幕間 二等書記官カリバの客観的かつ不完全な視点②
――二等書記官 カリバ・ノウンが記す――
記録票/庁内限り
件名:王立魔術大学における黒髪の巫女講義および外国使節筋の関心増大について
記録者:二等書記官 カリバ・ノウン
場所:王立魔術大学および周辺回廊、庶務室、門衛詰所
体裁:観察/伝聞/所見
注:本記録は、当方の目視確認、庶務官筋の聞き取り、門衛詰所からの報、ならびに学内における非公式談話を混交して作成したものである。事実確定に至らぬ事項は、伝聞または所見として扱う。
一 概況
本日、王立魔術大学の空気は、平時の静謐とは異なる緊張を帯びていた。
大図書館へ向かう回廊には、いつもの紙と革の匂いに加え、外から持ち込まれた香油と雨除け革の匂いが薄く混じっていた。庶務官らは声を低くしながら往来し、廊下の角ごとに短い確認と目配せを交わしていた。学生らは露骨に騒がず、しかし書架の陰や窓辺で、普段より長く足を止める者が見受けられた。
正門近くには、当方の見慣れぬ紋章を付した馬車が二台。うち一台はシャイヴァルド使節筋の先触れに属するものと門衛が述べた。もう一台については、バラセル司教領関係者の随行車ではないかとの伝聞あり。ただし当方は紋章学に精通しておらず、断定を避ける。
名目上、彼らの来訪理由は、先王陛下ご快癒への祝意、王立魔術大学との学術交流、ならびに侍医司と大学の新たな医術研究への関心である。
しかし、学内で交わされる囁語において、より頻繁に聞かれた語は次の三つであった。
黒髪の巫女。
精霊魔術。
聖剣。
以上をもって、使節筋の関心が純粋な儀礼のみに留まるとは、当方には考え難い。
二 講義について
ミツル・グロンダイル嬢による精霊魔術概論は、当初、学内の学生および研究者を主たる対象とする予定であったと聞く。
庶務室内では、外部聴講の許可範囲、席次、警護線、出入口の動線、ならびに記録筆記の可否について、短時間に複数の確認が行われていた。とくに席次については、使節筋を前列に置けば学術の場が外交儀礼に変質し、後列に置けば非礼と取られかねぬとの懸念が出ている。
ある庶務官は、当方の問いに対し、次のように述べた。
「講義室の椅子は、ただの椅子では済まなくなります。誰をどこに座らせるかで、大学が何を認めたかを読まれますから」
この発言は、学内の気配をよく示すものとして記録する。
グレイ総長は、現時点ではミツル嬢本人の意向確認を優先する旨を述べたとの伝聞あり。総長は、精霊魔術を見世物として扱うことには慎重であると見る向きが多い。ただし、大学として外国使節筋を完全に拒むこともまた困難である。
三 黒髪の巫女本人について
当方は、本日午後、南回廊の階段下付近にて、ミツル・グロンダイル嬢を遠目に確認した。
彼女は紙束を胸に抱き、白き剣を帯びていた。同行者は護衛騎士ヴィル・ブルフォード。両者の間に過剰な会話はなく、ブルフォードは半歩後ろ、時に半歩横へ移る位置取りを保っていた。単なる随行というより、近づく者の角度を常に測っているように見えた。
ミツル嬢の顔色は蒼白というほどではないが、笑みは少なく、紙束を抱く指先にはかすかな力が入っていた。年若く見える容貌に対し、視線の置き方には、同年の学生とは異なる硬さがある。
これを巫女の威と見る者もあろう。だが、当方の所見では、あれは威圧というより、己を崩さぬための緊張に近い。
四 公爵家筋との接触について
本日、学内回廊において、ファビアン・グランブイル殿がミツル嬢へ接触したとの報あり。
当方は全会話を確認していない。以下は、回廊に居合わせた学生、庶務官補、ならびに門衛見習いの証言を照合したものである。正確な逐語記録ではない。
ファビアン殿は、ミツル嬢に対し、先王陛下の庇護および大学の後ろ盾が永続するとは限らぬ旨を説き、同家が彼女の後ろ盾となる意向を示したとされる。提示された条件は、貴族院筋への繋ぎ、研究予算、講義への後援、王宮からの一方的管掌に対する牽制、ならびに外国使節との折衝補助であった。
ある証言者は、ファビアン殿が、
「悪い取引ではない」
と述べたと語った。
これが正確な語であるかは不明。ただし、複数証言において「取引」の語が出ているため、当該接触は私的挨拶ではなく、明確な利害提示であった可能性が高い。
護衛騎士ブルフォードは、接触冒頭で正式な手続きを求め、ミツル嬢との間に一線を置いたという。剣に手をかけたとの証言はない。
また、先王陛下のご体調を廊下で話題にすべきではない、不敬にあたる、との趣旨で応じたとの証言がある。取り巻きの一人が、公爵家からの提案を退けることを「嘆かわしい」と述べた際、ミツル嬢は「それは荒い言葉ではなく正直な言葉である」という趣旨の返答をしたという。これについて、ファビアン殿が明確に叱責したかは証言が分かれるが、少なくとも発言内容そのものを否定した形跡は薄い。
五 ミツル嬢の応答
複数証言によれば、ミツル嬢は激昂せず、礼を保ったまま応答したという。
彼女は、先王陛下から賜った厚意への感謝と、国家に尽くす意志を示したうえで、それは特定の家の利となるためではない旨を明言したとされる。
また、正式な話であればしかるべき手続きを経て聞くが、このような場での取引には応じぬと拒絶。加えて、グランブイル公爵家の名を挙げ、こうした非礼を恥じぬ家名であるのか、という趣旨の言葉を返したとの証言もある。
この応答により、ファビアン殿は一旦退去した。
ただし、同殿が敗北感を示したという証言は少ない。むしろ、接触した事実そのものを既成事実化できればよいとする態度であった、との見方が強い。
注目すべきは、回廊の向こうにいた外国使節筋の随員が、この一件を見ていた可能性である。
会話の内容までは届いていないと思われる。しかし、公爵家筋の人物が黒髪の巫女へ接触し、護衛騎士が接近の線を制し、さらにミツル嬢本人がこれを拒絶したという構図は、目撃された可能性が高い。
これは、単なる学内の紛議ではない。
六 王宮筋および貴族院筋の気配
王宮中枢は、王都不審火および魔素集積に関する騒ぎが、国外へ大きく伝わることを嫌っていると見られる。大国の首都に不安が広がっていると知られれば、対外的な面子に関わるためである。
一方、貴族院筋には、黒髪の巫女を制度的に管理すべきとの意見あり。ある貴族院付き書記見習いは、黒髪の巫女を「保護対象」「国威の象徴」「研究資産」「外交札」の四語で語ったという。また別筋では、精霊魔術そのものを軍事的抑止の切札として扱うべきとの私語もあった。
当方はこの発言を直接確認していないため、真偽は不明である。
ただし、ファビアン殿の接触が事実であるならば、少なくとも一部の貴族家が、先王陛下の庇護と、それに付随する何らかの約定が永続しない可能性を見越して動き始めたと見るべきであろう。
先王陛下のご体調については、いまだ公的に明かされる情報は少ない。しかし、宮廷に出入りする者たちの間では、完全には隠しきれぬものとして扱われつつある。
この点は、とくに危険である。
後ろ盾の寿命を読む者は、往々にして、その者の死そのものを待たぬうちに動き始める。
七 外国使節筋について
シャイヴァルド使節筋は、表向きには先王陛下ご快癒への祝意を掲げる。同国筋は、リーディスの魔術研究および軍事的抑止力への関心が強いとの庶務筋の私語あり。
バラセル司教領視察団は、王立魔術大学への表敬および侍医司との医術的交流を名目とする。ただし、実体不明の精霊魔術が信仰上どのように扱われるべきかを見極めたいとの意向があるのではないか、という見方もある。
いずれも断定は避ける。
ただし、黒髪の巫女、精霊魔術、先王快癒、聖剣、王都不穏が同時期に重なった以上、彼らが単なる祝意のみを携えて来ると考えるのは、やや素朴に過ぎる。
使節団が見ようとしているのは、奇跡か。
兵器か。
あるいは、この国の弱みか。
現時点で結論は出せない。
八 街区および貼り紙の件
王都各街区には、憲兵詰所および街区番の連名による紙が引き続き掲出されている。
不審火、夜間外出、流言への注意喚起を主とする短文である。紙面に灰月の名はない。これは意図的なものと考える。見慣れぬ名を出せば、紙の内容より先に詮索が始まるためである。
市民の不安は消えていない。
ただし、暴力へ移るまでの一拍は、確かに遅くなっている。これは魚市場のバルグ・キーンをはじめとする現場の者たち、および灰月筋の手当てによるものと推察する。
火そのものより、噂が先に人を燃やす。
今回の王都は、その危うさをかろうじて踏み留めている。
九 安全保障上の所見
第一に、黒髪の巫女を巡る争点は、保護から管掌へ移りつつある。
第二に、精霊魔術講義は、すでに単なる学術発表ではなくなった。誰が聴講するか、誰が前列に座るか、誰が記録するか、誰が接近を許されるか。そのすべてが政治的意味を帯びる。
第三に、公爵家筋の動きは、王宮と貴族院が一枚岩ではないことを示す兆候である。王宮が沈黙を保つ間に、貴族院側の一部が先に札を置こうとしている。
第四に、外国使節筋は、現時点では沈黙している。しかし沈黙は無関心を意味しない。むしろ、よく観察している者ほど、先に声を発しない。
第五に、護衛騎士ヴィル・ブルフォードの存在は、現状、ミツル嬢への接近を制限する実務上の障壁として機能している。彼の配置と判断は、単なる随行ではなく、接近者を選別する線として働いている。
しかし、その障壁の強さは、それを支える権威の持続に左右される。
この点を読んで動く者がいる以上、今後の接触は増えると見てよい。
十 付記
当方は、魔術大学の回廊でミツル嬢を見た。
彼女は、紙束を胸に抱いていた。
その紙が何であるか、当方は知らない。講義の草稿か、研究の控えか、単なる補足資料か。いずれにせよ、彼女はそれを離さなかった。
奇妙なことだが、その姿は武装した者よりも危うく見えた。
剣を帯び、護衛を従えながら、彼女が守ろうとしているものは、紙の上にある言葉なのかもしれぬ。
だとすれば、今回の争いは、火と剣だけでは済まない。
誰が彼女に名を与えるか。
誰がその力に意味を与えるか。
誰がそれを記録するか。
その争いが、すでに始まっている。
十一 結語
夕刻、南門詰所より、シャイヴァルド使節の先触れ到着の報あり。バラセル司教領視察団も、近日中に王都入りする見込みと聞く。
表向きは祝意と学術交流。
されど、当方はこれを単なる儀礼訪問とは見なし難い。
ただし、根拠は薄い。
ゆえに、所見としてのみ記す。
王都には、まだ火の匂いは濃くない。
だが、紙は増えている。
足音もまた、増えている。
歴史が動く時、いつも最初に鳴るのは剣ではない。門前の車輪の音、回廊の靴音、そして、誰かが紙へ書きつける小さな音である。




