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聖剣選定の儀式

 王都リーディスはその長い歴史の中でも稀な熱で脈打ち、ひとつの巨大な生き物のように呼吸していた。


 石畳には旅人と冒険者、絹の衣の貴族。布の波と鎧の反照が交わり、街は絵の具の層のように重なって見えた。磨かれた金属が冬陽を跳ね、砕けた明滅が目の奥にしみる。


 中央広場の喧噪はさらに濃い。屋台からは肉の焦げる匂いと甘辛い香辛料が立ちのぼり、空腹と昂揚を同時に煽る。子どもたちの笑い声が跳ね、紅の衣の曲芸師が宙を舞うたび、歓声は青空の高みまで駆け上がった。


 だが、この華やぎの底には目に見えぬ緊張が伏している。ただの祭りでは終わらない――その特別さが、場の空気をわずかに重くした。


 中心にあるのは、聖剣に認められし者を選ぶとされる儀式。古き伝説を継ぎ、救世の英雄メービスゆかりの聖剣――『マウザーグレイル』に相応しい者を見出す――今や王宮の中央庭園は、その荘厳にふさわしい場として整えられていた。


 四季の花々は瑞々しい彩りを風に揺らし、芳香を放つ。露をまとった花弁が陽光を拾ってきらめき、噴水の水音が低く庭を満たしている。


 台座に据えられた聖剣「マウザーグレイル」は、神秘と呼ばれるに足るたたずまいだった。剣身の白銀は静かな脈を刻むように見え、その気配が周囲の温度を一段下げて感じさせる。喉がひとつ鳴る。刃はただの武器ではなく、魂を試す存在であることを、否応なく示していた。


『新たな英雄は、この聖剣によって選定される――それは、この地における最も厳粛なる真実であり、揺るぎなき運命の証』


 台座に刻まれた言葉。今日この日のために、幾星霜の王と司祭たちが聖剣の守護者を待ち続けてきたのだと、人々は信じている。


 庭園の特別席には、過剰な飾りを拒んだ調度が並び、その中心に国王ロイドフェリクが座す。背筋は微塵も揺らがず、眼差しには確かな責任と自信。齢四十を迎えたばかりの顔立ちは、若さと円熟をひとつの表情に結んでいた。


 王の左右には選りすぐりの家臣が息を潜め、指先ひとつの合図も見逃すまいと、呼吸さえ薄く抑えられている。


 聖剣へ続く小道の両脇には精霊の加護を象る色とりどりの花々が並び、風が渡るたびに香が空気に溶けた。天の光が地に降り、真実と正義の道を照らすかのようで、見る者の胸に言葉のない敬虔を呼び覚ます。


 その道の果てから、大司祭が姿を現した。白と金の聖衣、手には精霊族の祈りを刻んだとされる杖。深い洞察を宿す瞳が、何もかも見透かす光を帯びている。


 荘厳な声で、大司祭は語り始めた。


「恐み恐みも白す。ここに聖剣マウザーグレイルの御前、選定の儀を執り行う」


 視線を巡らせ、群衆を見据える。


「剣は、力と技の誇りを量るにあらず。正しき道を選び取る意志ある魂にのみ、応える。慈悲なき力、名声を求むる心には、沈黙する」


 大司祭はゆるやかに手を掲げ、白光の台座を指し示した。


「――ゆえに挑む者よ、進み出でよ。かつてメービス王女と騎士ヴォルフがそうであったように」


 告げられた名は王国の記憶そのもの。畏怖と熱望が、群衆の奥で絡み合った。


 ひやりとした風が一陣、庭園を抜ける。花々がざわめき、甘い匂いがひろがった瞬間、視線は一斉に剣へ集まった。


 儀式の合図に導かれ、群衆から挑戦者が次々と歩み出る。


 鍛えられた騎士が鎧を鳴らし、荒野を渡ってきた冒険者が古傷の手を差し出し、品位を纏った貴族が慎重な手つきで刃先に指を近づけた。


 だが。


 白はただ呼吸のように瞬きを繰り返しただけだった。指先が刃に触れても、脈は生まれない。


 ため息が幾筋もほどけ、噴水の粒が遠くで弾ける。絹の衣擦れと鎧の継ぎ目の音が、規則正しく消えていった。


 時は緩やかに過ぎ、挑戦者の列が尽きかけたとき、台座の前には見えない圧が降り積もり、足をすくませるほどの重さが漂っている。


 それでも大司祭の立ち姿は崩れない。白と金の聖衣は微風にかすかに揺れ、剣の沈黙を責めることなく、ただ「時」を待つ信念のようだった。


「聖剣は、真なる光を宿す者にのみ応える。今は沈黙していようとも、選ばれし者は必ずこの場に現れるであろう」


 毅然たる声が庭に落ちる。言葉にふれた人々は胸の奥で小さな期待を取り戻し、再び台座へ目を向けた。


 そして――。


 群衆の後方に佇んでいた小柄な影が、静かに前へ歩み出た。


 薄い白の外套を纏うその姿は、これまでの堂々たる候補者たちとあまりに異なり、華やぎも武功の証も纏っていない。なのに、その歩みは空気をわずかに揺らす重みを帯びていた。一歩ごとに周囲の呼吸が止まり、得体の知れぬ予兆を刻んでいく。


「……誰だ、あれは?」


「子供じゃないか。挑戦者の列にいなかったはずだ」


 囁きと戸惑いが走る。だがその人物は答えず、ただ真っ直ぐに聖剣「マウザーグレイル」へ歩を進めた。飾り気も虚勢もなく、まるで引き寄せられているかのように。


 特別席の一角で家臣が身を乗り出し、国王に耳打ちする。


「恐れ多くも申し上げます。陛下。あの者、年端もいかぬ幼子と見受けられ、候補の名帳にも見えませぬ。いかが取り計らうべきにございましょうや」


 国王は目を細め、人物の動きを追った。風に揺れる外套の下の華奢な影は、この彩り豊かな庭に不釣り合いで、異質の気配を放つ。やがて断固たる声が落ちた。


「素性の知れぬ者を、みだりに聖剣に触れさせるわけにはいかぬ。直ちに排除せよ。儀式は、あくまで『定めのとおり』執り行われるべきだ」


 家臣が深く頷き、合図を送る。甲冑を纏った衛兵が剣を鳴らして進み出た。鎧の擦れる重い音が広がり、空気がいっそう硬くなる。


 少女は一歩だけ前へ出て、澄んだ息を整えた。噴水の水玉が跳ね、その余韻が消える。


「お聞きください!」


 少女の声が空気を揺らし、足音が止まる。


 少女は一拍だけ言葉を選び、儀礼の冷えをそのまま声に落とした。


「この剣が応えるかどうか、それを決めるのは剣が持つ心です!」


 硬い言い回しが石に反響し、衛兵の歩みがほんの一拍だけ鈍った。鎧の継ぎ目がわずかにきしむ。風が一筋、花の香りを撫でて通った。


「ただし、その中に本当に心があるのであれば、です。……無いのであれば、中身が空っぽであるならば、応えようがありません」


 その一言で、庭の温度がひとつ下がった。


 誰かが息を呑み、誰かが胸の前で指を組む。国王はわずかに顎を引き、視線だけで「動くな」と告げた。衛兵の列に、目に見えぬためらいが走る。


 台座の周りで光がごくわずかに揺れた。陽の反射か、錯覚か。剣身の白が薄い脈のように上下する。花弁が一枚遅れて落ち、石の目地で留まった。


 大司祭のまぶたがわずか震え、杖頭の紋が沈黙を包むように沈んでいく。


 少女は俯かない。翡翠色の瞳はまっすぐで、逃げ場のない覚悟を湛えていた。


 ざわめきが遠のき、噴水の水が「ぱちり」と弾ける音だけが、ありありと耳に落ちる。


 無理に張り上げない声は、耳に触れるだけで胸の奥へ沁み込んでいく。時が一拍、止まったようだった。


 国王は言葉なく少女を見据えている。


 吐く息が白くほどけ、見守る者の指の冷えが遅れて皮膚に戻った。彼女が静かにフードを外した瞬間――庭はざわめきに包まれた。


 長く緩やかに波打つ若緑色の髪が風に揺れ、冬の陽を受けて淡く輝いている。続いて現れた翡翠色の瞳は、泉底の光を宿して澄み、慈しみの色を帯びていた。睫毛が震えるたび頬に細い影が落ち、桜色の頬と柔らかな唇がわずかにほどける。微笑みは力まず、風が撫でるように静かだった。その気配に、胸の強ばりが少し緩む。


 彼女は何も誇示しない。ただ在ることが、花々の色をさらに深め、噴水のせせらぎを優しい旋律に変えていた。


 群衆の胸に満ちたのは歓声でも喧噪でもなく、深い感嘆。しばしの間ののち、さざ波のように囁きが広がる。


「……あの子は一体……?」


「待て……あの髪の色を見ろ。あれは……」


「まさか、伝説の……」


「……メービス王女、なのか?」


 低い囁きはやがて畏敬を帯び、連鎖して庭を覆った。


 特別席の国王もまた少女を凝視している。驚きではなく、鋭い洞察の光。家臣が何か囁こうとしても、王は応じず、胸中で思案を続けている。


 長い間ののち、王はわずかに口角を上げ、低く命じた。


「あれが最近噂に聞く道化者か。伝説を模倣するとは恐れ知らずなことよ。面白い……あの者を捕らえ、余のもとに連れて参れ」


 静かでありながら重い声が隅々まで行き渡り、空気を塗り替えた。激情を伴わぬ冷静さが、かえって逆らいようのない力を持つ。


 家臣たちは一瞬だけ戸惑いを見せた。求められているのが単なる捕縛ではないと悟ったからだ。


「御意……」


 すぐ礼を正し、深く頭を垂れて衛兵に合図を送る。


 金属が触れ合い、鈍い響きが庭を伝う。衛兵は足並みを揃えて進み、無機質な足音が石畳に等間隔で落ちていく。鋼の意志を刻むその歩調。だが群衆の目に映ったのは、小柄な少女を包囲していく冷たさだった。


「待て、衛兵! その子をどうするつもりだ!」


 最前列の男が叫んだ。声は喉を破るほどに荒く、拳が無意識に振り上げられている。火種はそこから一息で燃え広がった。


「やめろ!」


「ひどいよ! あんな小さい子供を!」


「寄って集って、罪もない子を捕らえるなんて!」


 怒声が重なり、庭園の高い壁に跳ね返って膨らんでいく。花々の揺れ方が変わり、噴水の水音がかき消されるほどだった。


 衛兵の足は止まらない。感情を消した動きで、一歩、また一歩。


「待って……あの子、『ミツルちゃん』じゃないの?」


 若い女性の声が、怒号の隙間を縫って庭に響いた。甲高い声ではない。けれど確信の籠もった響きが、周囲の空気を一瞬だけ変えた。


 すぐに別の声が続く。


「ほら、噂になってたろ? 市場によく来るあの子だよ!」


「あの変わり者って評判の女の子か?」


「変わり者なんて言うなって。わたし見たんだ――暴れる馬車から子供を庇って、膝も肘も擦りむいて、血が出てるってのに笑ってたんだ。わたしの娘と同じくらいの子が、だよ?」


 女の声が震えていた。怒りではなく、あの日飲み込みきれなかった感情が、今になって喉を押し上げてきたような震え方だった。


 ざわめきが波紋のように広がる。沈黙していた者たちが、ひとり、またひとりと口を開き始めた。


「魚市場で見たぞ。仲買の爺さんが倒れて帳場がめちゃくちゃになったとき、飛び込んできて山のような帳簿をまとめ上げたんだ。大の男が束になっても手がつけられなかったのに、あの子ひとりで――あっという間だった」


「知ってるよ。うちの店にも来てくれた。仕入れ伝票の数字がどうしても合わなくて困ってたら、横からさらさらっと直して、にこっと笑って出ていった。礼を言う間もなかった」


「例の風変わりな剣を持ってた子だろ。桃色の鞘の、あの。うちのお得意様だ。忘れやしない」


 証言がひとつ重なるたびに、庭の空気が厚みを増していく。花弁が風に散り、その一枚が衛兵の肩甲に張りついて、すぐに落ちた。


「酔っ払い同士の喧嘩に割って入ったのもあの子だ。おもちゃの剣を振りかざして、笑顔で間に立った。あの度胸、大の男でも真似できねえよ」


「それで憲兵が来たら、風みたいに路地へ消えたんだってな?」


 笑いが一瞬だけ走り、すぐに別の声がそれを塗り潰した。


「そうだ、憲兵だ。追いかけておいて、結局捕まえなかった。隊長が紙きれを見た途端、手を下ろしたって話じゃないか」


「じゃあ、あの子ってまさか……王家と何か関係あるってことか!?」


 声は問いの形をしていたが、その実、突きつけられた刃だった。群衆の間にどよめきが走り、衛兵の列に向けられる視線が明確な怒気を帯びていく。


 足を踏み出す者がいた。庇うように腕を広げる者がいた。石畳の継ぎ目を蹴る靴音が、ひとつ、ふたつと不揃いに鳴る。


「王家と関係あるなら、慎重に扱うべきじゃないのか!」


「だいたい、その子が何をしたって言うんだ!」


「子供相手に手荒な真似はよくないぞ!」


 声は庭園の石壁に反響し、重なり合い、ひとつの大きなうねりとなって地面を震わせた。花壇の縁石にとまっていた小鳥が羽音を立てて飛び去り、噴水の飛沫が風向きを変えて衛兵の甲冑を濡らした。


 それでも――衛兵は止まらない。


 怒号を裂くように進み、輪を狭めていく。表情のない面頬の下で歯を食いしばっているのか、鎧の継ぎ目が微かにきしむ音だけが、群衆の叫びの合間に聞こえた。一人が足を踏み出すたびに石畳が低く鳴り、その振動が花弁を震わせる。命令は絶対だ。民の声がどれほど大きくても、王命の前には風に等しい。


 包囲の輪がまた一歩縮まる。甲冑の影が少女の足元に伸び、冬の陽を遮った。


 けれどミツルと呼ばれた少女は動かない。翡翠色の瞳は怯えを見せず、ただ前を見据えている。その眼差しが衛兵を受け止めた瞬間、不思議な静謐が彼女の周囲に広がり、喧噪は遠のくように薄れていった。


 異様な光景に息が詰まる。群衆は叫ぶことも忘れ、衛兵は足の運びをわずかに乱した。


 その沈黙を破ったのは、一人の老人の震える声だった。


「清浄なる泉の水面の如き翡翠色の瞳……あれは……精霊の加護を受けし者の目だ……」


 呟きは新たな波紋となり、胸に恐れと畏敬を同時に芽吹かせる。少女を「無闇に扱うべきではない」という思いが、庭の隅々まで染み渡っていった。


 それでも衛兵は頓着しない。冷徹な足取りで輪を狭める。王命こそが唯一の律だと、鎧の重さが語っている。


 けれど中心の彼女は凛として立ち、小さな体は揺るがない。足裏で石畳を踏みしめる微かな音だけが、そこにある確かさを刻んでいた。


 庭園を埋め尽くす群衆の怒りと、鋼の規律で進む衛兵と、その中心でただ立つ少女。三つの力が拮抗し、空気が軋むほどに張り詰めている。


 国王の視線がいよいよ鋭い。この命が王都の運命を転じさせると、居合わせた者の多くが直感している。


 国王は命じたまま、衛兵の手を止めさせなかった。視線だけが、少女と台座の白を行き来する。


 そのまま背筋を崩さず、ただ片方の肘だけを深く肘掛けへ預けた。玉座の木が小さく鳴り、すぐ静まる。瞳が細くなる。そこへ光が差し込んだわけでもないのに、目の奥だけが冴えた。


「これはこれは、とんだ想定外。……いや、あるいは――」


 指先が扇の要を押さえたまま、開かない。開けば「楽しんでいる」と見えるからだ。


 王は代わりに、家臣の耳打ちを聞き終える前に、ゆっくり視線だけを戻した。少女へ。台座へ。もう一度少女へ。視線の往復が、判定そのものみたいだった。


「これも一興。では演目を繰り上げ――『彼』に出てもらうとしよう。試すのだ。この娘を」


 言葉が落ちた瞬間、目に見えない鎖がいくつも外れた――そんな感覚が足裏から這い上がってくる。王の命が引き金となり、王都の歴史が新たな段階へ滑り出していくのを、誰もが肌で感じ取った。

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