第4話「侯爵家の陰謀」
翌日の午後、私は約束通り王立図書館を訪れた。
昼間の図書館は陽光に満ちており、夜の神秘的な雰囲気とは打って変わって、穏やかな空気が流れている。だが、私の心は落ち着かなかった。
セルゲイは、何の話をするつもりなのだろう。
図書館の入口で待っていると、彼の姿が見えた。
「リアナ様、お待たせしました」
「いえ、私も今来たところです」
彼は軽く会釈をして、私を図書館の奥へと案内した。人気のない書架の間、静かな空間。ここなら、誰にも邪魔されずに話ができる。
「実は、あなたにお話ししたいことがありまして」
セルゲイは真剣な表情で言った。
「私、最近……妙なことに気づいたのです」
「妙なこと?」
「ええ。記憶に、空白があるのです」
その言葉に、私の心臓が跳ね上がった。
やはり、彼は気づいていたのだ。失われた記憶に。
「あなたと過ごした思い出の中に、どうしても思い出せない部分がある。まるで、霧がかかっているように。でも、その記憶が大切なものだった気がして……」
彼は苦しそうに眉をひそめた。
私は何と答えればいいのか、分からなかった。
「セルゲイ様……」
「すみません、変なことを言って。きっと、私の気のせいでしょう」
彼は無理に笑みを作った。
「それより、もう一つお話があります。実は、リオン侯爵から接触を受けまして」
その名前を聞いた瞬間、私は身体を硬くした。
「リオン侯爵が?」
「ええ。彼の姪を、私の婚約者にしたいと」
やはり、リオン侯爵はセルゲイにも接触していたのだ。
「私はもちろん断りました」
セルゲイの言葉に、私は安堵の息を漏らした。
「あなたとの婚約は、幼い頃からの約束です。簡単に破棄するつもりはありません」
「ありがとうございます……」
「ですが、リオン侯爵は引き下がらないでしょう。彼は執念深い男です。きっと、何か手を打ってくる」
「それは……」
「だから、お願いがあります」
セルゲイは私の目をまっすぐ見つめた。
「これから起こるかもしれない騒動に、惑わされないでください。私は、あなたとの婚約を守ります」
その言葉は、力強く、そして温かかった。
前の世界線では、彼は私を切り捨てた。
でも、この世界線では、彼は婚約を守ると言ってくれている。
何が違うのだろう。
もしかして、失われた記憶が、何か重要な意味を持っていたのだろうか。
「セルゲイ様、私……」
言葉を紡ごうとした時、図書館の入口から騒がしい声が聞こえてきた。
何事かと振り返ると、数人の貴族たちが慌てた様子で走ってくる。
「大変です! 王宮で事件が!」
「リオン侯爵が、国王陛下に直訴を!」
私とセルゲイは顔を見合わせた。
リオン侯爵が、動いたのだ。
「行きましょう」
セルゲイは私の手を取り、図書館を飛び出した。
王宮では、大勢の貴族たちが集まっていた。
謁見の間の前で、皆が噂話に花を咲かせている。
「リオン侯爵が、ヴァレンティア侯爵家の不正を告発したらしい」
「国庫から金を横領していたとか」
「証拠もあるそうだ」
その言葉を聞いて、私は愕然とした。
父が、横領?
そんなはずがない。父は真面目な人間だ。不正など働くはずが——。
「リアナ様」
セルゲイが私の肩に手を置いた。
「落ち着いてください。まだ、真偽は分かりません」
「でも……」
「大丈夫です。私が、あなたの味方です」
彼の言葉に、少しだけ心が落ち着いた。
やがて、謁見の間の扉が開いた。
中から、リオン侯爵が満足げな表情で出てくる。その後ろには、憔悴した様子の父の姿があった。
「父様!」
私は駆け寄ろうとしたが、衛兵に制止された。
「リアナ……」
父は力なく私を見た。
「すまない。私は……国王陛下から、爵位剥奪の処分を受けた」
「そんな……嘘でしょう?」
「証拠があるのだ。私が横領したという、帳簿が」
「でも、父様はそんなこと!」
「証拠がある以上、弁解はできない」
リオン侯爵が、私たちの前に立った。
「残念でしたね、リアナお嬢様。いや、もうお嬢様とは呼べませんか。爵位を失ったのですから」
彼は嘲笑うように言った。
「これで、あなたとセルゲイ公爵の婚約も、自然消滅でしょう。平民と公爵では、釣り合いませんからね」
「そんな……」
「これが、私の忠告を無視した代償です」
リオン侯爵は勝ち誇ったように笑い、その場を去っていった。
私は、その場に崩れ落ちそうになった。
全てが、終わった。
爵位を失い、父は失脚し、婚約も破棄されるだろう。
前の世界線よりも、もっと悲惨な結末。
これが、やり直した世界の結果なのか。
これが、書士の言っていた『反動』なのか。
「リアナ様」
セルゲイの声が聞こえた。
「私は、婚約を破棄しません」
「でも……私は、もう平民で——」
「関係ありません」
彼はきっぱりと言った。
「あなたが平民だろうと、貴族だろうと、私の気持ちは変わりません。あなたとの婚約は、守ります」
その言葉は、本心なのだろうか。
それとも、義理立てしているだけなのだろうか。
分からない。
でも、彼の瞳は真剣だった。
「セルゲイ様……ありがとうございます」
私は涙を堪えながら、そう言った。
「ですが、今は……父を助けなければ」
「ええ、そうですね」
彼は頷いた。
「この件、何かおかしい。リオン侯爵の動きが、あまりにも手回しが良すぎる。まるで、最初から罠を仕掛けていたかのように」
「罠……」
「ええ。きっと、証拠は捏造されたものです。それを証明できれば、お父上の名誉も回復できる」
セルゲイの言葉に、希望の光が見えた。
「でも、どうやって証明すれば……」
「調査が必要です。そのためには、時間がかかる。夜会までに間に合うかどうか——」
そうだ。夜会は、明日なのだ。
前の世界線では、夜会で婚約破棄が宣言された。
この世界線でも、何か起こるのだろうか。
その時、私の頭に一つの考えが浮かんだ。
もし、もう一度やり直せば——。
もし、リオン侯爵が動く前に戻れたら——。
父の失脚を防げるかもしれない。
でも、代償は更に大きくなる。
書士はそう言っていた。
「リアナ様?」
セルゲイが心配そうに私を見つめる。
「大丈夫です。ただ……考え事を」
「無理はしないでください。今は、私に任せて」
彼は優しくそう言ってくれた。
だが、私の心は揺れ動いていた。
もう一度、契約の書を使うべきなのか。
それとも、この世界線で戦い抜くべきなのか。
答えは、まだ出ない。
だが、時間は刻々と迫っている。
明日の夜会まで、残された時間はあと一日。
私は、決断しなければならない。




