血路の先の魔人達 45
彼我の距離、およそ十八歩分。
噛み締めるようにじりじりと全身するゴクロウに対し、擬態者マグサは六つの不気味な尾を揺らして佇むのみ。
(あの尻尾は厄介だ。見た目以上に伸び縮みする)
虎、骨、蛇、銅線、茨、猿。
それぞれ特徴的な尾、その共通点は全てが長大。二米を超ええるか超えないかといったところ。
(それにあの鴉みたいな馬鹿デカい翼は、使えるのか。飛んでいる姿なんざ想像できんが、かと言って飾りとも思えねえ圧がある)
躙り寄るゴクロウはつぶさに観察と考察を繰り返す。
あらゆる生物を寄せ集め、切り外し、繋ぎ合わせた合成獣。暴虐的と恐怖の象徴。
いかに強靭な肉体を持つゴクロウとはいえ、人の身のまま立ち向かうなど正気の沙汰ではない。
(アサメ。どこにいる。近くにはいるはずだ。真身化さえすれば一瞬で片付く。答えてくれ)
ゴクロウの願いは、しかし。
「もしかして、真身化さえすれば、とでも思っているの」
マグサの笑い声が無慈悲に打ち砕く。
「客人同士の戦闘はいかに素早く主身を無力化するか。そのための戦術はいくらでも考えつくでしょうに。主身と半身を遠ざけ、真身化を未然に防ぐとかね。私から逃げ回りながら立ち回る算段なんでしょうけど。そう簡単に引き合わせると思うの」
その通りだ。
無表情を貫くゴクロウはすぐに返答しない。おどろおどろしい三対の眼をただ睨むのみ。
一呼吸置く。
「そいつは裏を返せば、俺らの真身化はお前らに通用するってことか」
合成獣マグサは、きょとんとした。
しかしすぐに腹の底から可笑しそうな声を漏らす。心の底から馬鹿にするような失笑だった。
「ああ、そうかもしれないね。お前が、そんな愚かな希望に辿り着いたのだったら」
来る。膨れ上がる敵意。
ゴクロウが防御姿勢を取ろうと長刀を前に構え。
「それもアリかもねえッ」
ゴクロウの視界が黒く汚染。
咄嗟に左方向へ跳びながら長刀を振るう。舞う鴉羽根。その一つ一つが鋭利な針と化して殺到していた。
「くッ」
鋭い痛み。滲む血。広い攻撃範囲からは完全に逃れ切れず、右肩、脚へ幾つも突き刺さる。黒腕にも刺さったが、痛みはない。
直後、酩酊感に包まれる。吐き気も込み上げてきた。
(頭、が)
思考に霞が掛かり、鈍化していく。
足元が覚束ず、たたらを踏んで瓦礫の壁へと勢い良く突っ込んだ。倒れるわけにはいかない。ざりざりと上着を削りながら、長刀を杖代わりにしながら強引に立ち上がる。
ぼんやりとする思考の片隅で、マグサの毒かもしれないと気付いた瞬間。
「これは自我が次の段階へと進む為の、儀礼よ」
腹部を捻じ切る様な凄まじい痛み。
「あ、が」
ゴクロウはついに堪らず血を吐いた。
朦朧とする視界の中、腹を見れば、銅線じみた野太い尾がぎりぎりとめり込んでいる。ぶるぶると震えながら顔を上げると、酷薄に笑む鬼女の面。
「苦しみなさい。心の底から」
力量の差に、幾つもの分厚い壁が重なり聳える。
闘うどころか、逃げることすら許されない。
対峙した時点で結末は決まっていたのだ。
勝てない。勝利を見出せない。
負ける。
「痛みに泣き、吠え、許しを乞う。散々に喚き散らかして残るのは、死を受け入れるという真実の境地。それはすなわち、痛みという生への執着を棄却する瞬間」
銅線の尾は制服の上着を突き破り、皮膚を捻り抉り、筋肉を潰し、だが内臓には達し得ないギリギリの狭間で無窮の激痛を生んでいた。
ゴクロウは歯を食い縛りながら眼を血走らせ、唇の端に血の泡を吹きながら、絶命に至る痛苦を耐え忍んでいる。
「痛みに耐える行為ほど、命にしがみつく行為は無い。生など諦めなさいな。そんなもの、この世界ならいくらでも代用が効く。これは私たちがお前たちを見込んで、真実を伝えたいからなのよ」
「冗談、ほざくのも、大概にしておけッ」
ゴクロウは血の唾を吐きながら、聞き返す。
「でも真実よ。これは穢土様が掴んだ真理。お前たちは何も知らないだけ。魂とは、肉体を捨てて初めて、次の次元に進める。肉体は蛹。命を醸造する器。見なさい。私のこの姿を。肉体を自在に造り替える、この低次元な力をッ」
何を口から出まかせを。
「なにが、真実、だ」
ゴクロウの脳裏に、ふつふつと怒りが沸く。偽王としての超快復能力により、強烈な毒を中和しつつある。だが酩酊感が解けつつある中で、痛みが更に激増する。
「ふうん。それでも拒絶するの」
限界を超えた拷問が、ゴクロウに人間としての感情を呼び起こしていた。
稲妻に似た、爆ぜる怒り。
「ごちゃごちゃとやかましい。さっさと殺して今すぐ証明してみろ。別に目的があるからこんな回りくどい責苦を選んでいるんだろうがなッ」
対するマグサの顔は、あまりにも冷たい眼差しだった。
「はあ、長くなりそうね。面倒」
万力の如き締めつけがより重く響く。
みしみしと呻きを上げる骨格。雷撃に限りなく近い神経痛。
「が、あ」
言葉にならない苦痛が喉の奥から漏れる。
意識が真っ白に染まりかける。
身体の中心が麻痺しているような錯覚は血液の流れに沿って全身に行き渡り、次第に力が弛緩し、穴という穴から力みが抜け、失禁し、腑抜けた口元から血混じりの涎が滴る。
だらりと左腕が上がる。
指先に残る柄の重みに、耐えられなくなる。まるで把持していられない。
余計な思考に枷が掛かり、時の流れが極端に鈍化していく。研ぎ澄まされた思考回路のみが爆発的に加速していく。
ここまでか。
みればマグサが何事かをほざいているが、声は何の意味もなさない重低音にしか聞こえない。
ぱくぱくと動く口元。悦に浸った笑みを眺めていると無性に腹が立つ。
(隙だらけだ)
あまりにも挙動が遅すぎる。
そう思った瞬間、マグサの表情に怪訝の色が浮かんだ。
それは次第に怒気で微々と歪み。
視界の右端から、漆黒の影が鋭く映り込んだ。
『ブスが。クセェんだよ』
マグサの顔面がゆっくりと歪む。
ねじ込まれる異形の右拳。
衝撃の刹那、暴力的な活力が黒腕を介してゴクロウの腕に流れ込んでくる。削れた生命が回復していく。
(これは、マルドバの力か)
殴り抜け、駆け抜けていく感触。
収束していた時間の流れが、加速的に解放。元に戻っていく。
「ぶがァッ」
マグサが横っ飛びに吹き飛んで行った。
まるで激流。ゴクロウがもつ膂力以上の暴力により、マグサは瓦礫を蹴散らしながら地面の上を激しく滑り込んで行く。
ゴクロウは息絶え絶えになりながらも、その様をしっかりと眺めていた。
苦痛混じりだが、微かに笑う。
「さすが」
『フヌけてんじゃねえ。サッサとブッ叩き斬っちまえ。テメエはこんなトコロでくたばるタマじゃねえだろうが』
力の沸くマルドバの声に、返す言葉も無い。
起きあがろうとする合成獣マグサだが、たったの一撃にも関わらず脚から力が抜けていた。
「やる、じゃないのッ」
怒りの波動がマグサから放たれる。ようやく感情を剥き出し、今までにない威圧。
「まだまだだ。もう一発、今度は全力でぶん殴ってやる」
もう退きはしない。
ゴクロウは勝機を見出す。
逃走など無意味。ならば、裏の裏を掻いて合成獣マグサを討ち取るのみ。
次回 血路の先の魔人達 46
更新予定日 2月2日(金)




