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血路の先の魔人達 53

 (かすみ)がかった白い蟲の柱が一つ、瓦礫の原に浮き上がっていく。

 白黴の密集物にもみえるそれらはゴクロウとアサメを全て包み、視界の端に聳え立つ六方郭(りくほうかく)の内側へと漂っていく。

 その正体は直し魔ゲイトウィンの半身、通称、白癬蟲(はくせんちゅう)


(人の前には滅多と晒さないと語られる白癬蟲(はくせんちゅう)が、目の前に)


 スカヤに騎乗したまま、黒い護人杖(ごじんじょう)を左手に携えたナガサは蟲柱を見上げていた。右腕が健在ならば、無意識のうちに拳を握りしめていただろう。隠しきれない畏怖が表情に表れている。


(まさか、あの方に助けを求めただけで、芋蔓でも引っ張るように六仁協定(りくじんきょうてい)血判者(けつばんしゃ)達が現れるなんて思いもしなかった。偶然なの。それとも)


 目前こそが全てなのだろう。

 蟲型半身の頂点に君臨する、紛れもない最強。またの仇名は曇天郷(どんてんきょう)に吹く白い悪霊。或いは隠滅者。人(さら)い。悪名を挙げれば枚挙に(いとま)がない。


『おっと』


 人の声が乗った羽音。

 ゾッと走る寒気は恐怖か、死の予感か。ナガサの背筋が意志に反して勝手に伸びる。

 白癬蟲の集合体は頭蓋の形を模すとこちらを見下し、やはり人の腕骨じみた群れを形成してこちらに手を伸ばした。


『こいつも臭い付きか』


 白癬蟲の手が護人杖(ごじんじょう)を問答無用と絡め取った。

 ナガサも抵抗せずに杖を手放す。ゲイトウィンの意識を有する白癬蟲(はくせんちゅう)はナガサなど眼中にないらしい。

 死闘宗は戦死を恐れぬ僧兵である。

 だが億に一つとして勝機の無い相手ともなれば、人としての本能が勝ってしまった。この場においては一つも逆らってはならないのだ、と。

 もしも杖を握りしめて明け渡すのを固辞していたのなら、白癬蟲は一切の躊躇(ためら)いもなくナガサの左手ごと喰い散らしていたに違いない。強いて言うのであれば、ナガサは勝ち目の無い駆け引きを直感で乗り越えたのである。

 ゴクロウとアサメが所持していた得物が次々と白黴を纏って宙に浮く。白癬蟲(はくせんちゅう)は地面に染みついた血液にも吸い付き、蒸発していく様に六方郭(りくほうかく)へ飛び立っていく。聞きしに勝る隠滅者の名だ。あっという間に人の痕跡を消し去ってしまった。


「相変わらず趣味悪いっての」


 ナガサは声の主へ振り向き、スカヤから降りると即座に深々と頭を下げた。従うようにしてスカヤも振り返り、体躯を縮こませるよう伏せをする。

 視線の先には、瓦礫原に咲く美しい踊り子、鉄壁の従者。

 一方は自慢の黄金毛を靡かせ、白癬蟲の群れを睨み上げている。彼女の隣に屹立するは山羊角の巨大鎧。荒廃した街のなれ果てを夜空の輝きで照らす。

 六仁協定(りくじんきょうてい)血判者(けつばんしゃ)、護衛者ロスヴァーナ、剣聖甲冑ガルセリオン。

 世界に名を轟かす正真正銘の化け物達である。


「この度の御助力、誠に感謝致します。ロスヴァーナ様」


 ロスヴァーナはつかつかとナガサに踏み寄る。

 迫る冷たい圧力。破滅を催す生命力。

 ロスヴァーナは跪くとナガサの首筋に指先を当て、無理矢理と面を上げさせた。


「この程度でチャラなら、あと一回くらい許してあげるけど。君とボクとの仲でしょ」


 情熱的な視線がナガサに注がれる。

 一方的な想いを一身に受けるナガサだが、されるがまま一切抵抗しない。


「一度とはたったの一度です、ロナ様」


 ロナ。

 そう呼ばれた瞬間、ロスヴァーナは満面の笑みを浮かべた。


「様が余計なんだよ」


 無垢の視線は狂気。

 無に放り出されたかの様な冷気。

 ナガサの身体は悪寒で瞬間的に震え上がり、氷点下でないにも関わらず冷たく白い吐息が漏れ出した。肺が凍える。萎縮する。次第と呼吸は浅くなり、低酸素状態を(もたら)す。


(無茶苦茶だ)


 このままでは凍死する。

 局所的であろうとも、気象条件を容易く捻じ曲げる力を持つロスヴァーナ相手に、ただの強者ではまるで打つ手などない。

 喉の根本が凍てつこうか、というところ。


「ようやくお出ましか、護衛者よ」


 上空から声が降り注ぐ。

 蔓延る冷気は消え、誰もの視線が上へと向いた。

 彼方の虚空に人が浮いている。それも左半分のほとんどを失った、人のような何かが。


「まだ居たのか、雑魚チクショウが」


 ロスヴァーナは冷え冷えと呟いた。

 瞬間。

 ロスヴァーナの左手。深海に植る怪樹の幹から削り出された長大な魔弓、アドウェルン。右手には禍々しく捻れた白銀の無限矢インガリ。


(いつの間にッ)


 金色の魔女たる彼女の武勇伝を語る上で欠かせない逸話を持つ武具だ。

 ナガサの心中穏やかではない。

 何故なら、この武具が出た直後は例に漏れず、辺りに絶大な破滅を(もたら)すからだ。

 何らかの超速技法でガルセリオンが手渡していた、と気付いた頃にはもう遅い。ロスヴァーナは既に魔弓アドウェルンを引き絞り終え。


「果てなく消えろ」


 射出、極太閃光。

 誰もの目が眩む。重力逆らう流星の一矢は雑魚を巻き添えにしながら空を越え、宇宙を襲った。人の力を超えた絶大な一撃は出鱈目な光量をばら撒き続けること数秒、ようやく落ち着いて辺りを明らかにした。

 無音が鼓膜を貫く。

 音圧も想像を絶する威力だったと知らされる。

 辺り一帯には氷の棘柱が伸び、ナガサとスカヤを除く全方位の対人距離を拒んでいた。

 ガルセリオンはまともに氷柱の被害を被っているが、微動だにせず。金属質な呼気は穏やかそのものであり、まるで効いていない。

 本来、主身の持つ精素の総量には限界がある。人間に定められた一定を超えた場合、精素は人間を喰らって別の存在へと造り替えることがある。

 だが、彼女は本来という言葉が示す人間ではない。あらゆる事情により、人間という枠を超越しつつも華奢な肉体を維持している。端的に言えば、ただの人ではないのである。

 しかし。


「見誤ったな、護衛者よ」


 降る声は、雑魚と見限った存在。


「あ」


 ロスヴァーナは一層と鋭く睨み上げた。

 雑魚と見限った相手バスバは、ずたぼろの右半身を失い。


「この程度も見抜けぬとは。やはり我等の勝機に狂いはなさそうだ」


 その背に、一対の異形な羽根を携えて浮いていた。

 それは骨の翼。飛行能力などない悪趣味な飾りが、だがバスバに飛行能力を与えていた。


(なんだ、バスバの存在感は。あれではまるで)


 ナガサは呆然と敵影を見上げていた。そして彼女の感想は正しい。

 バスバから放たれる精素の圧は、この場に存在する六仁協定と同等の濃度を四方八方と振り撒いていた。

 空間は陽炎の如く歪み、微細な土砂が宙へ浮く程度には強大な圧力。

 人外をも超え、半身でも真身化(シンカ)体でもない、生命の超越者。


「なにが勝機だ。垂迹者(すいじゃくしゃ)にでもなったつもりかよ、ボケッカスが」


 だが、同等以上の力を持つロスヴァーナに熱は通用しない。ぎぃ、と広角を吊り上げ。


「目ぇ覚ましてやるよ。寝惚けるのも大概にしな」


 バキバキと放射状に拡散する霜。

 ロスヴァーナの表情は笑っているにも関わらず闇空よりも冷たい。

 バスバの宣言はむしろ、彼女の戦意を昂める燃料と化していた。今の一撃は本領ではないと言わんばかりであり、今以上の絶技を繰り広げようとしていた。

 ロスヴァーナの両手に信じ難い極寒が宿る。

 術者の腕をも凍てつかせる絶対零度を(かたど)って膨大。手腕の十数倍にも膨れ上がった氷の魔手は魔弓アドウェルンをも巨大化させ、大型弩砲(バリスタ)と成す。

 先程以上の威力を有した一矢を放つ気だろう。

 内包する絶対零度を撃ち放てば最後、周囲の有象無象全てを凍土に変える。味方など関係ない。自然の猛威そのものだ。バスバが初手の一撃をいかにして躱したのかは不明だが、意思ごと破壊する一撃ならば一目に入れただけでも効果は絶大だろう。


「ロナ様ッ」


 ナガサは咄嗟に声を張り上げた。死を恐れない死闘宗の高僧とはいえ、無駄死には御免だった。


「ぐううッ」


 スカヤが苦痛を上げる。

 だがもう遅い。凍結現象が既にナガサとスカヤの末端を侵食、凍傷を引き起こしていた。冷たいという感覚すら凍てつかせる魔性の極冷下。

 魔弓アドウェルンの弦が張り詰めて悲鳴を(こじ)らせるたび、螺旋を描く寒波が大地を先行。空気中の水分が凝固してキラキラと吹き荒む。発生した氷の渦が隆起し、地表に超大輪の薔薇を咲かせ。


「安心してよ。氷漬けになっても、ちゃんと救ってやるから、さあッ」


 爆散。

 冷たい白煙に包まれ、恐ろしいほど澄んだ破砕音が響き渡る。再三、ナガサとスカヤは驚愕と眦開いた。

 魔女の一撃が、失敗に終わったのだ。

 霧が晴れる。


「その辺で済ませておけ、ロナ」


 彼の声が静寂の中に鳴った。

 目の前に、小さな人影。

 全身をすっぽりと覆う黒の法衣は死闘宗のものだ。だが、その材質は深みに満ちた色合いで、血を煮詰めたかの様な闇色。他の殺戮手(さつりくしゅ)らとは一線を画す、最上位の衣。

 一四〇程の背丈しかない、どう見ても少年。

 その者の右手には黒鰐革製の大太刀鞘が握られている。長大だ。二米半以上もある業物は明らかに不釣り合い。

 銘は香断上近(こうのたちかみちか)

 垂迹者(すいじゃくしゃ)をも斬るという逸話を持つ神器。持ち主は神に刃向かう者として天罰を受ける運命を辿るとされる呪物でもある。

 だが、この者はその時を今か今かと待ち望んでいる気さえ感じられた。

 殺戮の長に相応しい狂気。


「やっと手下の尻を拭いに来たか。遅いっての。チミっ子」


 皮肉混じりのロスヴァーナは悠長な手つきで白霧を払う。魔女の一撃を容易く潰された事に何とも思っていない。

 黒衣の少年が軽く身動ぎ。


「この俺を動かすには順序が必要なのさ。だろう、バスバ」


 殺戮手の長、無賢(むけん)導師は天に浮く反逆者を睨んだ。

 たったそれだけだ。


(空気が)

(鋭いッ)


 ナガサとスカヤは実力者であるが故に、この場に満ちる殺気に息を殺されていた。まるで動けない。

 軽口を叩いていたロスヴァーナでさえも腕を組んで黙り込む。その隣に不動と立ち尽くすガルセリオンに至っては小刻みに痙攣して(いき)り、武者震いを(もよお)していた。

 視えない刃に突き付けられたかの様な硬直を、誰もが味わっている。

 たった一人を除いて。


「左様で。我らが無賢(むけん)導師様よ」


 骨の翼を携えた右半身、難解のバスバだけが凶暴に笑んでいた。


次回 六仁協定の血判者達 1


更新予定日 4月2日 (金)

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