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織田信長の外交戦略 前半期


織田信長と徳川家康は密接な関係性を持っている!


何を今さら!!という人もいるかも知れないけど改めて説明していこう


そもそも織田家は越前国織田荘(福井県丹生郡越前町)が発祥の地だと考えられている。つまり実は織田家は福井県出身の一族と言える。広く言えば北陸武士団の家系である。先祖は神社の神主だったとまで言われている。


この事実は織田信長の時に信長の行動に多大な影響を与えている。


ちなみに神主の一族だったと考えている一方で公式の織田家の見解というか設定上は織田家は平氏一門を自称していた。と言う点も忘れてはいけない


これらは織田信長が生まれる前から織田家が保有していた共通意識だった。


織田信長が生まれた織田家は織田弾正忠家と言われていた。


残念なことに?


織田本家は二つに分かれていて弾正忠家は二つに分かれた織田本家の清州織田家(大和守家)の分家筋だった。


つまり分家の分家


今日織田家と言えば!もちろん織田信長を指すくらい有名であり、他に何があるのか?というくらいのレベルであるけども……戦国時代信長が生まれた時は『分家の分家』だったのである。


そういうこともあるから織田信長の家柄は必ずしも良いとは言えなかった。


信長のやること成すこと全てにイチャモン付けたり野蛮であるかのような風評を当時していた人達の中には『織田信長をバカにしている人達が多分に含まれていた。』ということは言っておきたい。


とは言え!


織田信長が生まれた時、幾つかの優位性が出来上がっていた。


一つ目は領国の拡大である。弾正忠家は津島や熱田支配下に置いており、特に熱田は弾正忠家の軍事力と経済力を大いに支えた。熱田には熱田神宮があり、門前町としてとても栄えていたからである。また当時は埋め立てなどが行われる前だったので熱田の直ぐ傍まで海があったこともあって熱田は港湾都市として繁栄していたのである。


この経済力を利用して信長の父である織田信秀の時代に大いに勢力拡大をしたのである。


二つ目の優位性は高い経済力を背景に神社仏閣への寄進(寄付)が多かったことである。日本史に大きな影響を与えたという意味では戦国期の荒廃した時代の中で伊勢神宮が経済的に困窮し過ぎて『建て替え』を出来ないほどになるという異常事態が発生した時に織田信秀が多額の寄進(寄付)をしたことである。このことは当時大変話題になったほど全国に織田信秀の名声を知らしめた。


逆を言うと戦国期に莫大な富を持っていても神社仏閣に資金を提供するほど余裕のある人は大変少なく伊勢神宮のような日本最高の神社が寄付金が集まらないという時代だったということである。


そういう時代に多額のお金を寄進(寄付)したことは大変凄いことだったのである。


この神社仏閣への多額の寄進(寄付)は織田信長のイメージを語る上で大変重要になっていった。父親のお陰で織田信長は天皇家からの印象が凄く良かった。幕府からも一目置かれており、新興の家でありながら京都での活動に制約が一切かからなかったこと、その後に日本有数の家を次々と乗っ取っていくことをしても悪名が高まらなかったことに繋がるのである。


この二つは織田信長の生涯に多大な影響を与えた。現代ですら織田家の家紋が天皇家の様々な場所で使われている要因の一つになっており、織田家の家格を大変上げたということである。


『織田家は尊皇の家』


そういうイメージが天皇家には強かった。


これら巨大な財産を信長は父親である信秀から受け継ぐことが出来たことは大変良かったが


同時に巨大なデメリットも存在していた。


弾正忠家が急速に織田信秀の時代に勢力拡大し過ぎたことは周辺勢力からの妬みを買った。


尾張国内では力が弱まったとはいえ主家の斯波家、大和守家と伊勢守家という二大織田本家がいた。それに加えて外には松平家・斎藤家・今川家という三大宿敵が織田弾正忠家の周囲を囲んでいた。


松平家・斎藤家・今川家という三大宿敵


この三大宿敵との対立は信長の時代に始まった訳では無いので完全な負の遺産だった。


とくに松平家との対立は深刻だった。


まず第一に松平家の支配領域は弾正忠家の中核地帯である尾張国南部の真下である。松平家の中でも最大の敵である安祥松平家(徳川家)の根拠地だった安祥城は安城市にあったこと、そもそも松平家発祥の地である豊田市は尾張の国境線にあったことなどが重なっていたので織田松平両家にとって境界線の線引きは揉めに揉めたわけである。


第二に家康の祖父に当たる松平清康公は織田信秀に暗殺されたと広く信じられていたことに加えて父親の広忠公時代には織田家が干渉してクーデターを起そうと暗躍して実際に何度か起こされた上に直接的に織田信秀によって侵略されたことである。この侵略では松平家(徳川家)は滅亡寸前まで行ったことである。そのせいで大勢の家臣が死んでおり、本多忠勝の祖父と父親も織田信秀に殺されたようなものだった。忠勝は幼少の時に家康に育てらたとまで言われており、大勢の有力家臣の息子達が遺児となって家康の周りで一緒に過ごして暮らしていた。


織田家に対する恨みは強固だった!!!


第三に織田家と松平家は度重なる双方の介入により、複雑な血縁関係が築かれていたことである。直接的な婚姻だけでは無く、水野家を通した婚姻も含めると相当な繋がりが両家にはあったと見られる点である。


そのことは+どころか明らかな-だった。


というのも松平家だけを見ても親織田派と反織田派に分かれて骨肉の争いが繰り返されていたことは間違い無いからである。この争いは本能寺の変どころか豊臣時代まで含めることも出来るほど壮大なものになっていた。というくらいグチャグチャであり惨劇を生んでいた。


このような複雑問題を織田松平両家は抱えていた。



だったら!松平家なんて滅ぼせば良いじゃん!!


なんて簡単に出来る訳無かった。


何度も何度も成し遂げようとして出来なかった末に今があるのである。


織田家を松平家を滅ぼそうとしていた!


何て言うのは信長や家康の頃になって始まった訳で無い


織田松平の両家は何世代にも渡って壮絶な殺し合いを繰り返して来たのである。


豊臣秀吉は日本の半分くらい支配していても松平家(徳川家)を滅ぼせなかったという事実は忘れてはいけない


このような経緯を考えた上で織田家の外交戦略を織田家の面々に語っていただく



織田信長「松平家との同盟は実現出来ないのか?」


滝川一益「向こうが無理難題を押し付けてきます!」


信長「何としても結べ!私の可愛い娘も嫁がせても良い」


信長の覚悟は相当なものであった。『桶狭間の戦い』に勝利しても織田家は尾張の占領地奪還と水野家防衛のため意外には松平家との戦闘は極力避けていた。それでも松平家側は何かと好戦的な姿勢を貫いて来ていた。それでも石川数正という人物は中々話が分かると言うことが判明しているだけマシだった。


一益「数正殿も頑張って頂いているようですが……口約束では信用ならないと言って来ています。」


織田信長の娘の徳姫と秀康の長男の竹千代との婚約という案が浮上した。どちらも最近生まれたばかり……五歳くらいまでは健康面で予断を許さないのは明白である。どちらかが死ねば婚約は破談してしまう上に婚姻同盟は終焉してしまう、互いに大きなリスクがあった。


信長「何としてでも条件を纏めろ!とにかく結ぶ気が相手に無ければ意味が無い」


無理難題を言ってくることは予想出来た話である。織田家側は親族を殺されていない上に最近は互角以上に渡り合っていたこと今川家や斎藤家に対する恨みの方が上回りがちという点では家臣達の反応は冷静さがある。


対して松平家側は感情論が盛り上がっていることは予想範囲内である。反織田派が現在の当主である松平秀康の側近達であることも分かっていたことである。


信長「三河に侵攻するのは大変困難が伴う、桶狭間で勝ったと言っても今川家は未だに強大な力を持っており戦いたくない、それに武田家が何れ攻め込むだろう…修羅の地になるのは明白だ。」


領地が横長なのも大問題だった。織田家からすれば、とにかく長い距離を侵略しなければならず、戦線が伸びきってしまうのである。松平家に勝てないという問題を抜きにしても美味しいとは言い難い


池田恒興「それよりもよ、美濃攻めはどうするんだ?」


池田恒興は信長の乳母の息子だった。『同じ乳を分け合った仲』という訳で信長の義兄弟でもある。池田家は織田家譜代の家臣であり、現在は犬山城という要衝を任されている有力家臣でもある。


信長「美濃攻略をしなければ京都への道は開けない!三河よりも美濃なことは変わらない」


信長は苛立ちながら言い放った。美濃攻略のために全力を使うためには三河の松平家と同盟を結びたいというのに……結べないのだから苛立たずにはいられなかった。


佐久間信盛「松平家と今川家の中を裂くしかありませんな……」


筆頭家老の佐久間信盛は松平家との交渉担当の滝川一益とは違い、主に松平家と今川家の仲違いを推進する役割を担っていた。直接の同盟交渉から外されていたのは佐久間家の所領は松平家と接しているとか同族の佐久間盛重が殺されたことも含めて交渉役には不適格というのもあるが、それ以上に彼は外交と謀略に優れた人物であり、水野家を始めとした松平家との同盟で利害関係を持つ様々な勢力との交渉を行っていた。なので松平家の人間と話をする余裕が無いというが一番の理由である。


信長「どんな手を使っても良い、必ず成し遂げよ」


いつまでも真下に松平家がいては下から突き上げられて美濃に攻め込めない、織田家にとっては松平家との同盟は最重要である。


一益「ところで浅井家に対しては如何致しますか?」


桶狭間の戦いの後の大きな変化の一つに浅井新九郎(長政)が『野良田の戦い』で勝利したことが挙げられる。これにより六角氏の近江支配は揺らぎに揺らいでいる。六角氏は斎藤家との関係を強化し始めているなど織田家にとっては許し難い行動をしており、警戒していただけに嬉しい変化であった。


もし万が一にも京都への上洛をすることになった場合に近江国が統一されているよりも分裂している方が望ましい


信長「いまだ15歳でありながら大活躍したことは凄いが今後も勢力を維持できるか?と言う点では不安が残る。もしくは勢力拡大し過ぎても困りものだ。」


六角家と織田家の関係は悪くない!


敵対しているどころか友好関係にある状態である。浅井家が強くなり過ぎても困るのだけに扱いには慎重にならざる負えない


一益「とりあえずは交渉をしておくことにします。」


信長「しかし、惜しい人材ではあるな……もし優秀なのであれば手懐けておいて損は無い」


とりあえず交渉しておくと言った一益に対して信長はクギを刺すかのように一言加えてきた。どうやら新九郎(長政)の力量に興味があるようである。年下で現在未婚で後継者が不在というのは魅力的だった。織田家としては捨てるには惜しい存在である。仲間として取り込みたいという欲求が沸いていた。


池田恒興「武田家とはどうするのか?」


この頃、一つ大きな問題が生まれつつあった。実は武田家が東美濃に進出しているせいで境界線が接してきたのである。武田家は東美濃に進出してくるのは許し難い事態ではあるが……争うなどあり得ない、それでは三河を手に入れた場合のリスクと同じになる。


信長「接したと言っても僅かであり、美濃を武田に渡すつもりが無い以上は戦うことも覚悟しなければならない、そのことを考えると長期的な同盟はあり得ない。婚姻を結ぶにしても養子縁組で済ませたい」


言い方を悪くすれば使い捨て結婚になるのは明白だった。苦渋の決断ではあるが家臣の誰かの娘を犠牲にすることになるだろう……


一益「伊勢の北畠に対してはどうしますか?」


信長「北畠との間には大きな川もあるし、危険度で言えば低いのだから攻められないようにするだけで良い。だがよく観察しておけ」


観察とは情勢の変化であり、実は婚姻関係である。どの時点かは別として信長は『北畠家乗っ取り計画』を考えていたのは明白だった。北畠関係者とくに直系の婚姻関係は注意する必要があった。


ということで織田家としては美濃攻略が絶対の目標として掲げていた。その先には近江を通って京都に上洛するという目標が見え隠れしていた。だから信長は『桶狭間の戦い』の前から京都に度々上洛して京都の情勢を探っていたし、今回も松平秀康を追うように上洛しているのである。


いずれは京都を支配する!


そのための美濃攻略なのである。そのための三河攻略中止であり、浅井家との同盟交渉だった。全ては己の野心成就のためなのである。


重臣達は少なくとも皆信長の真意を読み取っていた。

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