血路の先の魔人達 48
ふらふらする。
褐色に干からびたマグサを見下しながら、ゴクロウは周囲の気配を探る。
瓦礫の原に人の気はない。彼方からの絶叫が薄く反響してあちこちから聞こえる。廃墟の軋みや何かが燃えて爆ぜる雑多な騒音のみで、周辺は不気味な静寂に支配されていた。
どこかに、ごくごく近い死角に、マグサの主身であるバスバが息を潜めているはず。
『もうオワッタようなモンだ。この一夜干しがフヤけて元通りに蘇る前にサッサと本体を見つけてブチコロすぞ』
「ああ、だな」
心臓が熱い。
長刀の悪態に付き合う余裕がない。焼け焦げるような鋭い痛み。血も流し過ぎた。
死に際に受けた左肩口辺りの爪痕が原因か。
違う気がする。マグサから吸収した生命力のおかげで傷口はほぼ治癒しきっている。有害物質を一分間と掛からず中和するこの身体に、半端な毒が通用するとは思えない。
(あるいは、マグサの持つ力の源を喰らったせいか)
どことなく察しはついていた。
度数の高い酒を煽った直後に似た熱が心臓部の中心にずっと残っている。全身は火照り、尋常ではないほどの冷たい汗が噴き出る。
ゴクロウは長刀を地に突き立て、掻きむしるように制服の襟を剥いだ。
飛び散る釦。思わず眼を見開く。
肌蹴た胸元が、紅くドロドロとした光を放っていた。
正確には胸の傷痕。かつて灼雷の業に打たれた火傷痕が赤熱していた。
『オイ、テメエの傷、どうなってやがる』
マルドバの驚愕に応じようとゴクロウは脳を働かせようとしたが、言葉が出てこない。
意識が一瞬、飛んだ。
(倒れ)
気付けば地に膝を付け、だが倒れ伏す寸前のところで長刀の柄を掴み、耐える。
呼吸は荒く、悪寒は止まらず、吐き気と震えと、眼球の奥がどくどくと脈を打って酷い頭痛に苛まれる。
まずい。隙だらけだ。何もできない。
『ザケん、メ、オ、ヤ、くッ』
マルドバが何事かを罵っているが、ところどころの言葉が飛んで何一つ理解できない。
視界はぼやけて白み、端から黒く染まっていく。
気絶するわけにはいかない。だが身体が意志通りに働いてくれない。頼りになる機能が互いに足を引っ張り合い、ガラクタに変わっていた。
世界が傾いているのか。身体が傾いているのか。
終わるのか。耐えるのか。
勝つのか。負けるのか。
死ぬのか。生きるのか。
生きるのか。死ぬのか。ここで死ぬのか。本当に死ぬのか。本当に。
今、ここで、死。
「助言はいかがかな」
誰。
「私だよ」
主上。
「偽王の身体機構じゃどうにもならないモノを急激に取り込んだのさ。君の生きた時代には存在しなかった物質、いや物質ではないが、なんというか、まあ、君の身体にとっては有害未知の性質だからね」
生命、いや、精素。
マグサの。
「察しが良い。君が取り込んだ精素は死者を生者として完全再現する為に調整された穢土の理性そのものだ。生者が取り込めば反発し合って際限のない苦しみを生み、いずれ死に呑み込まれる。君の意思にそっくりな、作り物の自我に操られる」
超えてやる。
「だろうね。君はそう簡単には死なない。無口な灼雷に感謝するといいよ。希釈された穢土の理性なら、その傷痕が焼き尽くすはずさ」
この胸の傷は、一体。
「垂迹者が認めた者にのみ贈る徴。人々は聖痕だとか奇跡だとか呼んでいるが、そんな大層なものじゃない。体内に流れるただの精素を、その垂迹者が持つ性質へと変える変換器だ」
じゃあ、この痛みは。
「曇天の流した一滴の血。それが灼雷。あの子が背負った無数の傷は不屈と征伐、再起の象徴。只事では死なず、雷となって何度でも蘇る。死に至る激痛を味わおうとも、何度でも、何度でも、何度でも」
まるで呪いだな。
「さあもう充分じゃないか。私の前に立ちはだかってくれるんだろう。君に死なれると寂しいんだ。あの子に会えなくなるからね。さあ」
アサメ。
「奪い返すんだ」
ぱちぱち、と。
乾いた拍手に気付く。火気臭い匂い。薄暗い日の光。無常と広がる瓦礫原。現実に引き戻される。
「どれだけ寝てた」
『数秒も経ってねえが、こんな時に寝ボケやがって。サイアクじゃねえか』
「もう大丈夫だ」
小さく呟き返す。
半分は嘘だ。全身には倦怠感と激痛が濃く残り、身体は最低限の指示しか効かない。
止まない拍手の方へ、ゴクロウは背後を重苦しそうに振り向く。
眩い。小高い瓦礫の丘、その頂上に人影が二つ。
かっ、と金眼を見開いた。
「マグサを倒すとは。一体、どんな手を使った。ゴクロウとやら」
嗄れた男声。
死闘宗の黒衣を纏った巨軀の幽鬼、バスバと。
「アサメッ」
鋼の瞳から正気の光を失った我が半身が、こちらを見下ろしていた。
次回 血路の先の魔人達 49
更新予定日 2月26日(金)




