水野忠重~秀康の大叔父であり、水野家のヤバイ奴がやって来た!~
水野家と言えば以前にも紹介したことがあった。(第68部分を参照)
改めて長くならないように出来る限り簡略化して説明しよう!
水野家は尾張国春日井郡水野郷(瀬戸市水野)の出身と言われており、尾張国の『ご当地大名家』だったのである。松平家つまり徳川家の発祥の地である豊田市の隣接市が瀬戸市なので実は『松平家とはご近所さん』でもあったことになる。
本家が小河氏という名称だったが小河とは水野家の本城だった緒川城の所在地だったので、やはり水野家は室町時代などに尾張国に移住してきたのでは無く、古くからの一族の土地に居住していた『ご当地大名家』だったのである。
松平家(徳川家)が豊田市→安城市→岡崎市という形で勢力圏を築いたのに対して水野氏は瀬戸市→緒川城→刈谷市と支配領域を築いた。これまた『ご近所拡大』だった。長い年月の間松平家(徳川家)と水野家は近所付き合いしていたのである。
これだけ長く近所付き合いしていれば当然だが血の繋がりも濃かった。
言うまでも無いが!
直近での水野家と松平家の婚姻で生まれた人物と言えば!!
水野忠政の娘『於大の方』と松平広忠公との間に生まれた徳川家康である。
徳川家康から見て水野氏は母方の実家ということになる。
松平家と水野家の中は良かったのか?
いや最悪だった!!
水野忠政が生きている間は松平家と水野家は表面上仲が良かったが……水野忠政が死ぬと息子の水野信元が一方的に婚姻同盟を破棄して広忠公は於大の方は離婚してしまうのである。徳川家康は天文11年に生まれたが親が離婚したのは天文13年だったので家康が生まれて直ぐに両親は離婚していたのである。
家康は一人っ子でもあるので『両親が自分を生んでから直ぐに離婚して一人っ子』というのは何だか現代では良くある事例?のような気もするので多くの人は家康と似た境遇の人結構いそうである。
離婚後には壮絶な両家による殺し合いが行われた。
水野信元は織田信秀と同盟を結んで松平家(徳川家)に攻め込んで徳川氏存亡の危機として知られる『織田家による大規模な三河侵攻』を引き起こした。
この大規模侵攻により家康の父親が死に大勢の家臣が死んだ。そして今川家の傘下に松平家が入らなければならなくなった。(史実)
ということで!かなり壮絶な殺し合いが両家の間には直近あっただけでは無く、『桶狭間の戦い』の時も水野家は今川家と激しく戦っており、桶狭間は『水野家VS松平家』でもあったのである。
佐久間信盛「忠重殿、このままでは大変ですぞ!」
織田家の重臣である佐久間信盛は水野家の重臣であり当主信元の弟の水野忠重と会談して最初から単刀直入な言葉を投げかけた。
水野忠重「分かっております。」
信盛「信元殿を説得できませんか?」
忠重「領国を一ミリも譲らない!のなら可能です。」
信盛「それは無理だと思うのですが……」
忠重「織田家と松平家が同盟を結んだら水野家は勢力拡大出来なくなります。その分の対価も頂きたい!!」
信盛「それは……」
マズい流れになってきたと信盛は冷や汗が出てきた。動かざること山の如しでは無いけども水野家は冗談抜きでやりかねないので言葉は慎重に選ぶべきなので面倒くさい
忠重「ひとつ提案があるのですが……」
話が変わった。忠重殿には何か良いアイデアがあるらしい……藁にもすがる気持ちで信盛は聞くのであった。
酒井忠次「大変です、水野忠重殿が軍勢を引き連れて秀康様に面会を求めてきています。」
突然、忠次殿が居間に入ってくるなり第一声がそれだった。
松平秀康「とりあえず話を聞きたいのでここに呼んでくれ」
忠次「かしこまりました。」
大叔父殿は何をしに来たのか?不思議である。というか怖い
石川数正「面倒なことになりそうですね」
隣にいた数正が正直な感想を言ってきた。
ここで水野忠重に関しての基本知識
水野忠重は水野忠政の息子で水野信元の弟である。息子は有名な水野勝成だ。
忠重は武勇に優れており、徳川随一の武将として20将の一人である。具体的な武勇が豊富で実際に戦場で戦い一騎打ちをしたと言われている。織田徳川の主要な合戦に参加しており数々の多大な功績を挙げているので名将として誉れ高い
と良いことばかり書いたが……性格には問題があったと言われている。武士特有の頑固さと融通の利かなさ……血の気が強く、しばしば問題行動があったとされている。息子の勝成の方がヤバさが上なので控えめになってしまっているが(笑)
忠重も中々の問題児だった。
忠次に呼ばれた忠重は素直に従って秀康の元までやってきた。
忠重「今日から松平家に参加したい!よろしくお願いする。」
松平家一同「……」(困惑)
秀康「家臣になるということか?」
忠重「そうだ」
秀康「それはありがたいが……急にどうしたのか?」
水野家でも重臣であり、我が大叔父であり、当代随一の名称が部下を引き連れて家臣になるというのは大変嬉しいが理由が不明である。
忠重「そういうことになった。」
説明になっていないのだが……
そういうことになったとは何だ?信元殿と話した結果ということか?
いやいや……まてよ、冷静に考えるんだ秀康!
確か……忠重殿は桶狭間の後に松平家に参加したはずだ。
そのように記憶している。
伝わるところによると信元殿と喧嘩したというのが表向きの理由
しかし、実際は松平家監視のために信元殿が送り込んだと言われている。(憶測)
(マジで喧嘩していた説も存在しているのは忠重殿の性格からお察しください)
活躍は有名なので有用な家臣であり、取り扱いさえ間違えなければ問題は無い
そう、そうなのだ問題は無い
秀康「大変嬉しい、相応の席を用意するのでよろしくお願いする。」
忠重が仲間になった。
当然であるが?忠重殿は松平家のご親戚であり、母方の兄弟なので一門扱いである。一門扱いなので当然だが一門衆を率いてる忠次殿の傘下ということでも良いのだが……忠次殿のストレスが上昇しそうで怖い、なんだか忠次殿からの視線が怖いのは気のせいに違いない(現実逃避)ちなみに私の隣にいる数正殿はニコニコして笑っているのも怖い(恐らく忠次殿が困るのを見てご機嫌なご様子)
相応の席ということで重臣待遇で意見が一致した。領地に関しては渡さない代わりに相応の給料と率いてきた軍勢の給料や装備や弾薬費などは我が家持ちということで決着した。
これからどうなっていくのかな?(心配)




