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六仁協定の血判者達

 ナガサは今、信じ難い伝承の一端を思い知らされていた。


(戦地で初めて、お会いした)


 六仁(りくじん)協定が一人、無賢(むけん)導師は天に滞留する謀叛者、バスバを射殺す。

 少年の小さなその手に携えるは二(メートル)半を優に超える大太刀。神器にして呪物、香断上近(こうのたちかみちか)


「バスバ。お前、この俺をどうやって殺してくれるんだい」


 いつでも殺し合える。

 死闘を欲して止まない、少年らしからぬ無賢導師の言葉に。


「導師よ。そのつもりだったのではありまするが」


 右半身のみとなって飛翔体と化したバスバは、凶悪な笑みを貼り付けたまま答えた。


「想定外の雑魚(ザコ)に手こずりましてね。頂戴した力を割き過ぎてしもうた。もはやこの一帯を跡形もなく消し飛ばす程度の力しか残っておりませぬ」


 ぼこり、とバスバの右半身が急激な膨張と肥大を見せた。泡の塊がそれぞれ膨らみ、数十倍の体積となってバスバが歪む。

 自爆する気だ。

 言葉通りならば、視界に広がる瓦礫原をも消し去る程の破壊を生み出すのだろう。


「そうか」


 だが素っ気なく言い残した無賢導師は、香断上近(こうのたちかみちか)の長大な鞘を旋回、手の内で踊らせると手元に朧げな輪郭の(つば)が滑り込む。特大の太刀だ。黒革を纏う柄はただの打刀と比べると実に太く長い。少年の小さな手では完全に握り込むことができていなかった。

 だが。


「残念だ」


 抜刀。

 ガヂャ、と刀身を引き抜くには大仰な破滅音が響く。

 太い柄は縦に裂けると二手に分かれて宙に舞い飛んだ。くるくると弧を描く二つの刃は交差、連結、伸長。

 両端に伸びる二つの刃。両刃薙刀へと変形し、無賢導師の元へ降った。ばしりと小気味良い音を立てて難なく掴み取る。

 一方は歪に波打つ刀身の仏殺(ぶさつ)、もう一方は直刀の棄神(きみ)香断上近(こうのたちかみちか)が有する神殺しの一側面を引き出した、彼の為の武器。

 武装展開は更に続く。


「来い」


 導師の呼びかけに応じ、香断上近の黒鰐鞘から、折れた刃が五つ。

 鋭い金属音を掻き立てながら連続射出。それぞれが絶大な切れ味を誇る魔刃は無賢導師の周囲を護るように浮遊、回転していた。

 神器は既に残骸と化していた。だが、ただの残骸などではない。

 ()()()()()。それぞれ由緒正しい名付けがある。

 全部で“九”つに割れた刃、これが今の特大太刀の姿。


「ほう。よもや出涸らしとなったこの姿で、導師殿の戦陣構えを拝めるとは」


 バスバはよりぶくぶくと膨れ上がる。まるで腐りきった醜い葡萄(ブドウ)

 肉体が張ることで薄くなった皮膚下から見たことのない毒色の光が全方位に飛び出し、凝縮された精素が臨界点を迎えようとしていた。

 今までにない破壊の波動が押し寄せる。

 爆裂、その間際。

 ふ、と導師は鼻で笑い。


「相手はお前じゃない。だろう」


 原型を失ったバスバも当然とばかりに応じて。


「ではまた会いま」


 ぼしゅ、と。

 あまりにも気の抜けた、聞き心地の悪い水音。

 大爆破を起こそうとしたバスバ爆弾は、判読不可能の文字で描かれた立法円の結界によって封じ込まれていた。虚空に浮く円の内側に汚らしい黒血が飛び散り、べっとりと張り付いた油膜が底に流れてどろどろと溜まっていく。


「黒血について何か分かったら教えてくれ。散銭(さんせん)

『ウム。ま、予想は付いているがナ』


 無賢導師の呼びかけに応じ、何処からともなく重苦しい男声が響く。

 宙に浮いていた文字結界はみるみると収縮。拳大ほどまで小さくなると物凄い勢いで六方郭(りくほうかく)へと飛翔していった。

 地平線の彼方を吹き飛ばす一撃を容易く完全防御。


(どこまで次元を突き抜けたら、こうなるのよ)


 ナガサ如き、呆然と疑うのも無理はない。理解の外だ。破壊の程度を意のままに操る六仁協定を前に、震えることしかできない。力を過剰に得た人間は人間などではないと改めて知る。


「とりあえず、ややこしいボケ共は今ので処理しきったか」


 ロスヴァーナは彼方を眺める。

 脅威は去った。だが彼女は昂る戦意は維持したまま、先を見据えている。


「尖兵はすぐに来るぞ。見ろ」


 無賢導師が両刃薙刀で彼方を指し示した。

 灰の煙に汚れた空、切り立つ瓦礫原の地平線。ゆらゆらと季節外れの陽炎が蠢く。

 彼方は禁足地の方角。ナガサは目を凝らすがあまりにも遠く、微かに紅い輝点が十四ほど不安定に揺れるばかり。

 星ではない。だがある意味では、凶星といえるだろう。


「ほう。かつての鳥、か」


 ついに剣聖ガルセリオンが重厚な呟きを漏らした。

 巨大鎧の化け物はざくざくと瓦礫を砕きながら己の巨大剣、女王の匣(デアカルケル)を回収しに向かう。

 彼は彼方より迫る謎の飛翔体を見抜いている。無口なこの鎧が声を上げる程度には強大な敵勢分子に違いない。


「ハァ、そいつはまた」


 その隣、ロスヴァーナは牙を剥くように笑んでいた。凶悪な冷気が彼女の周りに渦巻く。雑魚相手には見せない、美しくも恐ろしい闘者の面構え。


「手を貸せ、ロナ」

「仕方ないね。腐血ヶ原以来か。ボクと手を合わせるのは二百年振りかな、チミっ子」

「正確には二百三十と六年ってところだよ」

「よく覚えてんねえ」

「知ってるだろ。俺は根に持つ性質だって」

「度が過ぎてんのよ」


 ロスヴァーナと無賢導師は人間の限界を遥かに超えた会話を交わす。


(やはり彼らは、人の身にして、不死者)


 濃厚な悪意はまだ消え去っていない。

 東方から迫り来る、腐った大津波。

 その余波を、瓦礫原の地平線にてついに見てしまった。

 ゆらゆらと揺れる、血の気の失せた顔。衣服を着崩した亡者の凶相。男も女も、老人も子も皆。

 彼らは騒乱の中で死に絶え、死骸人として生まれ変わった、元煤湯(すすゆ)の民。


(いつの間に。どうやってこれだけ大勢を蘇らせたの)


 東方の先、後方に控える穢土(えど)の軍勢として含めれば、その数は五十万超の大軍勢。

 こちらの主戦力は士気の下がった警兵、金でのみ動く死闘宗、気合だけは充分な恐れ狩り。有志の傭兵や煤湯を根城とする客人を他所から掻き集めたとしても、こちらの兵力は五万に届くかどうか。

 戦力差は十分の一以下。

 相手も泥暮らしや死骸人といった雑魚ばかりではない。穢土(えど)の逸話を由来とする伝承の悪敵が揃っている。いかに六仁(りくじん)協定の血判者達が強大といえど、敵にも匹敵する魔人が幾つか存在する。勝機は無に等しい。


(さすがにこの戦況では、退くしか)


 回避しようのない敗戦が今、波となって襲い掛かろうとし。

 彼方から、金属を掻き裂く様な爆音。

 ナガサは思わず眉を顰めて耳を塞いだ。スカヤも苦しげに(うずくま)る。それでも尚、脳髄を貫く金切音。不快な音の中に、何処か生物めいた抑揚を感じ取れた。


(これは、何かの、咆哮)


 無賢導師、ロスヴァーナはそよ風でもいなすかの様な涼しい顔で佇んでいる。

 彼等の見つめるその先はほど近い。二人に倣い、ナガサも見上げた。

 燻んだ雲が一瞬、膨張。

 巨大な対流によって灰の雲が掻き乱される。異形の巨影と、真紅の月が二つ、いや、瞳なのか。だとするならば全長は一体。

 雲が捲れた。

 それは煙を顔に纏わせ、捻れた一角を露わにした。


「あれが、かつての鳥」


 ナガサのこぼした声が、すぐにかき消えた。

 二度目の咆哮。

 それは怨みだった。長く鋭く突き出た顔面は(ウツボ)か、蛇か。だが肉も皮も無く、全てが煤けた骨。

 真紅の瞳の奥に、地獄の炎が揺らめいていた。

 かつての鳥の姿が雲間から現れたのは一瞬。

 小さな瓦礫が吹き荒れ、耐えきれなくなった建造物の一部が崩壊を開始。地響きが地響きを呼び、轟音と灰塵の嵐に巻き込まれた。

 疲弊したナガサの脚が崩れ落ちかけ、だがすかさず潜り込んだスカヤの体躯に支えられる。逞しいはずの巨狗は絶望的な存在を前に、本能的な震えを催していた。


「あれではまるで、龍ではないか」


 スカヤが苦しげに唸る。満身創痍では(こら)える姿勢を維持するのがやっと。このまま(うずくま)っていてはいずれ建物の下敷きに。

 残酷なことに悪い予感は的中する。

 一際激しい激震と爆音。ナガサ達の周りに粉塵が降り、巨大な影が落ちる。信じられない程の圧迫感。迫る圧力。

 倒壊した建物が、彼等を叩き潰そうと傾いていた。


「ハ、龍だなんて、まさか」


 ロスヴァーナは鼻で笑った。

 最強の魔女に、恐れなどありはしない。

 直後、突き上げる様な突風。

 極寒に吹く白銀の旋風が、灰塵の闇を一気に消し払った。視界が晴れ渡る。キラキラと舞う氷の粒。


「あんなもん、ただ化石を寄せ集めただけのハリボテよ。本物はこんなもんじゃない」


 忌々しげに吐き捨てたロスヴァーナを中心に氷の茨が四方八方に展開。

 ふしくれ立ったそれらは爆速で成長すると氷の根と化し、捲れ上がった瓦礫原を縫う様に進行。大地がうねりを上げる。ナガサ達を押し潰そうとしていた建物の土台を締め上げて更に伸び上がっていき。

 ナガサとスカヤは口を開けたまま、白煙纏う氷の大樹を見上げていた。


「少し飛ばし過ぎじゃないのか、ロナ」


 倒壊寸前の建造物は魔女の神業に取り込まれ、完全停止。

 それも一棟だけではない。

 凍てついた大地には幾つもの氷の樹が乱立し、殆どの建築物を呑み込んで鎮座していた。


「全然。ボクを何だと思ってんのよ。チミっ子こそ、おじぞーさん抜きで前に出張り過ぎでしょ」


 ロスヴァーナは言葉通り、片手間でこなしたと言わんばかりだった。さっと金巻毛を払い、身なりを整える。

 彼女は一体、どれだけの生命を喰らったというのか。百や千では効かない。恐らくは万を超えている。

 もしも、敵対することがあったとしたら。

 恐らくは真身化したとしても。

 ナガサはこれ以上考えるのを止めた。脳裏で行われた殺し合いは全て、魔女に瞬殺された。


散銭(さんせん)には別の任を与えているんだ。此処には出られない。だから俺が来た」


 ロスヴァーナの横に、神殺しの刃を従わせた無賢導師が並び立つ。


「あとあいつは地蔵じゃなくて力士像」

「どっちでもよくね」

「良くないって何万回言えば解るんだ」

「どっちでもいいって何万回言えば解るのさ」


 ロスヴァーナと無賢導師は軽口を叩き合いながらも天を見据えていた。

 煤けた龍の頭骨が、天空を喰らって地上を焼き尽くそうと迫る。長大な背骨をのたうち、くねる度に突起した肋骨が灰雲を裂き、等間隔に開いた孔から瘴気の靄を吐き出していた。

 飛翔する、というよりかは天を海に見立てた悪夢が回遊しているかの様。いかにして空に浮いているのかなど皆目検討も付かない。

 接敵までわずか。

 まもなく、一帯は死地に変わる。

 これほど巨大な邪竜の接近を、なぜ今まで気付く事ができなかったのか。こうも頭の中が滅茶苦茶になった日は、今までなかった。


「ナガサ」


 我に変える。

 無賢導師に名指しされたナガサはびしりと背を伸ばし固めた。


「正気の人間を率いるだけ率いて、六方郭に撤退しろ」

「承知」


 即答したものの、尋ねたい事は山ほどある。だが、それは彼等が目の前の巨悪を退けてからだろう。ナガサはスカヤに跨り、背を返そうとした時。


「それと」


 続けた無賢導師は、先の先を読んでいる。


「ゲイトウィンが連れ去った客人といえば、解るよな」

「ハッ」

「あの二人は血判者に比肩する逸材。俺達が抑え込んでいる内に六方郭(りくほうかく)へ向かえ。急ぎ接触しろ」


 微かな勝機を。


「あの二人を、ですか」


 ナガサは微かに渋りの色を露わにした。

 信じ難い。買い被り過ぎだ。

 あの二人は、ゴクロウとアサメは確かに強いだろう。真身化した姿である鬼の化身を遠目で見つけたが、血色の精素は凄まじい生命力だった。並の客人では引き起こせない荒ぶる魂。

 単純な戦闘力のみで考えた場合、死闘宗の階級に当てはめるとするのなら、血銭手よりも上、古銭手として選出されても充分に頷ける。

 だが、あくまで人としての力だ。六仁協定の血判者と比べてはならない。

 力の一端のみで地上を氷土に閉ざしてしまったロスヴァーナ。

 神をも殺す術を持つと恐れられる無賢導師。

 彼等と並び立つなど、ただの人間であってはならない。


「そうだ。ゲイトウィンが彼等を壊してしまう前に、頼んだよ」


 ナガサは。


「承知」


 今度こそ即答した。

 無賢導師を信奉するナガサは、根拠のなき確信を呑み込む。

 これは決められた運命だ。

 ゴクロウとアサメの両名は今この瞬間、無賢導師の大いなる思惑によって本来歩むべき道を捻じ曲げられたのだ、とナガサは理解した。

 その道は恐らく、人が踏み入れてはならない領域。


「では。スカヤ、六方郭へ急いで」

「うむ。しっかり掴まれ」


 いつもより控えめな加速。だが足取りは力を取り戻しつつある。氷の瓦礫原を駆け抜けていく。

 ナガサは人知れず、微かに口元を吊り上げた。


(貴方達の道、私も利用させてもらうわ)


 人外へと至る道へと踏み出す。

 行き着く先は地獄か、それとも、より深い何処へか。


第二部 前編 了


次回更新予定日


未定

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