表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
119/128

純粋な刃

 ここに至って、わたしは自分の持つ力について話さずにはいられなかった。


 ――深淵の黒鶴。


 この世界の魔術の常識から大きく逸脱した、魔術とすら呼べない力。その本質が何なのか、自分でもまったく掴めていないのだから。心のどこか、決して日なたには出したくなかった場所に指を差し入れて、布をめくるような行為だとわかっていても、黙っていることの方が、今はずっと苦しかった。


「グレイさん、率直にお尋ねします。わたしの魔術――いいえ、この世界の理からかけ離れた力は、あなたにはどう映ったのでしょうか?」


 言葉を口に乗せる瞬間、息が細くなる。冷えた空気が、声の通り道を薄く撫でていく。自分の声が出ていく方向とは逆へ、呼気と一緒に心まで吸い出されてしまいそうな、心許ない感覚。


 それでも、わたしは続けた。


 視線はグレイさんの顔を捉えたまま、できるだけ冷静に見せようと努める。膝の上で指が落ち着きなく触れ合い、小さな汗が皮膚に滲んでいても、顔だけは揺らがないように。ここで目を逸らしたら、その瞬間に全てを取り繕おうとする自分が出てきてしまう気がした。


「あの日あの時、路地裏でご覧になった通り、わたしは風属性魔術に準ずる力を用いました。ですが、それに際して呪文の詠唱などは行っていません。そして、属性に応じた魔石も所持していない。それどころか――」


 自分でわかるほど、言葉が自然と早くなる。内側で熱がせり上がり、それがそのまま声帯を震わせ、言葉へと変わって流れ出ていく。制御できないほどの焦燥感が、心の奥の柔らかいところへ手を突っ込まれたみたいに、乱暴に掻き回してくる。


「わたしは、魔術の四大属性すべてに関わる現象を、魔石に頼らずとも具現化できます。それだけではなく、それらを同時並行で行使し、それぞれを衝突させて、より複雑な現象を生み出すことすらも……できてしまうのです」


 そこまで言って、ようやく自分が一気にまくしたてていたことに気づく。


 どれだけの情報を詰め込んだだろう。それが相手に正しく伝わるのかどうか、急に不安が押し寄せる。石の壁に跳ね返った自分の声が、薄くひび割れた陶器のように耳へ戻ってきて、あまりに突拍子もない話を告白したばかりなのだと、改めて思い知らされた。理解してもらえるかさえ、わからなかった。


「ほう……」


 短い感嘆。それでも、グレイさんの言葉には確かな驚きが含まれていた。彼の瞳が一瞬だけ大きく見開かれる。


 意外にも、その表情には否定や疑念の色はなかった。むしろ、未知の現象に出会った研究者が、興味深い標本を見つけたときのような、静かな熱がそこに灯る。


 それがわかった瞬間、みぞおちの奥にこわばっていた何かが少しだけほぐれる。張り詰めた背筋から力が抜け、椅子の背もたれが遠慮がちに肩を支えてくれる感触があった。


 ――でも、まだ話は終わっていない。


 安堵の気配にすがりついてしまえば、そこで全てを飲み込んでしまいそうになる。そうしたいという弱さを、自分でよく知っているからこそ、わたしはその誘惑から目をそらすように心の中で言い聞かせ、再び口を開いた。


「仮にその力が、魔術という枠組みに収まらないものであるとするならば……一体何と呼べばよいのでしょうか?」


 問いかけながら、腹の奥に冷たい隙間ができる。名前のないものは、輪郭が曖昧なまま際限なく広がっていく。何かに分類されてしまえば、それがたとえ「異端」や「危険」であっても、まだ扱いようがある――そんな滑稽な希望にすがっている自分がいる。


 言葉を選びながら、絞り出すように声を続ける。


「わたしが――この力によって魔獣と戦ってきたことは、紛れもない事実です。正直、これがなければ今まで生き延びることはできなかった。ですが――」


 ここから先を言うべきか、迷った。迷いは喉元に絡みつき、言葉を一度飲み込ませる。ほんの少し息を吸う間に、何度も引き返す理由を並べ立てる自分と、それでも話すべきだと背中を押す自分が、心の中で押し合いへし合いを始める。


 けれど、目の前の彼に隠し事をするのは、今のわたしにはできそうになかった。


 彼はこの世界の魔術の頂点に立つ人でありながら、どこか父に似た、静かな包容力をまとっている。その視線に、ここまでの話を一度も笑われなかったという事実が、ぎりぎりのところでわたしを支えていた。


 深く息を吸い込み、奥で渦巻く不安を押し出すように続ける。肺に冷気を満たし、その冷たさごと言葉へ変えてしまおうとするみたいに。


「……どうしようもなく、恐ろしいのです。使えば使うほど、自分が何者なのか、何をしようとしているのか、それすらわからなくなる気がして。強く力を引き出せば引き出すほど――敵を、魔獣を屠ることに心が踊って、愉悦すら感じている。そんな、自分ではない自分に気がつくのです……」


 最後の言葉が震えた。「愉悦」という音が、口の中で一度だけ転がり、喉を通る瞬間に棘へ変わって内側をかすめていく。自分自身の声ですら耳障りに感じられるほど、不安と後悔の色が混ざっていた。


 ――どうして、こんなことを言ってしまったんだろう。


 吐き出された言葉の重さが、遅れて腹の底に沈み込んでくる。


 思わず両手をぎゅっと握りしめる。拳に込めた力で震えを隠そうとするが、どうにも心の揺らぎまでは抑えきれない。


 机の石肌の上で、影がわずかに濃くなった。


 爪が掌の皮膚に食い込み、じんわりとした痛みがにじむ。それでも、その痛みさえ遠く感じられた。視線は石の天板に落ちているのに、どこにも焦点が合っていないのが自分でもわかった。


 沈黙の中、自分の言葉がまた心の中で反響し、内側をじわじわと蝕んでいく。


 ――愉悦――


 その一語だけが、暗闇の中で独り歩きする。


 黒鶴を解放して魔獣と向き合う時、襲い来る力の狂気と共に、この上ない高揚感に包まれる。その瞬間の自分を思い出す。骨の髄まで冷えるような恐怖と、神経の一本一本が光にさらされるような昂ぶりとが、同じ場所に同時に存在しているあの感覚。


 その事実を口にした自分が、ひどく恐ろしい。この世界で戦い生き延びるための力が、どこかでわたしの中の大切なものを壊しているのではないかという恐れ。


 ――もし、これが本当のわたしで、心の底で願っていることなのだとしたら。


 その思考の果てに、言い知れない不安が腹の底を支配する。もし、破壊の愉しさこそがわたしの本性だとしたら。もし、その快感を守るために戦っているだけなのだとしたら。


 そんな「もし」が幾つも、心の内側に黒い斑点を落としていく。


 静寂が降りた。低い天井のどこかで、魔道ランタンの光が微かに揺れる気配だけがある。グレイさんは、すぐには言葉を返さなかった。その代わりに、どこか遠い思案に沈む気配が漂ってくる。その気配は重たく、塔の冷たい空気さえも濃くするようだった。


 わたしの耳には、自分の心臓の音だけが、やけに大きく響いていた。ひとつ鳴るたび、さっきの言葉が内側に繰り返し刻み込まれるみたいで、逃げ場がなくなる。


 わたしはその間、息を殺して彼の答えを待った。けれど、腹の奥では別の自分が問いかけている――本当に、この答えを知りたいのか、と。


 やがて、グレイさんが静かに息を吐いた。その音に、はっと顔を上げる。彼の表情は、何かを深く受け止め、そして重みを持って言葉を選び出そうとする様子だった。感情をむやみに挟まず、しかし目だけは決して逸らさないその姿に、胸の奥がかすかに熱くなる。


「君の力は……とても純粋なものなのだね」


 その言葉に、わたしは驚きとともに眉を寄せた。心の中でぐしゃぐしゃになっていたものを、突然「純粋」と名づけられたような、ちぐはぐな違和感。


「純粋……どうしてです?」


 思わず問い返したわたしに、グレイさんはゆっくりと頷く。そして、彼の声が低く、深く響いた。


「純粋だからこそ強く、そして恐ろしい。その力が本来の君の意志を超えて膨れ上がり、いつか君を飲み込んでしまう可能性だってあるかもしれない」


 その言葉の重みが、みぞおちの奥に冷たい刃を刺すようだった。飲み込まれる――。


 その可能性を、わたし自身も薄々感じていた。戦うたびに浮かぶあの愉悦が、もしわたしの心を蝕む兆しだとしたら。術式を組み上げる感覚が、ただ「敵を壊す快感」だけを求めて動くようになってしまったら、周囲の人々や身近な親しい人たちさえも傷つくことになる。


「……そんなものが、純粋と言えるのですか?」


 声が掠れるのを隠そうと、無理に言葉を繋げた。純粋。あまりにも異質な言葉に聞こえる。それが、わたしのこの力に対して与えられる評価だというのなら――。


 グレイさんは微かに眉をひそめた後、深く頷いた。


「そうだ。君の力は、本質的には歪んでいない。その根源は、きっと君自身の中にある『純粋な願い』から生じているのではないかな?」


 わたしはその言葉に驚き、彼を見つめた。


 ――矛盾している。


 愉悦と願い――それがどう繋がるというのだろう。自分が感じる高揚感が、どうして願いから来るものだと言えるのか。魔獣を粉砕する瞬間に、わたしが本当に求めているのは何なのか。快感そのものなのか、それとも、その先にある「誰かを守れた」という事実なのか。問いが増えれば増えるほど、足元の床が少しずつ薄くなっていく気がした。


「わたしの……願い、ですか……?」


 問い返す声は、頼りない囁きのようになってしまった。自分の舌が、自分の言葉に慣れていない。


 グレイさんは静かに息を整え、まっすぐわたしを見据えた。その灰色の瞳には、底知れない深みが宿っているようだった。年輪を重ねた大木の幹を、そのまま瞳の奥に閉じ込めたような、静かな濃さ。


「君は、何のためにその力を使っているのだね?」


 シンプルな問いだった。けれど、その一言が心をざわつかせる。何のため――?


 魔獣を倒すため、生き延びるため。それがすべてだとずっと思ってきた。そう答えれば、きっと誰も責めはしないだろう。けれど、その裏には、もっと違う何かが隠れている気がしてならなかった。自分でもまだ気づけていない、心の奥底に潜むもの。それを彼の問いが、無理やり引きずり出そうとしている。


 その時、ずっと静かに話を聞いていた茉凛の声が、頭の中にふっと響いた。


《《わたしは、それをよく知ってるよ。言うのも恥ずかしいし、あなたは嫌がるだろうから、言わないけどね》》


 ――茉凛……。


 その柔らかな声に、胸の奥が小さく跳ねる。剣の鞘の内側から伝わってくる、あのほのかな温度。彼女の言葉はいつも軽やかで、ふざけているように聞こえる。それでも、その奥にある確かな優しさと、わたしを包み込むような温もりが伝わってきた。


 ――……あなた、知っているの?


 無意識に、頭の中で彼女に問い返していた。それは届くはずもないけれど、茉凛はくすっと笑うような声を漏らす。


《《だって、わたしはあなたといつも一緒にいるんだもん。わかるよ》》


 笑いの気配が、脳裏の端で小さく弾けた。


 その言葉に、わたしは少しだけ息を呑んだ。言われてみれば当たり前のことなのに、改めて口にされると、心のどこか、誰にも触れてほしくなかった棚の奥まで見られてしまったような、くすぐったさと居心地の悪さが混ざり合う。


《《でも、わたしが教えちゃうって違うでしょ? だから言わない。あなたがちゃんと思い出すまで、わたしは待つだけ》》


 茉凛の声は軽やかだったけれど、その調子の中にはどこか厳しさのようなものも混じっていた。甘いだけの慰めではなく、手を引きすぎない距離感。


「……わたしが、思い出すまで……」


 呟く声が、部屋の静けさの中に溶けていく。わたしの願い。それを彼女は知っていて、けれど、それを教える気はないらしい。


 自分自身で見つけ出せ――そう言われているようだった。誰かに与えられた答えではなく、自分で選んだ言葉でなければ、この力の行き先を縛ることはできないのだと。


「ミツル?」


 グレイさんの声がわたしを現実に引き戻す。はっと顔を上げると、彼はわたしをじっと見つめていた。その視線には疑念はなく、ただ待つような静けさがあった。


 魔道ランタンの芯が、ひとつだけ短く鳴った。銀盆に落ちた灯が、輪郭を保てないまま滲んで引いた。


「……いえ、なんでもありません」


 言葉は口を出た途端に冷えて、石壁へ触れる前に薄くほどけた気がした。


 小さく首を振りながら答える。茉凛との短いやり取りを、彼に伝えるつもりはなかった。彼がどんなに理解のある人であっても、茉凛の存在はわたしの中だけにある秘密なのだから。


 ――ここだけは、まだ。


 言いかけた言葉が、口の端でいちど止まる。隠したいわけじゃない。ただ、今は言葉にしたくない。


 椅子の脚が石の床をかすかに擦り、遠い音が遅れて戻ってくる。


「ただ……少し考え事をしていただけです」


 自分でも驚くくらい、声は落ち着いていた。震えは、さっきよりも少しだけ遠くなっている。


 湯気が途切れずに立っているのを見て、ようやく息を吸い直せた気がした。


 その言葉に、グレイさんは穏やかに頷く。そして、ゆっくりと椅子に背を預けながら言った。背もたれがわずかにきしむ音がして、それがこの場の緊張をほんの少しだけ緩める。


 彼の視線が一度だけ、わたしの手元ではなく、机上のカップの縁に落ちた。零れない一滴を確かめるみたいに。


「焦らなくていい。答えとは、君自身の中でゆっくりと形を成していくものだろうからね」


 言い切ったあと、彼はすぐに続けなかった。湯気の細い線が天井へ届かず折れ、銀壺の蓋がわずかに鳴る。


 その沈黙の間に、彼の中に別の何かがあるような気がした。


 ――守りたい。


 その語が、石の静けさの奥でひとつ揺れた気がした。


 わたしの一瞬の動揺をよそに、彼は目を逸らさないまま別の言葉を選んだ。


「思うに、君は拙速に結論を急ぐような人物ではない。常に疑問を抱き、踏みとどまり、何度だって立ち返って考え直す。それは決して愚かではない。そうやって、自分を冷静に見つめ続けているのであれば、君は決して力に飲まれることはないはずだ。私はそう信じているよ」


 最後の「信じている」が、布を被せる慰めではなく、わたしの手に手綱を戻す言い方だった。


 その言葉は、まるで茉凛と示し合わせたかのようだった。わたしの中の不安も弱さも、否定せずに認めたうえで、それでも「大丈夫だ」と言ってくれる声。


 グレイさんの言葉が途切れたあと、銀盆の縁で灯が淡く返り、すぐに沈んだ。湯気が途中でほどけ、白い線だけが残る。


 ――わたしの胸の奥には、いつも同じ場所に刃がある。


 抜けば済むのに、抜く資格がないと思い込んで、柄を握ったまま指の腹を痛め続けている。


《《生きるってさ。いろいろ痛いんだよね。だからって無理に確かめなくていいんだよ》》


 茉凛の声は、慰めというより、静かな制止だった。


 言いかけた言葉が喉元で止まる。欲しい。そう言えば楽になるのに、楽になることが怖い。


《《それと、あなたがなにか欲しいと言ったところで、世界が壊れるわけじゃないんだから》》


 銀盆の縁がかすかに鳴り、音が遅れて戻ってきた。


 わたしは息を吸う。冷気が肺の奥まで届く前に、鞘越しの温度がひとつだけほどけた。


 その温度の名前を、まだ知らない。けれど茉凛は、たぶんずっと前から知っている。


 わたしは小さく頷き返す。銀盆の反射が一瞬だけ揺れ、灯の輪郭が細くほどけた。


 その瞬間、腹の底で少しだけ灯るものがあった。ほんの小さな火種。それでも確かに、自分の意志で守りたいと願えるもの。


 ――茉凛が知っている、わたしのほんとうの願い。グレイさんが信じると言ってくれた、わたしの心。


 その答えを探す旅は、今始まったばかりなのかもしれない。まだ形の見えない問いを抱えたまま、それでも一歩踏み出すことだけは、もう決めてしまったのだと思う。


《《ちゃんと見つけられるよ。なんたって、わたしがそばにいるんだから》》


 彼女の声が、そっと心を撫でるように響いた。呼吸の奥で、ひやりとした不安と、かすかな温もりが隣り合って揺れる。その揺らぎごと抱きしめるように、わたしはそっと目を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ