血路の先の魔人達 47
恐怖を呼び起こす血混じりの咆哮、それは呪詛の効いた叫びだった。
長刀に貫かれたマグサの尾に異変。ようやく動きを鈍らせたと思いきや、急にのたくって細く伸長。ゴクロウをの首を締め殺さんと襲い掛かる。
だが覚醒したゴクロウは既に一歩先を読んでいる。横方向に跳びつつ、一振り。串刺しのままだった尾を瞬時に地へ投げ捨てた。
バラバラと鈍い落下音を後方に置き去りにし、一気に踏み込む。
(まだ隠し持ってやがる)
ゴクロウは鋭く眼を細める。
怒り心頭のマグサはその両手にナマケモノじみた長大な爪を展開。肉厚な十の爪は何かで濡れているのか、てらてらとした光沢を放っている。毒液だろう。直に触れてはならないと本能が警鐘を鳴らしているが、もはや零距離戦闘は避けられない。
刹那、とある体験が呼び起こされた。
(今の俺なら。試してみるか)
マグサの六つ目がぎょろりと集約。地を蹴り込む動作を目視。
直後。
「ジャアアッ」
鈍い衝突音がマグサの裂帛により掻き消された。
重い。堅い。目の前には交差する爪と長刀。
互いが互いを押し飛ばし、すぐに地面を蹴り込んで刃を振るう。防ぎ、避け、振るいまくる。砂塵舞う連斬の暴風が吹き荒れた。
塗布された毒液は細かく飛沫き、ゴクロウの全身へと容赦なく降り注ぐ。
「小賢しい足掻きをッ」
じゅう、と蒸発して霧散。マグサが怒鳴るのも無理はない。
琥珀色の劇毒はゴクロウの纏う無色の気炎によって焼き消されていく。
「強えんならさっさと蹴散らしてみろよッ」
連撃の手はまだ止まらない。
今、ゴクロウの全身からは摂氏二百度近い熱気が放たれていた。いわば高熱の見えない全身鎧。己の真身化体である鬼神の真似事だ。
(まだ保ってくれよ)
汗すらも干上がるほどの熱量。蒸気を纏うゴクロウは歯を食い縛りながら、左右上下から飛び交う爪の猛攻を勘で躱す。
デタラメな連撃だ。距離を取って斬撃範囲から逃れるしかない。
だが退けばその分、撃破が遠退くのも事実。
(バスバが来る前に、ぶっ潰す)
被弾を承知で斬撃の嵐へ飛び込む。
前へ。背筋に走る悍しい寒気。迫る死。
勝機を得たマグサの口許がにやけ歪むのを肌で感じる。
攻防は一瞬。いや、まともな防戦すらも起こり得なかった。
鞭のように加速したかと思いきや、急に軌道を曲げてまったく予想していない視野から爪が襲い掛かる。
粗挽き寸前、だが異形の右腕を突き出し、真っ向から捨て身の拳打。
「ガバアッ」
「ぐっ」
決死の右拳がマグサの横っ面をまともに捉えた。
だが、ゴクロウの左肩口に爪が三本、背中に二本。同時に喰らい合っている。
それが今、マグサを殴り飛ばした勢いでずるりと引き抜かれた。警兵隊の制服など容易く毟り裂き、深々と食い込んでいた爪が容赦なく肉を刮ぎ剥ぐ。
剥がれ伸びる皮膚。噴出する血飛沫。反撃失敗。
「ラアアアアッ」
だがまだ、生きている。
腹の奥底から怒号を張り上げ、過去最大級の激痛を拒絶。
まだ前へ、瓦礫を踏み散らすほどの重い踏み込み。
長刀を把持する手に力が入らない。しかも指先は滴る血で滑る。それでも全身を使って強引に振り抜いた。
愚直な薙ぎ払い。マグサはたたらを踏みながらも、大きく距離を取って回避する。
「逃げてんじゃ、ねえッ」
血と共に振るう。振るう。
「掛かって来い、マグサッ」
だがとにかく当たらない。
マグサの身体は蛸足の見た目通り軟体で、人間の身体では有り得ない間接の動きを見せるせいで上手く決まらない。
互いに千鳥足で必死だ。だがマグサはどこか怯えている。腰が引けているからだろう。
そしてついにマグサは転んだ。なおも踵を蹴ってずるずると後退りしている。
その鬼面はやはり、怯えを笑みで誤魔化す卑屈な面構えだった。
「血の流出も気付かぬノロマが、近付くなッ」
なにか喚いている。
そうぼんやりと思うほど、ゴクロウの意識は朦朧としつつあった。
(半身であるコイツを潰して。この身体で主身を殺して。我ながら力っぽい勝ちのもぎ取り方だ。どう出る、バスバ。もう近くに居るんだろう)
頭に昇っていた血が抜け、だが思考は冷静だった。
「聞きなさい。お前が私と対峙した時点で結末が決まったのよ。お前は無知で、ただ蹂躙すればそれで済むと思っている。私達の目的は対象の信念をあらゆる手でもって破壊し、心を支配すること。分解した心を、穢土様の御力で正確に組み直すことッ」
無尽蔵にも思えるマグサの底力、それが尽きようとしている。
「お前は死なない。むしろ生まれ変わるのよ。本当の姿に。それで私を殺すのは道理に合わないじゃないッ」
必死の哀願に、やはりゴクロウの耳には届かない。
背中を瓦礫の壁に阻まれたマグサは横へ逃れればよいものの、ゴクロウの冷たい金眼に射殺され、釘付けになっていた。
「い、いや、やっぱり、違う。お願い、止めて、その右腕だけは、何かおか」
『ギャアギャアと煩え。サッサと喰らっちまえ』
マルドバの声音だけが、脳内にハッキリと響いた。
異形の拳を握る。怯える鬼面の、その脳天目掛け。
「ああ。頂くとするか」
ゴクロウは全力で右拳を振り落とした。
ごしゃりと頭蓋が凹む鈍い音。
その接地面から、残り少ないマグサの力を吸い上げていく。存分に吸い上げる。
右拳を離した頃には、半ばミイラ化して干からびたマグサの遺骸が無常と転がっていた。
合成獣マグサ、撃破。
次回 血路の先の魔人達 48
更新予定日 2月19日(金)