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星を探し、風になる

 どこからか差し込む薄く透ける光が、夜の底に沈む魚の鱗のように頼りなくゆれている。息をひそめれば、隣の呼吸まで闇へ溶けてしまいそうだった。約束のない贅沢な時間に身を委ねながら、わたしたちは未来と過去を一欠片ずつ言葉に紡いでいく。


「お前の目指す理想はわかった。……で、この先はどう生きるつもりだ? 形式上とはいえ、今やお前はリーディス王家の一員だ。ユベルの罪については公にはまだ消えちゃいないが、望めばこのまま王女として留まる道だってある」


 微かな光を受けて、ヴィルがわずかに小首を傾げた。無造作でいてどこか品のある仕草。それだけで、わたしの呼吸は不規則に浅くなる。


 低い声の端々に、わたしという存在への静かな関心と、淡い期待が灯っているのがわかった。


 王宮から少し離れた離宮での暮らしは、確かに特別だった。お祖父さまが整えてくれたこの静穏は、棘のある世俗の束縛からわたしを遠ざけてくれる。けれどここがわたしの終着点ではない――その確信だけは、ずっと奥に澱のように溜まっていた。


「ううん。わたし、王族として生きるつもりはないわ」


 ひと呼吸置いてから告げると、ヴィルは眉をわずかに動かしたが、あとは沈黙で見守ってくれた。


「お祖父さまはわたしを大切に思って、立場や後ろ盾を与えてくれた。自由な暮らしだって用意してくれた。魔術大学での特別な計らいにしてもそう」


 膝の上で重ねた指先に、返しきれないぬくもりと薄い寂しさが同時に滲んだ。


「でもね。それって、わたしを王都に留まらせるための一時的な措置にすぎないと思うの。……ようするに、進むべき道を見つけるまでの猶予期間みたいなものよ」


「先王陛下は、そこまで見越してたってことか」


「ええ。お祖父さまはわたしを縛ろうとしてるわけじゃないし、ぬるま湯に浸からせたいわけでもないわ。それに、今の王様や貴族たちの目もあるじゃない? ……いつまでも甘えて迷惑をかけ続けるわけにはいかないでしょう?」


 重ねた指先に視線を落とす。言葉にするほど、温かさと寂しさがゆっくりと滲み出していく。与えられた広大な余白は、いつか自分自身の筆で閉じるべき余白なのだ。


「じゃあ、今のこのきらびやかな舞台を降りたあと、お前は何をする?」


 底に潜む隠しきれない好奇心が、わたしの次の一歩の輪郭を確かめてくる。


「……やっぱり当初の予定通り、母さまを探すために旅に出るつもりよ。どこかで必ず生きているって信じているから」


「うむ」


 石のベンチの冷たさが、指先を通して夜気と混ざる。短い相槌ひとつで、背負っていた重さが少しだけ軽くなるのがわかった。


「優しさに甘えて、この居心地のいい場所に留まり続けるのは、なんだか今のわたしには違う気がするの。ここは本当の居場所じゃなくて、わたしが本当に求める場所へたどり着くまでの、ただの通過点なんだと思う」


「問題は、何らかのあてがあるのかって話だ」


「……そんなものなんて、ないわよ。正直」


 苦笑が漏れた。母の名を口にするたび、胸の奥に淡い痛みが染みる。触れれば消えてしまいそうな遠い影だからこそ、わたしの指先はより強く光へと伸びていく。


「でもね、それでも行くの。もし母さまを見つけられたら、ずっと足りなかったわたしの欠片が、やっとあるべき場所に収まる気がするから。父さまを失った悲しみは消えないかもしれない。けれど、空いていた場所に何かが嵌まる瞬間は、どこかにあるはず」


「……欠片、か」


「そう。……そのときはもう誰にも何にも縛られずに、自由に生きてみたい」


 不思議と、口に出してみるだけで、奥の頑なな硬さがふっとほどけた。隣に座る彼の横顔は、驚きではなく、噛みしめるような深い沈黙で応えてくれている。


「わたしね、地位とか名誉なんていらないの。余計なしがらみから解放されて、ごく普通の、何の変哲もない素朴な暮らしをしてみたい。剣の舞を必要としてくれる人の前で披露したり、思い立ったらふらりとどこかへ出かけたり……。そう、カテリーナみたいに、しなやかで自由な風みたいにね」


 彼女の名を出すと、ヴィルが小さく鼻を鳴らした。


「おいおい、あいつの生き方は、お前が考えるほど甘くはないぞ」


「知ってるわよ」


「……ならいいが」


 ため息まじりの響きに、旧知への呆れと、かすかな敬意が混じっている。


「街中を駆けずり回って取材して、記事を書いて、挿絵まで自分で描く。印刷の交渉だって一人でこなさなきゃならんし、いつ眠ってるのかもわからん忙しさだ。お前だって見てるだろう」


「うん。わたしに彼女の真似が簡単にできるなんて思ってない。でも、ああいう生き方そのものに憧れるの。自分の道を自分で選んで、誰かに依存したり縛られたりしないで、風のように生きる……それって、すごく素敵だと思うのよ」


「苦労の方が多いぞ、間違いなくな」


「でもね、苦労がある分、本物のやりがいが宿るんじゃないかなって。……あなただって、そうでしょう? 家を出て、放浪して、自分の剣を見つけたんだから」


 泉の光が遠くでひとつ瞬き、ヴィルの瞳の奥にその残照が映った。


「……ま、否定はしない」


 低く短い声で認めて、彼はわずかに目を細めた。


「つまり、ミツル。お前は何者かに帰属することなく……一人の人間として、自分の足で立ちたい。そういうことだな」


「そう。わたしは自分の生まれや血統を否定したいわけじゃない。でも、それで人生のすべてが決まってしまうのは、どうしても嫌なの。わたしが欲しいのはね、そのときどきに吹く新しい風を肌で感じて、自分らしい歩幅で生きていく自由なのよ」


 彼は一瞬だけ目を伏せた。薄い光の線が、彫りの深い横顔の陰影を静かになぞっている。すべては見通せなくても、まっすぐにわたしの思いを受け止めてくれている――その確かさに、腹の底がすとんと据わった。


「自由ってのは過酷だぞ。孤独とも隣り合わせだ」


「わかってる」


「わかってて、なお行くか」


「うん」


 短いやりとりのあいだに、夜風がさらりと頬を抜けた。


「……だが、その孤独の中にこそ、やりがいって奴があるのかもしれんな」


 声の温度がわずかに変わった。かつては父の足跡をただたどるだけだった彼が、いまわたしの選ぼうとする未知の道へ、淡い肯定を添えてくれている。その事実だけで、冷えていた指先へゆっくりと血の気が戻っていった。


「ありがとう、ヴィル。こうして話を聞いてくれて、受け止めてくれるだけでも……わたし、少しだけ強くなれる気がするの」


 彼は遠くへ視線を流したまま、照れ隠しのように肩をわずかに揺らした。


「俺としては、退屈しなけりゃそれでいい。お前が踊り子剣士になろうが、風みたいな自由を選ぼうが構わんさ。どうせなら、見たことのない面白い景色を見せてくれ」


「けっこう欲張りなのね」


「お前に言われたくない」


 小さな笑いが夜気に混ざり、すぐに静けさへ溶けた。


 母を探し、その先はしなやかに生きる――決してたやすいことではない。それでもいい。剣で舞い、精霊の風を纏い、日々を渡る。その先の景色が見えなくても、今は隣に彼がいる。それで十分に足りるのだ。


 そっとヴィルの横顔に視線を送り、気づかれないよう、静かに微笑みを浮かべる。


 胸の底に、消えることのない小さな光がともっていた。いつかわたしが遠くへ飛び立つ日が来ても、彼はこのまま傍らで静かに笑っていてくれる。そんな確信にも似た予感が、凍える夜の空気をやさしく温めていた。


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