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旅の途中

 父を知る者が、いつかその名に足を止めるように。わたしはずっと、黒髪のグロンダイルを名乗ってきた。


 待っているだけだったわたしが、いまは母の故郷へ向かっている。そのことが、まだどこかで夢みたいだった。地図の上でしか知らなかった場所へ、馬の背に揺られながら進んでいる。足の裏は地面に触れていないのに、胸の奥だけが、少しずつ遠い土地へ近づいていくようだった。


 乾いた草の匂いと冷たい風が、入れ替わり立ち替わり頬のそばを過ぎていく。空は高く、遠くまで澄んでいて、土の匂いの奥には、知らない土地の水気が細く混じっていた。南へ向かっているのだと、景色より先に、呼吸が知っている。


 前にいるひとの背中は、思っていたよりずっと広かった。馬の歩みに合わせてわずかに揺れるその輪郭を見ていると、胸の下で固まっていたものが、ひとつ息をするたびほどけていく。言葉がなくても、急がなくていいとわかる。ちゃんと前へ進んでいるのだと、思えた。


 腰の白い剣が、鞍の揺れに合わせてかすかな音を立てる。


 白きマウザーグレイル。父が遺してくれた、たったひとつの手がかり。その内には、わたしにだけ声を届けてくれる少女がいる。


 加茂野茉凛かものまりん――彼女の気配が途切れずそばにあるから、同じ場所に立ち止まっていた夜も、母のことを思うたび身体の内側へ沈んでいった冷たさも、まだ言葉にできる気がしていた。


 問いは問いのままだ。不安も、きちんとある。母さまは本当にそこにいるのか。故郷と呼ばれる場所に、わたしの知らない何が残されているのか。知りたいと思うたび、知りたくなかったものに触れてしまう気がして、指先が鞍の縁をそっと掴む。


 それでも、今日は待っているだけではない。


 そのことが、少し不思議で、少しだけ嬉しかった。


 見たことのない土地は、やっぱりこわい。何も見つからなかったらどうしよう、とも思う。けれどほんとうにこわいのは、知りたくなかったことに手が届いてしまうことかもしれなかった。そんな考えは風に紛れて、何度も浮かんでは消えていく。それでも、そのたびに前を見やると、肩の力がほんのわずか、抜けていった。


 こわいのに、進みたい。


 知らないのに、知りたい。


 その両方を抱えたまま、わたしは馬の揺れに身を任せている。


 母の故郷は、もう地図の上の遠い名ではなかった。


 その事実だけで、世界はほんの少し、ひらいて見えた。


 けれど、その旅へ出る少し前までのわたしは、辺境都市エレダンの外れにある酒場で、父の名に縋るみたいにグロンダイルを掲げ、夜ごと戸口を見つめていた。


 あの夜、そこへ足を止めたひとがいた。


 父の名を知る、金色の髪の男だった。

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