災厄に挑む巫女と支える騎士
わたしの両腕は、いつの間にか手元のファイルをきつく抱え込んでいた。
このファイルが指し示すものは、一基の兵器の枠をとうに超えている。自然災害級の被害へ直結しかねない代物だ。そう思うだけで横隔膜が固まり、胸の温度だけがじわりと上がっていく。
椅子に深く腰掛けたまま、視線をファイルへ据え続けている自分に気づき、はっとして背筋を伸ばした。
「お祖父さま……この大型魔導兵装は、ただ威力の高い大砲というだけの話では済みませんね」
低く落ちた声が、仄暗い室内へふわりと漂う。昼下がりだというのに、窓に掛かった厚手のカーテンが光を鈍らせ、空間はどこか閉ざされた空気に満ちていた。杖を手にしたお祖父さまが深々と息をつく。時計の秒針が壁で跳ね返り、二度届く。その反響が、胸の奥へずしりと沈んだ。
「そうだ。もとは私が研究していた理論の延長に、魔導兵団が総力を挙げて改良に取り組んできたものだ。火力だけを見れば、従来の兵器を軽く凌駕するだろう……」
窓辺の光が机上の金具を鈍く曇らせ、その白さだけが妙に冷たく見えた。
「四属性すべてを複合した砲撃ともなれば、高温域、水分、圧力、破片が飛翔中に相互作用する。水蒸気爆発、衝撃波、熱波、破片飛散を一度に叩きつける、危険極まりない代物だ。複合反応炉にも出力の急上昇を監視する仕組みは入っているようだが……万が一、暴走が始まれば、周囲の環境ごと吹き飛ばす可能性すらある」
お祖父さまの言葉に、無意識に息を詰めていた。
この兵器は技術的に見れば極めて先進的だが、そのぶんだけ膨大な出力を制御しきれない危険も高い。十六名の魔導兵が呼吸を合わせてこそ成り立つ砲撃であれば、一人でもタイミングを誤れば大事故に直結しかねない。
成功すれば圧倒的な国防力になるだろう。けれど同時に、自国すら飲み込む刃でもある。
ファイルに記された円環回路や複雑な魔法陣の図を見ていると、その危うさが指先から全身へじわじわと伝わってくる。
砲身内部へ結集した、四属性系統の国宝級魔石の力。熱・水・大気・地質。それらが飛翔の只中で噛み合う瞬間を想像するだけで、胸の奥が焼けるように痛んだ。
高温域が水分へ触れれば蒸気爆発が起こり、圧の峰がそれを遠くまで押し広げる。砕けた鉱片は焼けた破片となって撒き散り、一撃の中で複数の災害がいっせいに牙を剥く。それがこの兵装の怖さだった。
「……王家は、本気でこれを公に向けて、いえ……他国に向けて披露するつもりなのですね」
自分の声がかすかに震えているのを感じた。お祖父さまは杖を片手に静かに頷く。その落ち着きの裏に、王家の行く先を案じる苦々しさがにじんでいた。
「そのようだな。ロイドフェリクと宰相としては、対外的な抑止力を誇示し、国民にもリーディス王国の威光を印象づけたいのだろう。四大属性に対応する、国宝級の価値を持つ魔石を一堂に揃えているのも、そのためだろう。当然のことながら量産には向かんが、一基だけでも絶大なカードになると踏んでいるようだ……」
お祖父さまは忌々しいものを見つめるようにファイルへ目を落とし、片手で杖を強く握りしめた。
わたしはわずかに視線を送る。壁際に立つヴィルの手元で、革鞘がかすかに擦れ、金具が小さく触れ合う音が静けさを斜めに切った。
「こんな馬鹿げた見世物をしたところで、手の内を明かすどころか、周辺諸国をいたずらに刺激するだけではないでしょうか?」
ヴィルの声は、低く抑えた調子を帯びている。幾多の戦場を潜り抜けてきた騎士の勘が、軍事的均衡の危うさを嗅ぎ取っているのだろう。わたしも同じことを感じていた。
「自分も同感です。国家間の緊張は高まるばかりでしょう」
窓硝子の向こうで枝先が触れ合い、そのかすかな音だけが、張りつめた空気をいっそう薄くした。
「もしここでわたしが逃げてしまったなら、彼らは都合よく精霊魔術を謎のままにして、抑止力の象徴に仕立てるでしょう。虎の子の兵器を公開しても、それだけは明かせない最終兵器として――『神秘的で、圧倒的な力だ』などと謳って。……そんな筋書きが、あまりにも見え透いています」
言葉にするたび、胸の奥へ熱が溜まっていく。唇の裏を噛みしめた悔しさが、遅れてじわりと広がった。
前世から継承した〈深淵の黒鶴〉の流儀は、同一の〈場裏〉へ複数属性を混ぜ込む力ではない。赤・青・白・黄の〈場裏〉を別個に立て、工程連携で複合現象を扱う、極端な精度の運用だ。一般の魔術で、ここまでの並行構成を即座に走らせるのは現実的ではない。黒鶴の異常は、まさにそこにある。
――隕石轟ですら、下手をすれば小都市ひとつを燃やし尽くしかねない。
だからこそ、わたしはこの力を怖れ、破壊ではない運用を模索したいのだ。
「火力をぶつけ返すだけなら、同じ破壊の力にしかなりません。わたしはそんなものは望みません。目指すのは、破壊を目的としない精霊魔術の運用です。だからこそ、現象そのものを要素ごとに分解して抑え込む手立てを探りたいのです」
段取りは三つ。測る、分ける、逃がす。位相と混合比を測り、要素ごとに分け、残圧と熱は次の段へ逃がす。まずは、それだけだ。
「お嬢様、それを具体的にはどうやって……?」
わたしはゆっくりと鞘の装飾に指を触れながら、頭にある構想を素直に明かした。
「複合砲撃は、飛翔のあいだに熱、水分、圧力、破片が相互作用して、熱波、蒸気爆発、衝撃波、破片飛散を同時に引き起こします。だからわたしは、赤・青・白・黄の〈場裏〉を別個に立て、要素ごとに受けを作る。……まずは、そこからです」
鞘の金具に触れた指先が、ひやりと冷えている。その冷たさを確かめるように、言葉を続けた。
「火なら〈場裏・赤〉で熱を奪い、高温域を削ぐ。水は〈場裏・青〉で媒体の量と流れを押さえ、蒸気化の起点をずらす。風は〈場裏・白〉で圧の峰を崩し、衝撃を散らす。土は〈場裏・黄〉で破片を砕き、殺傷力を鈍らせる。……理屈の上ではそう考えています」
舌先の渇きを飲み下しながら、指紋に残る紙粉を親指で確かめた。
「理屈、ですか。……私には術理の詳細はわかりかねますが、お嬢様の精霊魔術は幾度となくこの目で見てまいりました。可能性は疑いません。ただ、それでも尋常ならざる挑戦かと。相手が四大魔石を束ねた大災害級の砲撃ともなれば……」
ヴィルの訝る声も無理はなかった。けれど、これほど大規模な攻撃に対処するには、もうそれしかないのだ。
お祖父さまはしばし沈黙し、部屋を揺らすほど深い息をついてから、まなざしをわたしに向けた。
「複合砲撃術式の設計上、最終段階では水蒸気爆発、衝撃波、熱波、焼夷破片が一斉に解き放たれる。分解は理論上可能だとしても、その工程は一瞬のうちに実行せねばならん。……ほんの少しの遅れやミスがあれば、君の身体のほうが先に砕け散ってしまうかもしれんぞ」
言葉が落ちると、部屋の空気が一度だけ固くなるのを感じた。
「危険性については、重々承知しています。ですから、最終的に複数の〈場裏・白〉を幾層にも展開し、圧の逃がし道を作るつもりです。余波や熱波を一度に受け止めるのではなく、峰を崩しながら段階的に散らしていく。それなら被害を最小限に抑えられるかもしれません」
口にするたび、心は震えた。それでも逃げられない。逃げてしまえば、破壊の力だけが一人歩きしてしまう。そのことは、もうわかっている。
「そうか……覚悟は、もう決めているようだね、ミツル」
お祖父さまの声に、わたしは細く息を吐き出した。胸の奥で鼓動がひとつ鋭く跳ねる。けれど、そのまなざしからは、引き止める気配は微塵もなかった。
「実現すれば、私が長年夢見た魔術の平和利用に、一歩近づくかもしれん。ただし、上手くいけばの話だ。もっとも、君があの兵器を相殺し得る術者として知れ渡れば、周辺諸国は黙ってはおるまい。かえって君を狙う勢力が増えるかもしれんが……それでもやるつもりかね」
「もちろんです。一方的に伝説の巫女の再来だなどと呼ばれ、そのうえ兵器扱いだなんて、まっぴらごめんですから。わたしがどこまでもわたし自身であるためには、こうするしかないのです」
言い切ると、ヴィルが一歩進み出た。
「お嬢様が選ばれた道が危険なことは、承知しております。それでも私は護衛騎士として、最後までお守りいたします。いざという時のことは――おわかりですね?」
彼の手がそっと柄に触れる仕草が視界の端に映った。飾りのない所作が、言葉よりも確かにわたしへ届く。
「わかっているわ、ヴィル。でも、わたしは最後まで足掻いてみせるわ。ここにはお祖父さまがいて、あなたがいて、支えてくれる人たちがいる。だからこそ、守りたいの。……この場所は、わたしにとって大切な居場所だもの」
ヴィルは視線をわずかに落とし、それ以上の表情を見せなかった。
「お嬢様のご意思のままに」
お祖父さまがその横顔を見つめつつ、杖を床に静かにつく。
「ブルフォード。本来なら君の立場では猛反対してもおかしくない話だが……それでもミツルの隣を離れぬのは、忠義はもとより、確かな思いがあるからだろう」
「わが誓いは、今は亡き盟友ユベル・グロンダイルの遺児たるミツル・グロンダイルの進む道を切り開き、支え、守ること。たとえ世界中のすべてが敵に回ったとしても、お嬢様を決して一人にはいたしません。それが自分の偽らざる思いであります」
「ヴィル……」
その声が室内の空気に沈んでいく。杖の先が床を軽く打つ音が一瞬響いた。
彼はまっすぐに言い切った。どんなことがあっても一人にしないと。その言葉が、胸の奥の、まだ薄く痛む場所に静かに触れた。
お祖父さまは一度瞼を伏せて頷いた。
「ミツルは気分を害するかもしれないが、一言だけ言わせてくれ」
「は、はい」
「君たちは、あるいは伝説に謳われし精霊の巫女と騎士――メービスとヴォルフの再来なのかもしれないな」
「お、お祖父さま、それはあんまりです。わたしはそのような……」
一瞬、胸が詰まった。拒みたいのに、言葉が揺れる。手元のファイルを握る指先に力がこもった。
「ただね、マウザーグレイルに認められた精霊魔術の使い手と、その隣に立つ守護騎士。この組み合わせには、きっと何らかの意味があるはずだ」
窓外の光が一段傾き、お祖父さまの銀髪にやわらかな筋を落とした。
「この先、世界にどんな大波が訪れるかは予想もつかんが、二人が力を合わせるのであれば、道も開けよう。王家の思惑などに呑まれることもない。伝説とは、案外そうして紡がれるものなのかもしれん。私はそう信じている」
どこか他人事のような、けれど背中を押すような響き。杖の先が床を小さく打ち、静けさが一度だけたわんだ。
わたしは目を伏せ、そっと息を吸い込んだ。胸の奥がかすかに軋む。
「はい。わたしは、わたし自身の戦い方で、自分の自由を守ってみせます」
立ち上がると、昼下がりの光がアーチ状の窓を通して柔らかく差し込み、書棚の影を床の奥まで長く伸ばしていた。張りつめていた室内の空気がほどけていくのとは逆に、胸の奥では意志の輪郭だけが静かに固まっていく。
「では、お祖父さま。いただいた資料をもとに対抗術式の構築を進めます。実際の出力を想定しながら、わたしの精霊魔術でどこまで相殺できるか、繰り返し検証していくつもりです」
「うむ。私の名義で演習室を貸し切れるようにしておこう。軍部や王宮が進捗を見たいと言い出すかもしれんが、学術研究と主張すれば口は挟めん。ただし油断は禁物だ。学内にも君の動きを注視している者がいる可能性は高い」
「はい、慎重に事に当たります。お祖父さまも、どうかお体を大事になさってください。無理だけはなさらないで」
わたしは深く頭を下げた。
お祖父さまは少し痛ましげな表情を浮かべつつ、それでもやさしく頷いてくれる。体調が万全でないなか、わたしたちのためにここまでしてくれている。その事実が、紙の重みとは別のかたさで、胸の奥を静かに圧していた。
「わかっているよ、ミツル。そしてブルフォード、頼むぞ。王家が焦り、力を振りかざす前に――あるいは自ら破滅へ突き進む前に、その危うい歩みを止めてやってほしい」
先王としての威厳と、研究者としての冷静さを併せ持った声が、耳に残る。わたしは深く頷いた。
「はい。わたしたちの大切な居場所が壊される前に、必ず」
部屋を後にし、廊下へ出ると、空気がひんやりと背中を撫でた。ファイルを小脇に抱えて歩き出すと、ヴィルが隣に控えるように歩を合わせる。
彼が小さく呟いた。
「怖くは……ありませんか?」
「……正直、怖いわ。でも、この力が破壊のためのものだと思われるのだけは嫌なの」
鞘に触れると、茉凜の静かな気配がかすかに伝わってくる。
前世の世界で、深淵の血族がこの力を暗殺のための術として磨いてきた歴史を知っている。だからこそ、わたしはその歪みを正したいと思う。
「失敗すれば終わりだってわかってる。それでも、そう簡単に折れるつもりはないわ。これはたぶん、わたしが引き受けるべきことなの」
鞘の飾り金具に触れた指先だけがひやりと冷え、胸の奥の熱はかえって輪郭を増していった。
「……まずは茉凜と相殺術式を詰めて、検証を繰り返すしかない」
「承知しました。王宮側の動きは、信頼のおける筋に探らせます。何かわかり次第、お嬢様にもお伝えします」
ヴィルは控えめに言いながらも、その言葉には確かな重みがある。わたしもかすかな安堵を覚えながら、並んで歩く速度を少し上げた。廊下の白い石床が淡い光を反射し、静かな中にも厳粛な空気が漂っている。
「ヴィル、ありがとう。本当なら、危険だからやめろって言ってもおかしくないのに、あなたはいつもわたしの意思を尊重してくれる。それが、すごく嬉しいの……」
そんな言葉が、するりと出てしまった。
「当然のことです。私はあなただけの騎士。どんなわがままだろうと、すべて受け止め、どこまでも付き合うつもりです」
――あなただけの、って。どこまでも、って。
言葉に深い意味はないとわかっている。護衛の専任宣言であり、守護の約束。それだけのことだ。わかっているのに、なぜだか胸の奥がどきりと跳ねた。
一瞬遅れて、彼が少し照れ隠しのように横を向く姿が目に入る。思わず、口もとがゆるんだ。
窓枠の金具へ掌が触れた。冷たさが、ゆっくり体温を削いでいく。熱は胸の内側だけで燃やせばいい。
昼下がりの光が差し込む窓際を過ぎると、金色の帯が長く床に伸びていた。そこを踏みしめながら、胸の奥には奇妙なほど静かな覚悟だけが満ちていく。
――破壊ではない力を示す。それがわたしの選択だ。
剣の柄にそっと手を添えた。茉凜の呼吸がかすかに返ってくる。
まだ何も解決していない。相殺術式の実証も、王宮との駆け引きも、これからのことだ。けれど、この一歩を踏み出さなければ、何も始まらない。
廊下の先に差す光が、ほんの少しだけ明るく見えた。




