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橋場学は足下に視線を落とした。革靴である。その革靴の中に靴下を履いた足がおさまっているが、問題は右足である。靴下と足裏の間に違和感が挟まっていた。小さく尖った存在が、ここだよここだよ、ここにいるよ、と訴えてくる。通勤途上である。あと十数メートルで駅だし、周囲は流れるように改札に吸い込まれていく。まるで大雨の路側帯である。自分だけ足を止めて靴と靴下を脱ぎ、ゴミを取り除くという行為は異常者がやることだ。改札を抜けるとトイレの標識があったはずだ。トイレの個室ならだれに見咎められることもない。トイレトイレと口中で唱えていたが、ちょうどプラットフォームに電車が来たところだったので降車駅のトイレでもいいかと思い直す。約二十分の車中、スマホでニュースを見たり、漫画を読んだりして有意義に過ごし、足を動かすことがなかったために、違和感を忘れた。
「橋場先輩、ニュース聞きました?」
橋場に駆け寄ってきたのは今年入社した新人、ピヨこと日代鳥だ。
第二営業部に足を踏み入れた瞬間に違和感がぶり返した橋場は、ピヨを振り切って靴を脱ぎたかったのだが、良き先輩の評判を落としたくないので笑顔で応えた。あとでそっとデスクの下で取り除けばいいことだ。
「ニュースって円安のことか?」
今朝の各社のニュースは新内閣の解説で埋め尽くされていたはずだ。ご祝儀相場どころか下落した円の価値に目をとめるとは、見どころのある新人である。商社の末端に勤める者としては株価に影響があることはすべてビッグニュースである。
「違いますよ」ここでピヨは口に手をあてて顔を寄せてきた。「朝倉さんですよ。結婚するんですって」
「え、朝倉って第一営業部の?」
朝倉仁奈。ピヨの同期で新卒の隠し玉と噂されていた有能な新人。英語と中国語とスペイン語が堪能なだけでなく、某大学の学生のときミスキャンパスに選ばれた逸材である。
「そうですよ。同期はみんなショック受けてます」
ピヨはがっくりと肩を落としている。
「ってことは相手は同期じゃないんだな。誰なんだ。社内の人間か?」
橋場が属する第二営業部は総勢十五人だが、今は橋場とピヨしかいない。直行直帰も許されているため、半月顔を見ていない社員もいるくらいに、普段は閑散としていた。橋場のデスクは一番奥で、営業部を見渡せる位置にあるが、とくに肩書きはない。
鞄を一番大きな引き出しに放り込む。始業にはまだ少し時間があるが他人の噂話には興味はない。給湯室のコーヒーが恋しい。
「社外の彼氏らしいですけど。にしても、入社して半年で結婚して退社するなんて非常識じゃないですか?」
「退社? なんで辞めるんだ。いまどきは共働きが多いのに……あ」
「なんです」
「おめでた……とか?」
ピヨははっと目を瞠る。
「橋場さん、それはよくないですよ。いやらしいなあ」
大仰に呆れられた。心外だ。
「仕事しろ。新規開拓最低一件取ってくるまで帰ってくるな」
「パワハラですよう。今日は部長に命じられて、資料作りしなきゃですし」
ピヨは肩をすくめたのか羽ばたいたのかよくわからない仕草をして自分のデスクに戻っていった。




