表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
221/230

お祖父様とわたしと二本の聖剣

 それからもしばらく、会話は途切れることなく続いた。


 暖炉が小さく爆ぜるたび、樹脂の甘い匂いがふっと揺れて、部屋の輪郭だけが柔らかくなる。先王の言葉は穏やかで、けれど要所で沈黙が落ちる。その沈黙が、わたしの指先から熱を奪っていった。


 机上の紙の端が、暖炉の揺れに合わせてかすかに鳴った。


 退位するその時まで、先王は国のために働くことをやめなかった。西部戦線で荒れた土地を立て直し、宰相や家臣たちと共に、裂け目のように残った傷跡を少しずつ埋めていったのだという。


 西部からもたらされる魔獣由来の魔石は、復興の命脈になった。光り輝く結晶が国庫を潤し、崩れた街を支え直した。けれど、その恩恵が人類の脅威から生まれるという皮肉は、火の明るさのそばにも黒く残っていた。


 国土がようやく形を取り戻し、次の世代へ舵を渡す時が来たとき、先王は責務を静かに手放した。宰相や家臣たちもまた、責任を取る形で一線を退いた。


 五年前の退位は、多くの国民にとって驚きであり、同時に納得でもあった。けれど、次の世代が新たな舵を取り始めたことで、カテリーナの語っていたような拙速で窮屈な空気もまた生まれている。


 退位後の先王が選んだ道は、魔術大学での研究と後進の育成だった。黒板を擦る音、窓辺の光、静かな教室。その穏やかな景色の中でも、吐息の奥に変わらない強さを感じる者は多かったらしい。


◇◇◇


 わたしは、どうしても伝えたいことがあった。腹の底でふくらむ言葉は熱いのに、口へ運ぶ瞬間だけ頼りなく震える。口の中が乾き、苦い緊張が残った。先王の前では、なおさらだ。


 深く息を吸い、唇の内側を湿らせるようにして、ようやく声にする。


「失礼ながら、陛下。一つだけ、言わせていただけませんか……?」


 視線がほどける。頬に灯る笑みは、冬陽のように淡くあたたかい。


「遠慮なく言ってくれたまえ、ミツル」


 背中をそっと押された気がして、言葉が続いた。


「わたくしは口達者ではなく……物事をうまく伝えるのが苦手です。ですが、これだけはどうしてもお伝えしたいのです。陛下は……とてもお優しい方でございます――」


 礼を欠く怖れが、内側で小さく刺さる。それでも退けられない。


「そして、とても誠実な方。あなたという理解者がいてくれたおかげで、母は運命に立ち向かう勇気を得ることができたのです」


 わたしはそこでひとつ息をついた。自分自身に繋がる、大切なこと。


「そして、陛下の『若緑色の贈り物』は、母に自由という名の翼を授けたのです。だからこそ、この美しい世界を知り、守りたいと思ったのです。そして、それは……きっとわたくしの胸の内にも受け継がれているのだと、そう信じています」


 告げる間、耳の奥で自分の鼓動がざわめき、遠い雷鳴のように響いた。薄氷を踏むような告白を、先王は動かず受け止めてくれる。暖炉が小さく爆ぜ、樹脂の匂いが甘く揺れた。


「ミツル……君は本当によくできた子だ。いや、この言い方は失礼か。しかし――」


 声がやわらかく沈み、暖炉の熱が届かない石床の冷えが靴底に残った。


「こうして君を見ていると、メイレアと過ごした日々がよみがえるようだ」


 肘掛に置かれた指が、木肌をなぞってふいに止まる。灯りは揺れているのに、部屋の空気だけが一拍ぶん静かになる。


「母からは、似ているというより鏡合わせのようだと……よく言われました」


 先王は小さく頷いた。けれど、その動きはどこか慎重で、言葉を選ぶ間が目に見えるようだった。


「そうであろう。あの子の幼い頃と見紛うばかりだ。その顔も髪も、瞳の色も……そのままなのだから……」


 冬の光がまつ毛の先で薄く揺れ、懐かしさが眼差しに滲む。


「だが、君は君だ。あの子のようになる必要はない。いいかね、決して一人で背負いこんではならんぞ?」


 返事を探すあいだ、息が浅くなり、靴底に残った石床の冷えだけがやけに際立つ。言葉の重さに、頷く首が少し遅れる。


「……はい。そのお言葉、胸に刻みます」


 答えた声はかすかに震え、声の奥に乾いた膜が張りついたように思えた。先王は気づき、白髪を揺らしてひとひらの笑みを浮かべる。


 その笑みは、先王のそれというより、かつて名を隠していた「グレイさん」のものに近かった。


 緑髪の少女だったわたしへ、子ども扱いする前置きもなく、問いを問いとして返してくれた人。名も肩書きも外して言葉を交わした、あの間の長さが、ふいに戻ってくる。


 だからだろうか。


 いま「孫」という言葉を差し出されても、不思議なくらい、逃げ出したい気持ちにはならなかった。


「それからだな、せめて二人だけの時は……陛下という呼び方はやめてもらえないだろうか?」


 思わず瞬きをした。燭台の炎が小さく揺れ、蜜蝋の香りが濃くなる。


「えっ……それは失礼にあたるのではないでしょうか……?」


 戸惑いが言葉に絡む。彼は少年めいた目で、いたずらの種を見せた。


「何を言っているのかね。君は私の孫なのだから、せめて『おじいさん』と呼んでくれると嬉しいのだがね?」


 内側でくすぐったさが弾ける。声にするのは照れくさく、唇だけが緩んだ。頬にじんわりと熱が差す。


 けれど、その提案の底にあるのは、血縁の強要ではなかった。肩書きを外しても言葉が通じるという、確かな手触りが先にあった。だからこそ、差し出された呼び名を、わたしは逃げずに受け取れた。


「……それでは、お祖父様と、お呼びしてもよろしいでしょうか?」


 彼は大きく頷き、吐息を漏らしながら懐かしさを滲ませる。


「うむ、それでいい。いや、それか『グレイ』と呼び捨てにしてくれても構わないぞ」


 思わず目を丸くし、笑いが喉の奥で弾けた。呼び捨てという音の向こうに、あの旅の夜の距離がちらりと戻る。暖炉が小さく爆ぜ、蜜蝋の匂いが一瞬だけ濃くなった。


「お祖父様。いくらなんでも、それはいけないと思います。親しい仲にも礼儀ありと申します」


「はは、これは一本取られたな」


 真面目すぎる返答に自分でも可笑しさを覚え、張りつめていた空気がほどける。母の茶目っ気が、ここから受け継がれたのだと腑に落ちた。


◇◇◇


 会話が一息つく。燭台の炎がわずかに揺れ、蜜蝋の香りが濃くなる。わたしは胸の奥で反芻し続けた問いを、ついに外へ押し出した。


「ところで、お祖父様にお尋ねいたします」


 声を整え、まっすぐに続ける。


「わたくしが所持する側の聖剣、『白きマウザーグレイル』は、今どこにあるのでしょうか?」


 瞳が細くなる。椅子に深く沈み、指先で肘掛を叩いたまま考え込む。その仕草が時間を重くした。


「――ああ、そうだ。肝心なそれを忘れておったな」


 軽やかな調子の奥に、深い配慮の温度が宿る。肩の緊張が指先から抜けた。


「あの剣は君にとってかけがえのない、家族の絆の象徴でもあるのだろう?」


 革椅子の匂いと紙の粉っぽさが鼻を掠める。わたしは静かに頷いた。


「はい……それだけに留まりません」


 舌先が乾き、喉が締まる。耳の奥で血流がざわめき、遠い鼓動のように反響する。


「あれはわたくしにとって半身と言っても過言ではなく、その中には、魂で結ばれた大切な人の心が宿っているのです」


 その言葉を受けて、彼は深く息を吐いた。白髪が肩にかかり、吐息が空気を震わせる。


「そうか、やはりな……」


 低い声が重く落ち、机上の紙の端がわずかに震えた。


「なぜ君があの剣を所持していたのか理解できた」


「はい……」


「メイレアは旅の果てに、探し求めていた『心』を持つ聖剣に辿り着いていたのだ。そして、それを来たるべき厄災に備え、秘かに守り続けていた。……そう捉えてもよいのではないかな?」


 絡まる感情を解こうとして、わたしは静かに答えた。


「……はい。わたくしもそう思いますし、そう信じています」


 祖父は頷き、手元の紙を指で弾いた。軽い音が、言葉の鋭さを和らげる。


「うむ。そして、父であるユベル・グロンダイルが亡くなる寸前、それを君に託した」


 名が呼ばれるたびに喉が詰まり、呼吸が浅くなる。わたしは短く頷いた。


「はい」


 彼は椅子に深く沈み、腕を組みながら思案を続ける。


「ゆえにあの剣の正当なる所有者は君以外にありえないということだ。ただね、私としては、メイレアが巻き込まれたという転移現象について、どうしても気になった。そこで、どうしてもこの目で少し検分したかったのだ。取り上げるような真似をして、すまなかった」


 低い声に、微かな後悔が混じる。


「いえ、魔術大学の総長でいらっしゃるお祖父様であれば、興味を持たれるのは当然のことです。ただ……ここで目覚めた時、どこにも見当たらず、正直どうしようかと思いました」


 言葉の端に不安が滲む。指先に汗がにじみ、無意識に両手を組み締めた。


「あれが欠けていては、わたくしは自分の力を安定的に行使することができません」


 その言葉に、彼の眉が上がる。机に置かれた指先が一度止まり、重い沈黙を孕んだ。


「ほう……興味深いな。推察するに――君は精霊魔術を行使する際、我々には認識できぬ精霊的な何かを受け止める、『杯』のような存在として定義されるのではないかな? 私にはそう思えてならない」


 『精霊器接続式魔術』――以前お祖父様は、前世から引き継いだ異能、深淵の黒鶴をそう呼んだ。その名を思い出しただけで、紙の粉っぽさが喉の奥に残る気がした。


「そして……あの剣は、杯たる君にとって不可欠な安定装置として機能する。そう捉えてもよいだろうか?」


 迷いのない目が射抜く。胸ではなく、耳の奥に鋭い響きが残った。息を整え、声を置く。


「……さすがはお祖父様です。ご推察の通りだと考えます。ただ、詳細は……わたくし自身にも、まだ掴みきれておりません」


 無防備さがひやりとした。けれど事実以外は差し出せない。


「ふむ、まだまだわからぬことだらけということか」


 吐息と共に白髪が揺れ、肩に掛かった光を細かく跳ね返す。その所作が自然で、張りついていた重圧がわずかに軽くなった。


 けれど心の奥には、別の疑念がぽつりと浮かんでいた。それを押し殺すのは、もう難しい気がする。


「では、もう一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 決めた瞬間、みぞおちのあたりがわずかに締まる。それを飲み込み、意を決して口を開いた。


「お祖父様は、同じ形状をした聖剣が二本存在することを、どう考えておられますか?」


 問いを受けたお祖父様は眉間に薄い皺を刻み、しばし考え込むように沈黙した。燭台の揺れる炎がその表情を淡く照らし、影を落とす。その静寂が、彼が慎重に言葉を選んでいることを物語っていた。


 やがて、深く息をついて語り始める。


「……私なりに考察してみたが、両者の形状、重量は同じ。試験的な打音からして構造材質は同一だと考えられる。ただ一点だけ異なるのは――」


 紙の端が指に擦れ、かすかな音が耳に残った。


「なんでしょうか?」


 わたしの声が思わず急く。自然と身を乗り出してしまったのを自覚し、慌てて姿勢を正した。そんなわたしを見て、お祖父様は唇の端にわずかな笑みを浮かべながら続けた。


「君が持っていた剣には刃に相当する部分が存在しない。つまり『何物も斬ることができない剣』だ。一方、王家に所蔵されていた剣には鋭利な刃が存在する」


 その言葉が内側に波紋を広げた。お祖父様がどこまで、わたしとマウザーグレイルの関係を掴んでいるのか。


「ということは?」


 火の匂いがふっと薄まり、部屋の空気が乾く。


「君が持つ剣は、精霊魔術の安定に寄与するもの。心を持ち、君とつながることで機能を発揮する。つまり、これは通常の魔石を動力源とする魔導兵装とは根本からして異なるものといえよう」


 お祖父様の声は、探究心を隠しきれない熱を帯びていた。


「方や王家の聖剣は、メイレアが言うには心が無く、鋭利な刃を持ち、いわば斬ることに特化している。強固な作りからして、決して折れず、おそらく斬れぬものなどこの世に存在しないはずだ。両者は性質こそ異なるが、どちらもこの世における最強の武器であることには変わりない。仮に両者に何らかの関連があるとすれば……まあ、ここから先は君でなければわかるまいな」


 含みのある言葉に、わたしは軽い緊張を覚えた。彼が求める答えを、わたし自身まだ掴み切れていない。


「そうですね。できれば王家の聖剣を拝見させていただけますか? ただ、現状わたくしが近づくことは困難だと思われますが……」


 燭台の炎がひときわ小さく揺れ、蜜蝋の香りが濃くなる。お祖父様はわたしの意図を察したように目を細め、穏やかに頷いた。


「その点については心配無用だ」


 驚きで声も出せないわたしを前に、お祖父様はどこか得意げに口元を緩める。


「すでにこの離宮に取り寄せさせてある」


 思わず椅子の軋みが鳴った。


「えっ!? そんなことができるんですか?」


 反射的に漏れた声に、お祖父様は肩をすくめて冗談めかす。


「ふん。たとえ現王だろうが、父親に逆らえるものか。それに、私の探究心の前では地位ごときは何の障壁にもならん。どうせあやつにとっては、飾り程度の価値でしかないのだからな」


 不意に張り詰めていた空気がほどけ、笑いが喉の奥で弾けそうになる。わたしは必死で堪え、頷いた。お祖父様は満足げに小さく頷く。


「というわけで、君の剣と比較検証させてもらったわけだ」


 柔らかく告げられたその言葉に、指先が膝の上で小さく落ち着かなくなる。


「なるほど……」


 口にした一言のあとも、指先はまだ落ち着かなかった。まだ見ぬ真実が、扉の向こうで息を潜めている気がした。


「別室に置いてある。ついてきてもらえるかな?」


 椅子の革が微かに鳴る。わたしはすぐに頷いた。


「もちろんです」


 言葉が出た瞬間、自然と立ち上がっていた。深く一礼し、お祖父様の背中を追う。


 廊下に出ると、二人分の足音だけが石に返った。ひとつ先を行く白髪の背は静かで、なのに迷いがない。


 わたしはその歩幅へ自分の呼吸を合わせ、指先に残る汗をそっと握り込んだ。


 別室の扉が、廊下の奥に見えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ