(11)華のある派手な行動
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胡二郎が芙三を伴って集会室に戻るとざわめきがいっとう大きくなった。大方、噂の対象にしていたご本人達が登場したことによる動揺が広がっただけだろう。
こんなところに婚約者を置いてきてしまったことを反省しながら、胡二郎は早足で彼女の方に向かった。一方で芙三の方はというと、特に動じることなく優雅に室内を横断して行く。周囲の喧騒など、まるで耳に入っていないとばかりに。
「ねえ、ちょっと。ねえ、芙三さん」
不意に、誰かが芙三を呼び止めた。振り返ると、そこには母方の親戚筋にあたるおば様の姿が。
「あら、お久し振りね。おば様」
青金石をあしらった耳飾りが、照明に反射してきらりと光る。
明らかに値の張る逸品だが、芙三はそれをなんの嫌味も無くごく自然に付けて自身の美貌への装飾として使っていた。なんだかんだ言っても、芙三が歴史と伝統ある侯爵家出身なのだと思い知らされる場面だ。
まだ若い身柄でそんな高価なものを身に付けている芙三に対して一瞬眉をひそめたが、それを口に出すという愚行はしない。
「お久し振り、結婚式以来ね」
「ええ、本当にそうですわ。その後は特にお変わり無くて?」
「お陰様で主人共々元気ですわよ」
軽く会釈をして、当たり障りの無い世間話。だが本題に入るまでにはそれほど時間はかけなかった。
「ところで芙三さん、聞いたわよ。お兄様のこと」
「あら、兄がなにか?」
「なにかって、貴女。決まっているでしょう。今夜は梅継さまの三番目のご子息がいらっしゃるのですって」
やっぱり尾坂のことを話題に出してきたか。と、自分の予想から一寸たりともぶれないことを話の種として出してきたおば様の真面目くさった顔に噴き出しそうになったのをこらえながら、芙三は必死でそれを噛み殺しながらおば様に話を合わせる。
「まさか樟一郎さまと胡二郎さんの他に、もう一人ご子息がいらっしゃったなんて……貴女、なにかご存じで?」
「ええ、そうです。わたくしには兄がもう一人いるのですのよ。胡二郎お兄様と双子の弟なのですが、幼い頃に養子に行ってしまわれたので今は姓が違いますの」
「それくらい、わたしも知っているわ」
「ふふ……そうですわね。有名な話ですもの」
侯爵が溺愛していた三男が養子に行ったのは、当時かなり噂になっていた。今までほぼ軟禁当然で育てていた溺愛する三男を、九条院家とは何の関係も無い───しかも軍人の家へ養子にやったという事実が信じられなかったからだろう。
侯爵がようやく目を覚まして疎ましくなった三男を捨てたのだとか、可愛い子には旅をさせろという諺に則りしばらく社会勉強をさせるために軍の世界に出したのだとか。色々と囁かれていたが、真相は結局判らずじまいだった。
「兄はこういった場が苦手なようでして、逃げ回っていらっしゃったのをなんとか捕まえてきましたのよ」
「えぇっ! ということは、既に……」
「ええ。ですが、先程おもう様が話があると言われて……連れていかれてしまったのですが……」
父が連れていった兄のことを思って、芙三は静かに目を伏せる。
いつからか、兄が父のことを一方的に嫌うようになったのは知っていたが……まさかあれほどとは思ってもみなかったのだ。
「あらやだ、わたしたちに姿を見られるのが恥ずかしいのではなくて?」
おば様のひとことに、芙三の右手の指がピクリと動いた。
「……おば様、それはどういった意味で?」
「だって……ねえ?」
「そうですわよ、芙三さん。梅継さまの三男と言えば、父君とは似ても似つかぬ醜男なのだという噂でしてよ」
「貴女たち兄妹と比べられるのが恥ずかしいから、公式の場を避けて姿を見せなかったとか……違うの?」
おば様だけではなく、周りにいた他の親族まで参加してきた。ただしその会話の中には、まだ見ぬ侯爵の三男への悪意と嘲笑がふんだんに含まれていたが。
沸々と湧いてきた怒りをなんとか笑顔の奥に封じることに成功した芙三は、まるでおっしゃっていることの意味がわかりませんとばかりに小首を傾げた。
「それでも、ご自身が夢中になられた寵姫の子ですから。仕方なく引き取られたとか」
「でも、引き取ったのは良いけどあまりにも醜いから存在を疎ましく思われて、それである程度育てた後で幼年学校に放り込んだのだとか聞きましたわよ」
「純粋な日本人では無いのでしょう? 四分の一が露西亜人だとか」
「そうでしたの? 露西亜を目の敵にしている陸軍が、そんな子をよくぞ身内に引き入れましたわよね」
「仕方がないわよ。お父様があの九条院侯爵ですし、それに軍の高官の養子に入られたのですから……」
おば様方はもう、芙三のことも放って噂話に花を咲かせている。人は好意的な噂よりも、特定の誰かに対する悪口の方が盛り上がるというが、これを見ていると本当の事なのだと思わざるをえない。
「でも、さすがに花形の騎兵には入れなかったようね。今は工兵なのだとか」
「まあ、工兵! あんな泥臭い場所に、仮にも侯爵家のご子息が行かれるなんて……」
「士官学校はかなりの好成績でご卒業されたようですが……工兵に配属されたことこそが、醜男だというなによりの証拠ですわ」
野暮ったくて嫌煙されがちな陸軍においても、一定の人気を保っている兵科。それが騎兵科だ。
なにせ彼らは他兵科と違って、将校から末端の兵に至るまで全員が馬に乗る。それがとにかく格好良いのだ。
軍服をかっちり着込んで、馬に乗って颯爽と現れる。それだけでもご婦人方の視線を釘付けにしていた。
今は機械化が進んで衰退しつつあるが、それでも花形として人気の兵科だ。なにせほとんどが騎兵将校になるために士官学校を受験するようなものであるのだから、その人気はなんとなく悟れる。
だが騎兵は機関銃や戦車などの機械化によって衰退しつつある兵科。ただでさえ少なかった騎兵将校の席はどんどん減っていっている状況だ。
なので自然と騎兵に配属される規準は厳しい。成績優秀、容姿端麗。それに加えて長身で馬の扱いに慣れているなど、多くの条件を満たしてないと騎兵にはなれなかった。
だが騎兵から外されても、歩兵ならばまだ主力である分機会はあっただろう。それに、歩兵には騎兵と同じく連隊旗手という名誉ある役目も存在している。(※18)
なのに、梅継の三男が配属されたのは工兵だというではないか。
野暮ったくて威張っていると嫌われがちな陸軍の、その中でもさらに泥臭い肉体労働が主な任務である工兵に配属されたことこそが、侯爵の三男が醜男だという証明だ。と、おば様方は鼻息も荒く自説を展開していた。
それを芙三や胡二郎が、苛立ちを飲み込みながらじっと辛抱強く聞いているのだとは思いもしないで。
「…………ふふ」
おば様方が話に夢中で自分の様子に気付いていないのを良いことに、芙三はそっと口元に添えた自身の手の下で密かにクスリと笑いを漏らす。
(そろそろ……それくらいにしておかないと、恥をかくとお教えした方がよろしいでしょうか?)
いや、やっぱりこのまま黙っておこう。という意地の悪い考えが浮かんだ。
もし、侯爵の三男のことを二目と見れない醜男なのだと思い込んでいるおば様方が、当の本人を目の当たりにしたのなら………いったい、どういう表情になるのか。それを想像して小気味良さげに芙三は微笑んだ。
(……あら?)
ざわめきが大きくなったのでそちらの方に視線を向けると、そこには芙三達の父親である侯爵の姿が。
後ろに芙三が想いを寄せる兄の姿は無い。
「しっ、お戻りになられたわ」
「三男さまが……いらっしゃらないようですわよ」
「やっぱり、逃げたのではないのかしら」
おば様方の陰口もいよいよ白熱してきた。一方で、芙三はまさか本当に尾坂が帰ってしまったのかと焦りを募らせる。
(お兄様………仙お兄様………!)
心の中で、最愛の兄の名を呼ぶ。すがるように、まるで好いた殿方の名を舌先で奏でるかのように。
と次の瞬間、集会室の扉が開け放たれた。
「遅れて申し訳ありません、父上!」
男性の声だが、しかし尾坂のものではない。
声の主は、芙三たちの長兄である樟一郎のものだ。
妙に機嫌良さげで鼻唄でも歌いそうな勢いの樟一郎は、颯爽と室内に入ってくる。こういうときの長兄はろくなことを考えていないと良く良く知っている芙三は、思わず身構えた。
「!」
だが、長兄の後ろ。まるで影のように静かに付き添う人影を見た芙三は、思わず息を飲んで両手で口元を抑えた。
「弟の調子が少し優れなかったので休ませようと思ったのですが……」
「……私はもう、大丈夫ですよ。兄上。ご心配をおかけしてしまって、謝罪をするのは私の方です」
甘く掠れた、低めの声。耳に心地が良くて、思わず涙が溢れそうになったのをぐっと堪えた。
長い足を優雅に運びながら、その人物が樟一郎の側にそっと寄るのを見た外野の声が一瞬でふっと消える。
華奢ながら引き締まった身体の曲線にぴったり合うように誂えられた昭五式軍衣、きゅっとくびれた足首と滑らかな線を描く脹脛を包むのは上質な革で造られた長靴。
些か地味すぎる色の生地を使用していたのが疑問だが、それは"彼"の瞳を見れば自ずと答えが判るもの。
───まるで宵の空を包む宇宙の色を写したような、美しい瑠璃色の瞳。
瀟洒に仕立てた軍服の生地にあえて地味な色を使っているのは、この瞳の鮮やかさを殺さないようにするためだったのだ。
その綺麗な瑠璃色の瞳がうっとりと細められ、赤く可憐な唇が言葉を紡ぐ。
「ご心配とご迷惑をおかけし、申し訳ありません。父上」
「構わないよ、仙。体調はどうかな?」
「もう大丈夫です。兄上とお話ししていたら、すっかり良くなりましたので……」
スッと通った鼻筋、シャープな顎の線。烏の濡羽色の髪は丁寧に整えられ、柳眉が時折見え隠れする。
男にしては赤色が強い可憐な唇と、正しく深海の青と称するに相応しい瑠璃色の瞳。
一見すれば男装の麗人と見違うほど美しい青年が、そこに立っていた。
いったい何者だ、と誰もが思っただろう。なにせ絵画の中から飛び出してきたような、息を飲むほど美しい青年が何の脈絡も無しに突然現れたのだから。
「───不肖、尾坂仙。今宵は一日だけ……貴方の三男として、この場にお邪魔させて頂きます」
その一言で全てを悟った外野の間で、再びざわめきが広がった。
ただし、今度は悪意に満ちた噂話ではない。驚愕によるものだ。
────灰色の醜い家鴨の子が白鳥になって舞い戻ってきた。
その瞬間を見届けて、芙三は密かに口角を吊り上げた。
※18:連隊旗手というのは、軍旗を持つ将校のことを指します。普通は容姿端麗で成績優秀、長身でなおかつ童貞(正確には「悪所に通わぬ高潔な人柄」)の新品少尉が務めました。軍旗は騎兵と歩兵にしかなく、砲兵・工兵・輜重兵、途中から航空兵も加わりましたが、歩兵と騎兵以外には下賜されることはありませんでした。(砲兵は明治初期のほんの僅かな期間だけ下賜されていた所もあったようですが、最終的に軍旗を持つのは騎兵と歩兵だけになりました)




