血路の先の魔人達 42
駆け出したゴクロウは腹の底から吠え声を張り上げた。
「てめえ、俺の杖をどこにブン投げてきやがったッ」
剥き出しの鉄骨にぶら下がるナガサ、否、擬態者マグサへと跳躍。三米程度だ。余裕で届く。叩き斬るように長刀を振るう。
マグサ、避ける気配無し。薄ら笑いを浮かべ。
「ああ、あれ」
マズい。ガド、と硬質な衝突音。
刃を蹴られ、阻止された。
均衡を崩し、宙で反転するゴクロウ。続け様に放たれた蹴撃が右頬を擦過。肉がごく浅く削り飛ぶ感触が残る。
(再生速度が早い。しかも硬え)
地に堕ちたゴクロウは後方へ大きく跳び退き、そのまま路地裏を脱した。不意打ちは失敗。いや、誘い出されたと考えるのが自然か。これ以上、真正面から突撃を仕掛けるのは愚策。
たった一度の攻防でしかないというのに、息が荒い。
ゴクロウは路地の奥を見据えながら、蹴られた右頬を異形の手でそっと触れる。滲む血。火傷じみた痛みが鮮烈に残っている。目にも止まらない一撃だった。まともに喰らっていれば頭部が砕け散っただろう。
だが。
(殺意を読み取れない理由は何故だ。なぜ俺を殺そうとしない。遊んでいるのか)
悍しい敵影が、路地の闇からゆっくりと出でる。
その姿に、ゴクロウは息を呑んだ。
「それなりに有効活用させて頂きましたよ。手離すには少々もったいない代物でした」
長い銀髪。鋼色の双眸。赤土色の艶やかな褐色肌。
麗しの美貌が薄ら笑いで歪んでさえいなければ、その人は。
「気安くアサメの皮を被りやがって。そんなに俺を怒らせてえか」
くすくすと冷笑を漏らすアサメ、を装ったマグサ。
敵は肩を竦め、今にも崩れそうな高層建築物の壁に背中を預けた。余裕以外の何物でもない。
ゴクロウは奴の掌の上でずっと転がされている。いつでも思い通りに事を為せると言わんばかりのマグサは、だが一寸の隙も窺えない。
「ゴクロウ。貴方、私の思っている数倍は冷静な思考を持っていますね。冷徹というか、どこか機械的」
口調も声音も、完全に近い形でアサメを模倣している。滲み出る精素すら彼女の性質に近いが、微かに混じる邪悪さがマグサという半身を物語っていた。
「いや、かなり頭にキてる。テメエが思っている以上、かなり」
「嘘ですね。人は怒り狂うと興奮で瞳孔が開く。貴方はずっと鋭く窄んだままですよ。ゴクロウ」
粘っこい声に不快感を覚える。だが敵はよく見抜いている。いつもの口八丁だ。
大きく深呼吸したゴクロウは長刀を持ち上げ、肩に担ぐ様な構え。その間にも彼我の距離を計測。じりじりと躙り寄る。
斬撃圏内はすぐ。だが不用意に踏み込むのは自殺行為。
「ああ。ずっと観察してるからな。どうすりゃテメエを黙らせられるか」
そうは言ったものの、致命傷を与える未来がまるで思い浮かばない。
身体能力が人外の域を超えている時点で圧倒的不利。そして相手の能力は擬態能力に長けている事以外、何も知らない。確実に仕留める方法も持ち合わせがない。
勝利条件はただ一つ。非常事態が起こる事のみ。
そして相手は、非情なる擬態者は、それを許さない。
「活きの良いこと」
シン、と微かに地が震えた。気がした。
否、気のせいではない。
マグサが背にしている壁。ぱらぱらと剥落する建材の一部。
敵を目の前にして、ゴクロウは見上げてしまった。高さ四十米はある建築物に、縦一直線と走った亀裂。
躙り寄ろうとしていたゴクロウのつま先は止まり、次第と後退。対峙する悪魔は薄ら笑いを貼り付けたまま、ようやく背中を離した。
あとほんのわずかな衝撃で、この建物は崩壊する。倒壊した瞬間、周囲の廃群を悉く巻き込んで周囲を無縁塚に一変させてしまう。
其処に生など有りはしない。死有るのみ。
「くく、大変よろしい。ようやく私好みの顔になりました」
鷹揚と手を広げるマグサを止められない。手首の振りだけを効かせた裏拳が、背後の壁を撃ち抜き。
「もっと、絶望してもらいましょうか」
崩壊、爆轟。
大地を駆け抜ける激震。ゴクロウは逃走を計るまでもなく衝撃波を喰らう。
立ってなどいられず瞬く間に足元が消え去り、視界が滅茶苦茶に乱回転し、思考などまるで追い付かない。
瓦礫場の上を転がったかと思いきや壁の残骸に全身を打ち据えて意識が飛ぶ。爆風に弄ばれる身体はそれでも止まらない。激痛を味わう時間もなく街路樹と衝突。体内から骨が折れる音が頭蓋まで響く。
障害物に何度も何度も弾き飛ばされ続けることわずか数秒。
(どこだ。ここは)
暗い。何もかも。
太陽は塵芥の雲に阻まれて翳り、視野は狭窄して平衡感覚をまるで掴めない。そして何より、身体が動く事を拒んでいる。
無気力なゴクロウは仰向けに倒れ込んだまま、天から降ってくる巨大な看板をぼんやりと見つめることしかできなかった。
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更新予定日 1月15日(金)