優しい嘘と、鍋の底の日常
その日の夕食は、叔父上と佐藤さんも同席し、温かな出汁の匂いに包まれていた。蓋を取るたび白い熱がふわりと立ちのぼり、頬に残っていた冷えをゆるく溶かしていく。深刻な話題は避け、誕生日パーティーの話で卓が明るむ。
「君たちのダンスは、とても素晴らしかったそうだね」
叔父上が湯飲みを置く音が小さく鳴り、声は穏やかに落ちた。器の触れ合う澄んだ響きが、わたしの肩の力をほどいていく。
「ええ、茉凜のドレス姿は本当に見事でしたし、ダンスはその魅力を存分に引き立てていました。まるで魔法を掛けられた本物のお姫様みたいで、だれもが目を奪われていました」
わたしが言うと、茉凜は頬を染め、箸先が宙で迷子になった。白い熱の向こうで、指先だけが落ち着きなく揺れている。
「あれは一度きりの事だし、弓鶴くんがどうしてもって、無理やり引っ張ったせいだし。わ、わたしは、す、すごく恥ずかしかったんだから……」
「無理やりって言うけど、あんた結構楽しんでたじゃないの?」
アキラが茶化し、茉凜はぷいと横を向く。鍋から流れた香りが頬の赤みを、いっそう柔らかく見せた。
「そ、それは……」
喉の奥で小さな笑いが弾け、天井灯の柔い光が卓上を撫でた。佐藤さんが黙って椀を寄せ、出汁の香りがふっと濃くなる。
「そうか。楽しめたようで、何よりだ」
叔父上の微笑が広がり、空気がいっそう軽くなる。笑いの隙間で、箸が器に触れるかすかな音が続いた。アキラの笑顔の奥に一瞬だけ落ちる影に気づきつつ、茉凜の無垢な明るさがそれを薄めていくのを見た。
そこへ、佐藤さんが珍しく突っ込みを入れる。声は丁寧なのに、目だけが少しだけ悪戯っぽい。
「茉凜さん。次の機会には、是非この私と一緒に踊っていただけませんか?」
「もう、佐藤さんまで。やめてくださいよぅ……」
笑い声が重なり、鍋の底で具がゆらりと沈む。出汁の匂いが、あたたかい布みたいに肩へかかった。
「あ、そういえば弓鶴くんの誕生日って、いつだっけ?」
茉凜の一言に箸が一拍止まり、みぞおちが冷える。さっきまで近かった食卓の温度が、急に遠い。
「……五月の、十六日だ……」
「ええっ!? じゃあ、もうとっくに過ぎてるじゃない! なんで教えてくれなかったの?」
「すまない。『どうでもいい』と思ってたんだ」
「どうでもいいことなんてないよ。わたしはあんなにお祝いしてもらったのに、弓鶴くんのがないなんて、絶対よくない」
茉凜の箸先が小さく震え、出汁の表面がわずかに揺れた。椀の熱が喉元まで上がってきて、飲み込めないものだけが残る。
「うむ、茉凜くんの言う通りだな。遅ればせながら、年内中にでも弓鶴を主役としてパーティーを開こうじゃないか」
「叔父様まで……」
「いいかい、弓鶴。どんな時であろうと、『楽しいことを思い描く』のは心に大きな力を与えるものなのだよ?」
「そ、そうですね……楽しみにしておきます」
叔父上の優しさは、時に残酷だ。
湯飲みの熱が掌に移り、胃の底に澱みが沈む。それでも卓の向こうでは、笑いの名残がまだ消えきらず、鍋の底で出汁が小さく泡を立てていた。
鍋の底で、最後の泡がひとつだけ弾けた。その小さな音を置き去りにして、夜は地下の冷えへ沈んでいく。
◇◇◇
夜。虎洞寺邸の地下、天の本部には換気の低い唸りだけが残り、コンクリートの冷えが肌を撫でた。参加者は、叔父上、藤堂さん、わたし、茉凜、アキラ、洸人。
「先遣隊の偵察によると、屋敷は二年近く前に起きた火災で焼け落ちた後、そのまま再建されることなく放置されています。ドローンによる空撮映像も確認しましたが、見るも無惨な有り様です」
藤堂さんがスクリーンの映像を切り替え、焼け跡の黒が網膜を刺した。指先が膝布を掴む。
「現在、屋敷跡には二十名以上の術者が常駐している模様です。ただし、車で直接乗り付けることができない山深い場所な為、数日滞在しては交代するというシフトを繰り返しています。水源は確保できますが、食料や物資が乏しいのは明らかですね」
わたしは言葉を継いだ。声を出しながら、喉の奥がひりつく。地図の上の細い線が、かつて走り回った道の記憶と重なる。
「あそこは、いわゆる限界集落のさらに奥地、まるで陸の孤島といえる場所です。車でたどり着けるところから、さらに二時間ほど徒歩で山道を進まなければならない。そして――」
徒歩。その一語だけで、膝の奥が冷たく鳴った。今のこの身体では、かつて遊び場だった山道さえ、遠い崖の向こうにある。
乾いた空気が鼻腔を通り、茉凜の指が膝の上で小さく絡んだ。
「屋敷へ通じる整備済みの山道は一本だけです。ここを破壊、または封鎖できれば、連中を補給線ごと断てます。孤立させ、動揺を誘えるはずです」
洸人が眼鏡を押し上げ、地図の一点を指した。
「それも考慮したが、奴らの中には曽良木がいるはずだ。彼の場裏・黄であれば、道を復旧することなど容易いだろう」
叔父上が短く切って捨てる。舌裏が乾き、息が浅くなる。
「だが、山道を崩落させるというアイデアは、陽動としては十分使える。問題は弓鶴たちがどうやって作戦地点まで侵入するかだ」
「そうですね。では侵入ルートについてご説明します」
藤堂さんが頷き、画面に赤い線が走った。わたしは目でその線を辿りながら、身体の奥で古い地形の感触を探していた。足で知っている道が、画面の中で他人の手書きになっている。
「この赤い線は、斥候が調べ上げた『獣道』です。複雑に入り組んでいて、土地勘の無い者には、まず見つけ出すことは困難でしょう。人ひとりがようやく通れるかどうかという険しいルートです」
獣道。湿った土を踏む感触と、枝で擦った手の甲の痛みが、遅れて戻ってくる。あの頃は何でもなかった細い道が、今は体の限界を測る物差しに変わっていた。
「なるほど、これらのルートを使えば、奴らに察知されることなく接近できる」
叔父上が地図から目を離さずに言った。視線の鋭さが、薄い蛍光灯の白に冷たく磨かれる。
「俺にとっては、この辺りは幼い頃より慣れ親しんだ庭のようなものです。獣道についても熟知していますから、迷うことなく屋敷まで案内できるでしょう」
わたしが続けた。言葉を並べるほど、足裏の記憶が疼く。
「弓鶴の土地勘が頼りになる。そう考えて、このルートを調べさせた」
叔父上の声が低く落ちる。その信頼が、今のわたしには刃みたいに当たる。
「ですが……俺の身体は、今こんな状態です。ろくに歩くことさえできません。険しい獣道を進むのは困難かと……」
自分の声の最後が掠れた。椅子の背が、わずかに軋む。
「心配はいらない。そのための解決策がここにある」
叔父上が銀の大型アタッシュケースに手をかけた。
蓋が開き、磨かれたフレームが白光を返す。見た瞬間、指先がひとつ冷えた。希望の形をしたものが、なぜ怖い。
「これは最新式のAI搭載の電動アシスト装備だ。軽量で、体への負担も最小限に抑えられている。静粛性についても問題はない。バッテリーも約六時間はもつ。作戦に十分対応できるはずだ」
「これがあれば……?」
茉凜の声が小さく弾んだ。けれど指先は、膝布の縁を離さない。
「ああ、問題なく進めるさ。君の脚力を補うどころか、どんな険しい山道でもものともしないだろう」
「……確かに、これならいけるかもしれないです……」
金属の冷たさが指へ移り、不安が喉の奥で渋く残る。進めることと、進まなければならないことは、同じではない。
「この装備を使って、弓鶴くんに道案内をしてもらう。現地までの移動も含め、すべてがうまくいけば、無事に屋敷跡までたどり着けるだろう」
藤堂さんが手順を整えるように言葉を重ねる。
「まず、山道で崩落を引き起こす。次いで周辺各所で陽動を実行。敵の注意を引き、戦力を分散させる。その隙を突いて獣道を通って屋敷に接近する。これでいこう」
蛍光灯の唸りが一段鮮明になる。
「敵の本陣である柚羽家跡地への突入に関しては、いくつかプランを策定している。我々天の総力を上げて、君たちを全力でサポートするつもりだ」
藤堂さんの声は落ち着いていて、淡々としているのに強い。言葉の端に、撤退の余地を残さない硬さがあった。
「では、次の議題に移ろう。ここから現地への移動も含めて、計画の具体的な実行手順についてだ」
叔父上が締め、ボールペンの先が短く鳴った。
◇◇◇
夜更けまで続いた作戦会議が終わり、落とした照明の下で息を整える。空のカップの縁が冷え、肩の筋肉に疲労が沈んでいく。
茉凜とアキラの声が、低くたゆたっていた。机の木目が、静かに暗さを吸い込む。
「真面目な話、あんた大根派? それとも卵派?」
アキラの問いは軽いのに、疲れた部屋の空気をふっと浮かせる。
「大根はずるい、あれは反則」
茉凜が即答して、椅子が小さく鳴った。
「なんでよ?」
「完成されすぎてるから」
おでんの話らしかった。コスパがどうとか、コンビニならどこそこが一番だとか。声の端がほどけていて、さっきまで張り詰めていた空気の残骸とは別の場所にある。
「完成されすぎてるって……それ褒めてんの? けなしてんの?」
「両方だよ。大根ってさ、煮込めば煮込むほど味が染みて、もうそれ自体が『おでん』って感じになるじゃん。反則級にずるい。存在感が強すぎて他の具が霞むんだよ。卵は……卵は違うんだよな。黄身がほろっと崩れて出汁と混ざる瞬間が、なんていうか……ご褒美なんだよ。見つけたときの『やった!』感が半端ない。でも大根みたいに『主役』にはなれない。ずっと準主役ポジション。それがまた愛おしいんだけどさ」
アキラがくすっと笑う。照明の下で、カップの底が卓を擦って小さく音を立てた。
「茉凜って卵派なんだ。意外。あたしは完全に大根一択。だって大根食べ終わった後の出汁が、もう……別格のスープになってるじゃん? 卵は確かに美味しいけど、あれ食べたあとって出汁がちょっと濁っちゃうしさ。大根は最後まで澄んだまま戦えるんだよ。純度が高いの」
茉凜が目を細める気配がした。笑いをこらえるような、短い息。
「純度が高いって……それ厨二っぽくない?」
「うるさいな! 大根は裏切らない。出汁の染み込み方といい味がブレない。卵はさ、繊細すぎるんだよ」
しばらく二人は黙って、冷えていく空気の中でお互いの顔を見た。遠くで、屋敷の古い柱が小さく軋む。
「……でもさ」
アキラがぽつりと言う。笑いの残り香が消えかけて、声が少しだけ真面目になる。
「どっちもいないおでんとか、考えられないよね」
茉凜が小さく頷いた。袖口の布がこすれ、音が薄い刃みたいに耳へ残る。
「うん。大根と卵、両方いてこそおでんだよ。……どっちが上とかじゃなくて、共犯関係みたいな?」
アキラが吹き出した。
「なにそれ。女子高生が言うセリフじゃねーよそれ」
茉凜もつられて笑って、肩をぶつけ合った。笑いが弾けた瞬間だけ、部屋の疲労がほどける。
「じゃあさ、次のおでんはどっちから食べる派?」
今度は茉凜が訊く。声が少しだけ弾んだ。
「わたしは絶対大根から。最後に卵で締める」
「あたしは逆。卵でテンション上げて、大根で落ち着く」
また沈黙。けれど沈黙は重くなく、鍋の匂いを思い出すみたいに、ゆるく漂っている。
「……やっぱ共犯だね、わたしたち」
落とした照明の下で、二人の声はまだ少しだけ続いていた。もうおでんの話に完全に染まっていた。
大根、という単語だけが耳の奥に残り、あとは照明の低いざわめきに溶けた。疲労が骨の内側に沈んでいくのを、わたしはただ聞いていた。
洸人はスマホに視線を落として、灯子と短い文を交わしていた。
「洸人、いいのか?」
自分の声が思ったより低く落ちて、喉がすこし擦れた。
「何がだい?」
「ここから先は本当の命懸けだ。何かあれば命を落とすかもしれない。灯子のことを考えると、お前を連れて行くことがはたして正しいのかどうか。正直なところ迷っている……」
蛍光灯の白が彼の眼鏡に反射し、揺らぎもなくこちらを映していた。
「今さらじゃないか? これこそ僕がずっと望んできたことなんだから。そのために生き恥を晒してきた。そう言っても過言じゃない。」
「お前の気持ちは、わかっているつもりだが……」
「それに、君のお姉さんが示してくれた道だ。彼女が果たせなかった願いを叶えること――それが僕なりの贖罪だと思っている」
穏やかな声の底に、張りつめた熱があった。
「……まあ、それで帳消しになるなんて、都合のいい話じゃないけれどね」
沈黙。古い換気の唸りが、遠くの波のように低く続いた。
「……灯子はね、こんな僕みたいな男を信じて『待つ』って言ってくれたんだよ」
「強いな……」
言葉にした瞬間、喉の奥がわずかに詰まった。信じる、と言える場所。待つ、と言い切れる相手。わたしには、欲しくても手が届かない。
「ああ……とんでもなく強い。だから、怖いものなど何もないさ。それに、これは僕たちの未来のための戦いでもあるんだから」
洸人が言い終えると、照明の落ちた室内に小さな余韻が残った。待つと言える人がいること。その事実が、わたしの内側のどこかを静かに押す。
「そうだそうだ」
アキラが即座に突っ込む。
「洸人には何が何でも来てもらわないと困るんだぞ。あたしの『赤』だけじゃ、山火事になりかねないんだから。もしそんなことになったら、警察や消防、それにマスコミのヘリまで飛んできて、えらい騒ぎになっちまう」
「アキラ、言うことがそれか? やれやれ、つまり僕は便利な消防員というわけだ」
洸人は苦笑を浮かべ、肩の力を抜いた。
「それもあるんだけど……あたしたちの合体技は、使い方次第では制圧に有効なんだ。水蒸気で霧を作れば視界を遮る目眩ましにもなる。暗殺に特化した技能しかない連中には、効果はてきめんだろうしね」
「確かに。君の赤の領域の温度を、低めに設定すればいい。水蒸気を起こすだけなら、百から百五十度ほどあれば十分だろう」
「実はね、領域を解放して異なる属性をぶつけるアイデアは、弓鶴くんの修練からヒントを得たんだよ。あたしと洸人で、だいぶ実験してきたから。まあ、任せときなって」
「ああ、期待しているよ、アキラ」
その一言に、アキラの視線が一瞬だけわたしに触れた。
古い換気の唸りが低く続き、乾いた空気が喉を細く撫でる。
「でも、やっぱり気になるのは、あの曽良木って人だよね……」
茉凜が珍しく低い声で呟いた。
「だね……偵察映像でも奴の所在は確認できなかった。山を出入りした痕跡もない。いったいどこに潜んでいるのやら。そこが不気味でしかたないよ」
アキラも声が沈む。
「おそらく奴は、『始まりの回廊』の入口を探しているに違いない……」
わたしが言うと、洸人の眉がわずかに寄った。
「それなんだけど、あたしは『言霊の儀式』抜きで術者になったから、行ったことがないんだよね」
アキラが肩をすくめる。
「儀式に臨む者は目と耳を塞がれて、深淵の巫女に導かれる。これが長年のしきたりだ。どこにあるかなんて、さっぱりわからない。ただ、これは僕の経験なんだけど――」
洸人が話を引き取り、視線をわずかに遠くした。記憶を探している目だった。
「――霧か細かい水滴みたいなものが頬に触れて、とても冷たかったのを覚えている。風も、妙に鋭くて……まるで滝が近くにあるかのような湿った空気が漂ってたんだ。視界も音も遮られてるはずなのに、全身でそれを感じ取れたんだ」
「洸人の推察通り、始まりの回廊がある洞穴の入口は、柚羽の屋敷を抜けた先の滝壺の奥にある」
「やはりそうか。それならあの独特な湿り気や風の冷たさも説明がつく」
洸人が頷いて地図へ視線を戻したとき、アキラが先に声を出した。
「けど、それって、やばいんじゃ……?」
語尾が霧に溶けた。
「ああ……曽良木はそこで待ち構えているはずだ。それでも……」
言葉の端が空気に引っかかり、喉の奥で小さく鳴る。
「だいじょうぶだよ。作戦はきっと成功する」
茉凜の声は囁きより少し強く、しかし水面みたいに揺れがない。
「あんた……よくそんなことが言い切れるわね。無責任にいい加減なこと言わないでよ」
アキラは肘を組み替え、靴裏で床を一度だけ鳴らす。
「そうでもないよ、アキラちゃん。わたしの力は火事場の予知めいた視界だけじゃなくて、なんとなくだけど未来の可能性が感じられるんだ」
「まじ?」
「うん。つまりだね……頑張ればうまくいくってこと。だから、前に進もうよ」
茉凜の一言が灯を震わせ、胸骨の奥に小さな熱が灯った。
◇◇◇
それぞれの部屋へ散る途中、茉凜に誘われて二階のテラスへ出る。夜風が頬を削り、欄干の金属が掌に鈍く冷えた。
「茉凜、さっきはありがとう」
「なにが?」
「前に進もうって、言ってくれたことさ」
「……ああ、あれ? ちょっと偉そうに言い過ぎちゃったかな」
笑いの気配は軽いのに、声の底だけが少し冷えていた。
「そんなことはない。お前のお陰で、重苦しい空気がどこかへ行ってしまった。勇気を貰えたよ」
「……実はさ、あれってさ、根拠なんてないよ。嘘なんだ……」
月雲の影が頬をかすめ、胸郭が小さく跳ねた。
「えっ?」
「ああでも言わなかったら、みんな気持ちが沈んじゃうでしょ? マウザーグレイルの力って、わたしが自分でどうにかできるものじゃないからね。神様じゃあるまいし、そんな都合よく未来なんてわかるわけないよ」
言葉の余熱が風に攫われ、テラスの暗がりがわずかに深まる。茉凜も演じていた。わたしは今まで気づかなかった。いや、気づきたくなかっただけかもしれない。
「ほんとうは怖いんだ……曽良木って人のこともあるけど、なんだか、それとは違うもっと『怖ろしいこと』が起こりそうな気がして……」
彼女の声が、夜風に擦れて細くなる。欄干へ置いた指先が白くなっていて、強がりの裏にある冷えが、そのまま見えてしまった。
「たとえ予知ではないにしても、それは俺たちには感じ取れない貴重な情報かもしれない。始まりの回廊への接近は慎重に行こう。なに、いざとなれば茉凜の力が俺たちを守ってくれる。そうだろ?」
頷く気配。髪に触れた風が、さっきより柔らかい。
「それもそうだね。きっと大丈夫だよ」
遠くの道路灯が点滅し、金属の手すりが淡く光った。
「だが、無茶だけはするなよ?」
言い終えた唇に夜気が触れ、喉がひとつ鳴る。
「うん、わかってる……」
雲に隠れた月の位置だけが薄くわかり、冷えが袖口から静かに滲みていった。




