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血路の先の魔人達 49

 きな臭い風。

 こちらを見下すバスバの黒衣が不気味に揺れている。傾き出した陽の光が最悪の幽鬼に影を与え、より禍々しさを醸していた。

 その隣で揺れ立つのはアサメ。

 肉体は生きている。だが精気を失い、精神は死んでいる様にもみえる。

 ゴクロウは腹の底に怒気を溜め、一気に放った。


「アサメ、何ボケッと突っ立ってやがる。隣のそいつを殺せッ」

「だそうだ。儂を殺せるかな、アサメとやら」


 反応、無し。

 バスバは小馬鹿にするかの様に肩を竦めた。


「断るそうだ。残念だったな、ゴクロウ」


 ゴクロウはかち上げるようにバスバを睨む。強敵だ。奴もまた、人外の戦闘力を有するアサメを制したのだ。

 それも真正面から叩き潰すのではなく、得体の知れない戦闘術で。

 面紗(ヴェール)の向こうから、くぐもった冷笑。


「お主の事はユクヨニから聞いているよ。勇敢で、強靭で、痛みを恐れない厄介な人形だと。実に戯れ甲斐がある」


 ゴクロウは眉一つ動かさず、ただ睨む。


(よく舌の回る奴だ。催眠術か。戦闘術に組み込むほどの使い手。人並み外れた技術と腕っぷしがなけりゃ、戦闘狂(アサメ)を制圧するなんて無理だ。奴の口車に乗せられたら最後、俺でもどうなるか)


 長刀の柄を握る手は汗ばみ、今までにない緊張感がじっとりと伝わってくる。

 いかにして初手を打つか、呼吸を整えながらじっとバスバを観察していた。


「儂は神をも疑うほど用心深いものでね。この目で確かめるまで他の骨の言うことは誰であろうと鵜呑みにせん。無賢導師であろうが、垂迹者(すいじゃくしゃ)だろうが、その上の存在であろうとも」


 バスバの術中から逃れるには二つ。

 初撃で殺し切るか、攻防の最中に相手を見切り、完全攻略するか。

 絶望的だ。

 一撃で容易く刈り取れるような魂ではない。速攻瞬殺を得手とするアサメが自らの敗北を以ってして証明している。ならば長期戦上等で継戦し、情報を集めるか。もっと悪手だろう。体力も余力も温存しているバスバの方が優位性は上。長引けば長引くほど、ただただ後手に回ってしまう。

 開戦の火蓋が落ちるまでもう幾許(いくばく)と時間がない中、高速思考で戦術を組み立てる。


「で、お前の見立てはどうなんだ。お前は俺を御し切れるか、アサメみたいに」

「そうだな」


 苦し紛れの引き伸ばしを、バスバはあえて勿体ぶる様に小首を捻って応じた。

 余裕の圧が重い。

 鷹揚(おうよう)と腕を広げたバスバの手には、禍々しい鉤爪刃(カランビットナイフ)が握られていた。まるで手品だ。いつ手にしたのかすら見抜けなかった。


「率直に言おう。手こずる」

「光栄だな」


 思ってもいない事を、とゴクロウは心の中で毒づいた。

 鉤爪刃(カランビットナイフ)。短小だが複数の突起と曲線美が複雑な攻防を可能とする刃。接近戦は必至。一気に距離を詰めて迫るというのなら、左腕を犠牲にしてでも吸精の右腕を叩き込む。致命傷さえ避け。


「それよ。お主の猛禽(もうきん)の如き眼差し。今も尚、儂の腹の中を探っておる。肉を斬らせて骨を断つといえば聞き心地良いな。だが五度と刃を交わすまでもなく、残りの腕を無意味に失う羽目になるぞ」


 ゴクロウは唾を呑んだ。

 心が見透かされ、己の意志とは裏腹に早鐘を打つ。瞳孔の動きを読まれているが、今更止める気はない。


「痛みを恐れぬとはやはり真らしいな。儂らの実力差を慮りながらも微かな勝機に(すが)り、僅かな勝機を見出すべく己の可能性に賭けている。狂熱と怜悧を併せ持つ思考こそがお主の刃。それこそが脅威」


 バスバは一旦、言葉を切った。

 実に不穏な間の取り方だった。思わず身構えるゴクロウ。ここからだ。


「だが、それだけが、脅威」


 鉤爪刃(カランビットナイフ)が閃く。

 重く鈍い打音、続く剣閃の二連撃。


「あ、ぐ」


 短い悲鳴。停止する時間。

 ゴクロウは我が眼を疑う。だが動き出せない。

 凍てついた世界の中、ついに正気を取り戻した鋼の瞳と合った。

 生命活動が遮断され、瞳孔が散大してしまった、鋼の瞳と。

 ゴク、ロウ。

 紅く染まったアサメの唇から音にならない呼び声。

 即死。

 彼女の胸と首から大量の鮮血がぶわりと溢れ、その場に崩れ堕ち。


「バスバアアアアアアアアッッッ」


 怒りの絶叫が、ゴクロウの喉奥から轟いた。

 地を蹴る。

 踏み込みの勢い余り、足元の瓦礫が爆散。今までにない速力を叩き出したゴクロウは瓦礫の丘をたった一歩で登り切り、更に飛び越えて中空へ。

 真下。

 凶刃を振るって生温かい血を払うバスバ目掛け、長刀を振り下ろす。


「所詮、人の身には人の心か」


 大きな呟きは、だがゴクロウの耳には届いていない。直後。

 激烈なまでの金属音が辺りに響き、交差。

 その剣圧は周囲の砂礫や瓦礫を吹き飛ばすが、木っ端微塵にするべき対象はただ不敵な(あざけ)りを垂れ流すのみ。

 金眼を血走らせたゴクロウは膂力で強引に弾き飛ばす。だが空を押し退ける程度の手応えしかない。


「おっと。鬼様こちら」


 ふらりと退いていたバスバ。鉤爪刃をくるくると弄んで子供騙しの挑発。


「ウラアアアアッ」


 普段ならば乗るはずのない戯言を真に受けたゴクロウは、長刀を薙ぎ払いまくる。

 当たれば鋼鉄をも断ち切る斬撃は、獣の猛りも相まってより凶暴に振われた。だが悲鳴を上げるのは斬り裂かれた空のみ。熟達の暗殺者相手に当たるはずがない。

 (かわ)されるたびに聞こえる不快な失笑が、ゴクロウをひたすらに煽っていた。


「さあて。この猛獣、いかにして調教してみようか」


 わざとらしい隙に、ゴクロウは大上段からの愚直な振り下ろしを見舞う。

 再び、大快音。

 ギリギリと火花を散らしながら、鍔迫り合うゴクロウとバスバ。


「このままブッ叩き斬らああああッ」


 吸収した怪力を乗せて押し込むゴクロウだが、バスバは沈まない。片手同士、対抗している。いや、それどころか余力さえ窺える。

 だがゴクロウは彼我の実力差を無視して力任せに吠えていた。


「可笑しいのう」


 幽鬼の面紗(ヴェール)の奥、バスバはただただ嘲笑う。


「他人の半身は殺しても構わず、己の半身は殺されることに怒りを覚える。覚悟が足りないにもほどがあるぞ。それにそもそも、放っておけば蘇るというのに、半身という存在は」

「怒り狂うに決まってんだろうが。血肉を分けた相方を殺されて、へらへらしてるお前の方が狂ってる。立ちはだかった敵を殺して何が悪い。何が覚悟だ」


 ゴクロウは震える長刀に、漆黒の右手を添えた。

 生命にのみ触れ、それ以外の物体は擦り抜ける、魔手を。


「お前の下らねえ物差しで、人の生き様にケチ付けてんじゃねえッ」


 長刀の背を擦り抜けた吸精の一手は手刀に変わり、バスバの顔面を。


「お互いにな」


 ゴクロウの鳩尾(みぞおち)へ、重鈍い膝蹴り。


「がふぁッ」


 ゴクロウは口撃に気を取られ過ぎた。不意打ち気味に打たれた一発にひとたまりと耐えられず、たたらを踏んで後退。悲鳴を上げる臓腑。横隔膜が限界一杯まで迫り上がり、肺を押し退け、呼吸困難に陥る。

 だが倒れることはない。まだだ。

 もがく様に防御(ブロック)姿勢を取りつつ、ふと視線を上げる。

 何か足りない。重みが足りない。

 頼もしい重量が。


『チッ、ココまでか。大したコトねえ』


 マルドバの諦観が妙に離れた位置から響いた。

 そしてゴクロウはようやく失態に気付く。

 ばたばたと噴き出た血が一筋の小川を生んでいた。赤い川の先を辿る。

 右手首付きの長刀が、そこに転がっていると。


次回 血路の先の魔人達 50


更新予定日 3月5日(金)

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