説得
今宵も私はルナとソルと共に夜空に浮かんでいた。
日中大地にこもった熱を、風がさらっていく。
耳に心地良い木の葉の揺れる音。
エリューシオン聖王国の真珠と謳われる壮麗な王城を眼下に従え、私はルナを振り返る。
「陛下の居所は分かったかしら、ルナ?」
「はい、お嬢様〜。執務室にひとりでいらっしゃるようですね〜。先程までもうひとりいましたが、部屋を出てから戻って来ていません〜。扉の前に2人分の気配があります〜」
「お嬢様、陛下には黒狼のような隠密護衛はついていないのですか?」
「いないみたいね。王国にも諜報機関はあるのよ? お父様が統括なさっているわ。ただ、戦闘力は全体的にそれほど高くないの。代々その地域に住んでいたり、旅商人だったり、各国で騎士や官僚として勤めていたりするから」
私たちの王廟行きがばれてしまったのも、麓の町にお父様の手の者がいたからでしょうね……
ソルの問いに答えると、私はルナの感知した情報を元に、陛下のいる部屋へ転移する。
お父様とよく似ているが、優しさよりも頼りなさを感じさせる顔立ち。
ハニーブロンドの髪とサファイアブルーの瞳を持つ陛下は、突然現れた私たちに、ぽかんとした表情をしてみせた。
「アイリス?」
ひざまずくルナとソルを従え、扉を背にした私は足を引いてお辞儀をする。
「ご機嫌よう、陛下。陛下の御代に創世の女神の加護がありますように。突然のご訪問をお許し下さい、陛下。大切な話がありましたの」
「アイリス! なぜここに⁉︎ いや、どうやってここに⁉︎」
「なぜという御下問にお答えしますならば、先の言葉に補足して陛下と取り引きをするためにですわ。どうやってという御下問には、神魔術を使ってとお答え申し上げます」
取り引き成立までは慇懃無礼に振る舞おうと、私は無表情で陛下に相対する。
椅子から立ち上がり、陛下が大声で私に問いかけるのは、扉の外の騎士に知らせるため。
ですが、もう鳥籠結界を張っておりますもの。
「なぜ誰も来ない? アイリス、何をした⁉︎」
「この部屋の人、音、ありとあらゆる物を閉じ込める鳥籠結界を張りましたの。陛下、ご質問ばかりされては話が進みませんわ。陛下を害する気はありませんので、ひとまず黙ってお話を聞いて頂けますか?」
私とルナとソルを警戒して、私たちと陛下を阻む唯一の盾である机から離れられない陛下に、私は小首を傾げて沈黙をお願いした。
動揺は激しいようですが、口をつぐんで頂けて幸いですわ。
「私は、魔王の加護を受けし神魔術師。私、先だって魔王を召喚しましたの」
「ま、魔王を召喚⁉︎」
そう叫んだ陛下が、白眼を向いて崩れ落ちた。
あら、あらあらまぁ……
「お嬢様、どうしましょう〜?」
「お助けするべきですか?」
途方に暮れてルナとソルを見ると、ふたりとも困ったように見つめ返して来た。
「そ、そうねぇ……私、お父様を連れて来るわ。ふたりともここで陛下を見守っていてくれる?」
「はい、お嬢様〜」「はい、お嬢様!」
外務大臣用の執務室とは別に、激務なお父様には特別に王城内にプライベートルームがある。
何度も訪れたその場所に、私は慌てて転移した。
「お父様! ーーと、宰相閣下……」
「ーーアイリス、まさか君が……ウィステリア公の笑えない冗談であったら、と思っていたんだが……」
スチュワートとシャーロットによく似た繊細で整った顔立ちを悲しそうに歪め、宰相が私を見る。
陛下同様宰相もまたお父様と同時期にエトワール学園で学んだ間柄だったため、私はとても可愛がって頂いていた。
お父様はよく泣く陛下の面倒を望む形望まない形であれこれ見て、最後に宰相がきれいにまとめるという関係性だったらしい。
「私は娘のことに関して嘘などつかないよ」
肩をすくめるお父様。
しかし、その発言自体がそもそも嘘を言っている。
「アイリス、ウィステリア公は君が魔王を召喚し、神魔術師として国を滅ぼせるほどの力を得たと言ったんだ。そして、魔王から大陸平和を命じられたと。それは本当かい?」
「はい、宰相閣下」
お父様は微笑んだまま何も言わない。
私は宰相の眼差しを正面から受け止め、そして返す。
「君は、魔王を封印するなら帝国側に立つ、封印しないなら中立を守ると言っているそうだね?」
「その通りですわ。私は聖乙女さえ大人しくして頂けるのであれば、抑止力として大陸に平和をもたらしたく存じます。聖乙女はこの国に奇跡と加護をもたらしますが、他の国々をも守護するわけではありません。大陸全土から戦火を消すためには、聖乙女ではなく私の力が必要です。かつて魔王は人間を滅ぼす方へ舵を切りましたが、それは失敗しました。そこで、次に講じた手段が私を使うことです」
宰相がアクアマリンの瞳を微かに伏せ、考え込む。
耳ざとい者には軍靴の足音が聞こえるはずだ。
魔王と戦争どちらがより不利益をもたらすか。
封印と抑止力どちらがより利益をもたらすか。
「帝国は急激に成長しました。備えは足りているとは言えません。魔王は後100年もしないうちに人の世から消えます。その間に、両国の間に戦争を起こせない下地を作れれば、永の平和が得られるはずです。魔王の存在は一部の者だけが知っていれば良いでしょう。何もしない魔王の復活を信じる者はいません。私は影に徹します」
「そうか……では、私も覚悟を決めねばならないね。アイリス、最初ウィステリア公から話を聞いたときは、なんと愚かなことをしたんだと思ったのだよ。魔王はもう1度封印するべきだと。そして、私は力を尽くして君の罪を軽くしようと考えていた。君は婚約破棄されたあまりの悲しみに自暴自棄になって魔王を召喚してしまい、その心の隙を突かれて魔王に操られているに違いないと思ったんだ。だけど、君の瞳は昔と変わらず強く美しい。私はアイリス、君を信じよう。まぁ、そう言わないとウィステリア公に何をされるか分からないしね」
最後はいたずらっぽく笑って、宰相がお父様をちらりと見た。
私はほっと胸を撫で下ろす。
「酷いな。そんな言い方をしたら、アイリスが私を誤解するじゃないか。ーーところでアイリス、陛下はどうだった?」
「あ、はい、お父様。陛下はそのぉ……私が魔王を召喚したと申し上げた途端、気を失ってしまわれて……だから、私、お父様を呼びに参りましたの」
「陛下は気が弱くていらっしゃるから……」
宰相が小さくため息をつく。
「よし、宰相殿! 陛下のところへ行こうか!」
「ウィステリア公、ちゃんと手加減して下さいね?」
穏やかで優しい紳士の仮面を被ったお父様と諦めたような表情を浮かべた宰相と共に陛下の執務室に戻る。
陛下は寝椅子に身体を横たえられ、そのそばでルナとソルが所在なさげに立っていた。
私たちの姿を見て、ルナとソルがかしずく。
「アイリス、陛下を起こせるかい?」
「はい、お父様」
私が陛下の額に手をかざすと、陛下がゆっくりと瞼を開け、2度3度と瞬きする。
そして、頭を巡らし、お父様と宰相を捉え、ほっとした表情を見せた。
「ああ、ウィステリア公、宰相。私は執務中に寝てしまったのか……疲れているのかな?」
「いいえ、陛下。誠に残念ながら、陛下は現実逃避出来ませんよ。ほら、私の可愛い可愛い娘です」
お父様が手招きして私を呼び寄せたため、私をようやく視認した陛下が、飛び起きて宰相の背に隠れる。
「さ、宰相、宰相、助けてくれ! アイリスが魔王を召喚したと言うのだ! これはアイリスがカーティスの婚約破棄を怒っているからか⁉︎」
「陛下、アイリスはもっと賢い子です。ちゃんとアイリスの話を聞かないと、ウィステリア公に怒られますよ?」
慌てて椅子に腰掛ける陛下。
なぜか魔王召喚者である私よりも、お父様の方へ怯えた視線をちらちら向ける。
私は宰相にお話したのと同様、お父様に昨日伝えた内容の一部を改変した話を陛下に説明した。
時折喚いたり泣いたりする陛下を、お父様と宰相がそろって宥めすかす。
そして、最終的に陛下は首を縦に振った。
「大陸の交易路を抑えた我が国にとって、平和は国を富ませ、戦争は国を貧するもの。魔王が何もしないのであれば、私もアイリスを認めよう。しかし、これは我々の死後カーティスやリディア、スチュワート、ラルクに我々と同じ重い心理的負担を背負わせる。それがどんなに罪深いことか、我々は自覚せねばならない。そして、アイリス、そなたが死ねば、魔王召喚陣は封印するぞ。それまでは、魔王封印陣と同じ効力を私はそなたに要求する。良いな?」
「陛下の御心のままに」
お父様も宰相も私と共に陛下に頭を下げる。
陛下の言葉が私に重くのしかかる。
私は私のわがままの責任を平和という形で必ず返さなければなりませんわ。
ですが、これでひとまず肩の荷が下りましたわ……
精霊の問題が気がかりですけれど。
私が安堵の吐息をこぼしていると、陛下は真っ赤な目を抑えながらぼやいた。
「はぁ〜、王廟の扉が神人の血を引く各王家の者にしか開けないと思って警護を怠っていたのも悪かったなぁ。これからは1部隊をつけておこう」
ーーえ⁉︎
私がソルを見ると、ソルも大きく目を見開いていた。




