血路の先の魔人達 43
暗い。真っ暗だ。何も聞こえない。
爆風をまともに喰らい、鼓膜も破けたのだろう。塵芥同然と吹き飛ばされ、打ちつけ、転げ回ったゴクロウの全身は鈍麻。己の意志と無関係に身体が痙攣している。
脳が許容する激痛の度合いは完全に振り切り、半ば思考停止していた。
横たわる身体が震動で揺れる。
ぱらぱらとした砂粒が鼻血塗れとなったゴクロウの顔に降る。
目と鼻の先にぼんやりと浮かぶ奇妙な闇は、高層建築物の屋上から降ってきたトタン製の看板。固定する為の骨格が奇跡的に下面を向き、地面との間に僅かな隙間を生んでいた。
唐突な吐き気。ごぼりと血の塊を吐いた。その反動でようやく横向きに寝返る。がらがらと瓦礫が崩れ、力の限り把持していた長刀を引き抜いた。
顳顬はどくどくと疼いて忙しなく、体内から響く重い心音が喧しい。
どうやら死を回避したらしいとようやく悟る。
まだ生きろと身体が叫んでいる。
ただし身体を捩って脱出しようにも、まるで動けない。
(左腕も大丈夫。脚も、指先にも感覚はある。右腕は、いままで通り)
左腕、両脚の無事を確認。
だが。
(右の脇腹が燃えているみてえに熱い。肋骨が二、三本折れたか。無理に動くと、臓器に刺さる)
致命的だ。
今すぐ脱出せねば第二第三と連鎖的に起こるであろう崩落被害に巻き込まれ、今度こそ圧死。
仮に脱出できたとて、怨敵の半身であるマグサから逃げ切らなければ即座に惨殺。
闘うという選択肢はもっと酷い。碌に動けない身体で、人外の戦闘能力を誇る相手にどう立ち回れというのか。瞬殺だ。無理がある。
助けを待つというのはどうか。だが一体誰の。
ナガサは来ない。スカヤもだ。バスバとマグサに潰された。
アサメも、もう来ない。
来るならばもう、この薄暗い辺獄から引き摺り出してくれている。考えたくはないが、彼女は負けたのだろう。策士バスバの手によって。
なるほど確かに、これは絶望だ。地獄といってもいい。
『オイオイ。まだ死んでねえのか、テメエ。正直言ってドン引きだ。オヤジなら死んでる』
長刀から挑発的な声。マルドバだ。
鼓膜は破れ何も聞こえないはずだが、なぜか普段以上に声が通る気がする。刀身が人の声を発する時点で、別の感覚が彼の言語を捉えているのかもしれない。
喧嘩を買いたいところだが、ゴクロウは呻き声を捻り出すことすら精一杯だった。
血の唾を吐き捨て、蹲る。
『ま、ゴキブリみてえな生命力だけはホメてやるよ。だからもう諦めてシんじまえ。とっととオレを手放せや。ラクになるぜ』
悪魔の囁きだった。実に甘美だ。
このまま目を閉ざして眠りにつく。激痛も不快感も絶望も、何もかも拭い去って無と同化する。晴れることも曇ることも忘れ、解き放たれた心はきっと無垢になる。
そうして諦めて苦痛から逃れることに、意味などあるのだろうか。
そこに望む未来は、あるのだろうか。
「たす、かる」
『ア、んだと』
「お前の憎まれ口、効いた、ぜ。心にな」
どくん、と。
『テメエ』
心音が一際と強く打つ。脈動の余波がゴクロウの頭の先から爪先まで駆け抜け、全ての細胞が活性化していくような覚醒感。
「俺に、力を。化け物をブッ殺す力を」
一呼吸、二呼吸。ゴクロウは二度の真身化を経て直感的に気付いたことがある。
大気に満ちる精素。それは生命の源であると。
きな臭い空気と共に取り込まれた精素が肺へ浸透し、血流に乗って駆け巡る。精素とは生命の極小単位。意識の残滓。意志ある者が強く望めば望むほど、想いが増幅していく。
(治れ)
筋肉がひしめき、折れた肋骨が引っ張られ、あるべき形へと癒合。千切れた筋繊維は超再生をひたすら繰り返し、鼓膜は修復され、ゴクロウの全身がほんの僅かに肥大。依然よりも力を増している実感。
数十倍の速度で再生する弊害から、肉体はじゅうじゅうと歪な代謝音を上げて再生していく。
『テメエ、本当に、いったい、何処から来たニンゲンなんだよ』
力が漲る。膂力が蘇る。痛みですり減った気力はむしろ限界を超え、一切の雑念を払っていた。
もう一度深呼吸をし、ゴクロウは邪魔くさい看板を全力で蹴り上げた。
「さあな」
随分な音を上げて盛大と吹き飛んでいく。
よほど筋力が増したらしい。同時に無理な負荷が全身に掛かっていると実感する。この状態は恐らく、長くは保たない。一時的だろう。
異形の黒い右手を硬く握り込む。全快だ。
目標は敵性存在の排除。ならば一気に片を付けねばなるまい。
次回 血路の先の魔人達 44
更新予定日 1月22日(金)