものだから。ポスター通りのことは守るよ。」
ポスターには「下記の場所にお越しいただいた方の自由、権利、興味を守ります。アホはお断りします。」という文言と基礎的な数学の知識とシーザー暗号と楕円曲線暗号の基礎的な解き方と
y^2≡x^3+2x+2(mod17)
P=(5,1)
3PP3P2P
シーザー暗号(-5)
と書いてあった。
マリーはこのポスターを必死に読み、そして解いてここに来ている。
男は続ける「君には期待してるんだよ。僕は君の頭脳は私たちの国だけならず、世界に役立つものになる。最近は魔王の中にも物騒なのがいるらしいから。」
次の日、試験という名目でマリーはクロスワードパズルを5問、5分で解けるだけ解くように言われた。マリーはクロスワードパズルを初めて解くどころかクロスワードパズルという言葉を初めて聞いた。
彼女は学術の才能を試された。




